優しくて可愛くてかっこよくて大好きな夫と死別しました

事故か自死か。夫が消えた人生をこれから歩みます。なんて自分が書いてることが信じられない35歳です

暇さえあれば、泣く!

このブログに、私の悲壮感がどの程度出ているか自分ではわからないんだけど。

個人的に感じてる悲壮感は、ハンパない。

一番守りたい人が、一番幸せになってほしかった人が、一番愛した人が、あんな苦しみの極地で苦しみ続け、自分自身を痛めつけるようにして亡くなってしまったことが、とにかく、私自身を打ちのめして、止まらない。

この思考を頭の中でちらっと流すだけで、本当に私自身が消えたくなる。消えることは多分ないんだろうけど、消えてしまいたい。これをなんと言うのだろう。感覚としては、夫と一緒の世界にいくとか、そういうものではないと思う。どちらかというと、こんな悪夢から逃げてしまいたいという気持ちだ。自分自身の現実として、受け入れ難い。苦しみが、あまりに大きい。でも現実だとわかっている。家で一人になると泣きながら何度も夫の名前を呼んで、夫が現れることを探して見回す自分が、どこまでも虚しい。悲しい。もうどうしようもないとわかっているからこそ、試練として大きすぎて、恩赦を願いたくなる。賄賂を積んで夫が戻ってくるなら、今やいくらでも積むな。借金3億円してでも、積む。10億円だと、どうだろう。こういうところでシビアな私。夫くん、ごめん。

夫の闘病期間中は、夫も夫自身ではなかったし、私も私自身ではなかった。お互いがお互いの好きなところを探して、探して、それを相手の中に見つけられなくて、それでもお互い信じていた。ずっと夫が不器用だと思っていたけど、私も相当の不器用だな。2人とも不器用なら、2人で一緒に死んじゃえば良かったのに。なんで私が1人で残ったんだ。

あまり救われることは日々ないのだけど、泣いているときは、やっぱりちょっとだけ気持ちが楽になる。夫はあんまり泣かなかった。とっても苦しい時だけ大粒の涙をぼろぼろと落とした。私は、びーびー泣く。涙脆い。涙脆くてよかった。泣いている時は、自分の気持ちが夫と一緒にあると思える。しかも、泣き腫らした後は、気分爽快だ。今は、暇さえあれば泣いておこう。ほんとに、ほんとに、悲しい。