優しくて可愛くてかっこよくて大好きな夫と死別しました

事故か自死か。夫が消えた人生をこれから歩みます。なんて自分が書いてることが信じられない35歳です

トラウマ?

もう前回の記事を書いてから2週間近くか。

月の後半はいつも精神的に苦しい波がやってくるので、このブログに記事を書いても恨みつらみの記事になってしまう。だから書いていなかったのだと思う。

でも今回気持ちが落ちた時には、これまでと少し違うことがあった。

何かを少しだけリリースできた気がした。

私は夫が亡くなった瞬間、そのすぐ近くにいた。気付いた時にはもう遅くて、ハッと気付いて慌てて夫の姿を探した。夫を見つけたのは、私だった。夫の最も痛ましい姿をあの場所から見たのは私だけ。夫の両親は、見ようとしなかった。考えてみれば、私より先に見られたけど、私を誘導だけして、見なかった。私のあとにも見られたけど、見なかった。だから、私だけが見て、叫んだ。あの場所から絶叫した。夫の名前を。何度も。

あのシーンは、目を背けたくなるほど辛いシーンだ。今思い出しても、頭の中で自分は、違う方を向いている。両手で自分の頭をがっしりと掴み、力づくで首をひねらせないと、目を向けることができない。いつも直前の場面を思い出しては、目をそらしそうな自分にそうやって働きかけて、それに続く夫のあの姿を見ている気がする。もう十分私の目に焼きついているはずなのに、それをもっと、もっと、鮮明に記憶しようとしている。

息の根が止まった。動的なものが、すべて止まった。そんなことを思わせる場面だった。

こう書きながらも、私は核心に迫っていないし、時系列で話していないし、動揺はしないのだけど、先週くらいにはこの体験を時系列で書き出して、言語化した。

これまであれこれと夫について書いてきたけど、やはりこの場面については、気持ちにひっかかっている。あの場面を見た瞬間、これ自体に大きな意味を持たせてはいけない、と直感した。夫の苦しみには意味はあるけど、この場面そのものに意味はない。夫すらこの衝撃の画は見ていない。わたしだけ。

意味を持たせてはいけないと思いつつ、当然のことながら、ある種のPTSDとも言えるのだろうか?フラッシュバック というほどのことはないけど、忘れてはいけないと思うあまり、自分から思い出そうと足掻いたりした。それを誰にも伝えず、ただ自分の中でぐるぐるぐるぐるとやっていた。

誰にも話したくない。それは夫に申し訳ないから。聞かせる相手にも、気持ちの良いものではないから。とてもプライベートなことだから。自分の心から外に出してはいけないもの。そう思っていた。でも、6ヶ月経って、薄情な私はそれを書き出してみたことで、気持ちが新たにほぐれるのを感じた。ああ、自分はこういうものを見て、こういう体験をして、それを一人で抱えていたのだな、と思った。誰も見ていないから、共有もできないし、あまりに悲しい場面なので、家族にすら聞かれることもない。私の言葉となって、声となって、私から発出されたことはなかったから。

私は、何かを抱えて生きられる性分ではないし、抱えるということを頑張ることは難しい。抱えずに外に出すことで、少しほぐれた。ほぐさないと、この記憶は私の中で、どんどん存在が大きくなっていくようにも思う。夫くんには悪いけど、あの数秒の悪夢を、私はこれからも時折、自分から放出していくと思う。何かが振り切る前に。何か大きく黒く大変なものになって私を覆う前に。