優しくて可愛くてかっこよくて大好きな夫と死別しました

事故か自死か。夫が消えた人生をこれから歩みます。なんて自分が書いてることが信じられない35歳です

うじうじ

今日は結構、まずいかもしれない。

いつだって夫が恋しい。夫に会いたくてたまらない。でも、今日は、その会いたい気持ちがフッと湧いた。「あ、会いたいな」って。なんだかとても軽く湧いて、自分はまだ夫がこの世にいることを求めているなと感じた。それくらい、軽やかで、なんということはない、自然体の気持ちだった。この軽やかな気持ちが否定されると、私はどうなってしまうんだろう。夫はもういないのに。

クリスマスを意識しちゃって感じたのかな。テレビでクリスマスの報道を見てから、夫の持ち物に目をやって、思ってしまった。もう2か月も会ってないんだもの。そろそろ夫と会いたい。私の話を聞いてほしい。どうしようもない相槌打ちながら、ウーン、ウーンって一緒に悩んで欲しい。むしろ、今日くらいは一緒にクリスマスのデコレーションだらけの店に行って、おいしいね、あったかいね、幸せだねって見つめ合いたい。ただ、楽しくて幸せなことだけ考えて。ああ、書いてて虚しいな。悲しいな。

夫に会いたいよ。姿・形も、声も、考えも、仕草も、眼差しも、指の先も、全部恋しい。全部会いたい。全部消えちゃった。存在してたのに。まだまだ存在したはずなのに。

この悲しみも、苦しさも、諦めの境地に至らないと、消えないんだろうな。この悲しみも、苦しみも、消えてしまうことが怖いのに。自分の中で、悲しみや苦しみを抑えて乗り越えたい気持ちより、全て起こったことを覆したい気持ちが強すぎる。受け入れられるわけないよね。受け入れるのは狂気だよ。悲しみのどん底にいるのは、当然なんだよね。

今は、抱きしめて抱きしめて抱きしめても戻ってこないのに、思い出を抱きしめることしかできない。そういう時間。ただでさえ悲しいのに、畳み掛けるように毎日その悲しみが上から重なってくる時間。

なんで、こんなことになっちゃったんだろうな。苦しみなんて人生にいらないよ。2人で乗り越える苦しみなら、受けて立つのにな。1人ではその意味がなーんにも感じられない。