優しくて可愛くてかっこよくて大好きな夫と死別しました

事故か自死か。夫が消えた人生をこれから歩みます。なんて自分が書いてることが信じられない35歳です

花金

花金。

いつも夫と、金曜日はそう言い合った。

「花金だし、行っちゃう?」なんて言って、近所のお店をはしごした。

1軒目はその日の気分で色々候補があった。

大衆居酒屋もあれば、イタリアンもあれば、串揚げもあったし、沖縄料理のこともあった。寿司もあったし、中華料理もあったし、インドカレーとか天ぷらのこともあった。そんな店を1軒、2軒回った後で、最後に行き着くのは、アパートから100mのところにある焼き鳥屋さん。毎回お兄さん達が寡黙に、せっせと焼き鳥を焼いていた。お兄さん達とは、毎週金曜に会う顔馴染みのようでいて、絶対にお互い私語はない。親戚以上の頻度で会っているのに、毎回初対面のように接する。シャイで不器用な私たちには、これが異様に居心地がよかった。

この店に通い出すまで、正直私は焼き鳥を美味しいと思ったことなんてなかった。

私が知っている焼き鳥は、会社の宴会コースででてくるもので、いつも冷めていて、硬い肉だった。ただ社交的な会話をする間に、無意識に口に運ぶ食べ物だった。たまに人数分なくて、串から外して食べなきゃならない面倒な食べ物。でも、この店に通い出してから、焼き鳥って、こんなに美味しいんだ!と思うようになった。

1本を炭で焼き上げるのに、すごく長い時間がかかる。

鶏皮なんて頼んだ日には、永遠にこない。でも、いつもカウンター席だったので、オーダーが忘れられている訳じゃないとわかった。夫と私の鶏皮は、2本並んで、ずーっと網のすみっこの方で、丁寧に焼かれていた。

あのお店で、赤星なんて言葉も覚えたし、緑茶ハイっておいしいなあ、とか、梅干しサワーもいいなあとか、学生の時には知らなかった楽しい世界を知った。

毎週毎週、夫と遅くまでカウンターで話し込んで、ほんとに楽しかった。なにをあんなに一生懸命話していたのかなあ?多分、あの頃の思い出に対する気持ちは夫も同じ。日本の中で、こんなに幸せに暮らせる街があるんだ、って思うくらい、生活が楽しかった。

あのお店に通うカップルは、今でもその至高の時間を過ごしているんだろうな。

あのお店のカウンターに座って、2人で一緒にメニューを見て、瓶ビールの方がジョッキよりちびちび飲めるかな、いや、でもやっぱり生だよね、なんて会話してるのかな。

私の宝物の時間と、あの時間の中にいた宝物の人は、一体どこに行ってしまったんだろう。こうして実体験の記憶として全て思い出せるのに、そんな幸せが夫と私にあったことすら、信じられないくらい、そこからの数年間と、最後の結末は、悲しい。

私は毎日、家で神妙な顔をしているみたいだ。神妙な顔をしていたいというよりも、神妙ではない顔をしている自分が許せなくて、常に眉間にシワが寄る。顔が薄いので、深いシワは寄らなくて、寄っていると思って鏡を見ると思ったほど寄っていなかったりするんだけど、なにか怪訝そうな顔はしている。

他の家庭にあることかはわからないけど、うちの親は夕飯になると、「今日はビール飲まないの?」「お酒でも飲めば?」と言ってくれる。そんな子供にドーピングを勧めてくれる親は世の中あんまりいないんじゃないかと思う。最近はお酒を飲んでも、気分が軽くならなくて、飲む意味もあんまり感じられない。

体調を崩した後、夫が、布団に寝っ転がって言っていたのを思いだす。

「全然酔わないのよ、緊張してて」

私が「へえ」と返すと、夫に「フッ」と笑われた。

夫は、自分が緊張したり、脅かされた気持ちになるのは、きっと私の仕業と思っていたので、シラを切る私に、思わず笑ったのだと思う。「わかってんでしょ」、と。夫だって、いつもみたいに私に気持ちを吐露したいのに、吐露した瞬間に、後悔していたと思う。あいつにまた弱みを見せてしまった、みたいな感覚なのかな。

そんな夫が経験したことを、もっとずっと生温いレベルだけど、私も追体験している。

私が酔わないのは、なんでだろう。私の中には、悲しみと悔しさと怒りから成るどす黒い鉛のような塊が鎮座している。アルコールを飲んでも、この黒光りする塊の側面を流れ落ちるだけで、何も気持ちが楽にならない。気持ちが、心が、固まっている感じ。

場面を変えれば、今の私だって、心がもっとぷにぷにしてることがある。おばあちゃんの膝のリハビリのために毎晩一緒にやっている筋トレのときは、エアロビの先生のように声かけしている。でも、一人になると、現実に向き合うと、本当にダメになっちゃうんだよね。

それも当然、当然と自分で言い聞かせて、でも脳の大半は、夫とのこと全てを、ずっと後悔してる。

花金の話を書きたかったのに、結局暗い話になってしまった。要は金曜になると、夫とおいしい焼き鳥を食べてケラケラ笑って過ごしたい、という希望だけ書きたかった。もう叶わないけど、書いておく。