優しくて可愛くてかっこよくて大好きな夫と死別しました

事故か自死か。夫が消えた人生をこれから歩みます。なんて自分が書いてることが信じられない35歳です

お金があってもしたいことがない

週末にアパートに行った日は、今思い返すだけでも、苦しみがノンストップなってやばかったな。アパートから実家への帰り道で、死ねそうなスポット探したりして、やるつもりはないけど、今なのかなとか自分焚きつけようとしてた。夫がいないということを実感したら、私はやっぱり正気でいられないだろうな。そして、夫がいなくなる前にあんな苦しみと恐怖の中に一人で入っていった、入らざるをえない状況を私たちが作ったと思うと、夫の死と私の言動が因果関係で結ばれて、ずるずるずるずると苦しみに落ちていく。

火曜以降は、仕事もやらなきゃならないのと、脳が危機を察知したからか、気持ちが平坦化してて、夫の写真を見てもあまり感情が湧かない。この激情と沈静の間を何度も何度も往復するのかな。激情を経験している時は苦しいけど、自分の意識が夫と一緒にある気がして、沈静のときは気持ちは楽だけど、一体自分は何のために生きてるんだっけと虚しくなる。

虚しいといえば、なにもやりたいことがないことも虚しいんだけど、なんというか、頑張って稼ぐこととか、一攫千金的なこととか、ちょっとした節約とか、慣習的にやることはあるんだけど、その意味が何にも見えなくなった。前だったら、500円貯まれば、夫と美味しいビール買えると思ったし、5000円貯まれば、外食にもう一回行けちゃうと思った。今は、なんもない。なんにもしたくない。生きたくすらないんだから。もう貯金も死ぬほどあるし、1人暮らしの私には何の価値もないや。夫とあんなに節約して頑張ったのに。貧乏学生の2人から、あんなに貯めたのに。こんなことなら、夫にもっとずっと生きやすい環境を準備してあげればよかった。すでに大金はたいてるつもりだったけど、死ぬくらいなら、桁違いにいいことできたのに。

結局私はケチだったのかな。義両親は、もっとお金あげてみたいな表情をよくしてたな。でも、月収を超えるお金がでていくのは、私は不安だったの。貯金あったんだから、本当はいいのにね。アホだよね。お金は将来お家買いたいとか、子供の養育費とか、今や意味ないことを色々考えてたな。全部、夫の死と一緒に消えちゃった。夫と一緒じゃないと意味がないのに。