優しくて可愛くてかっこよくて大好きな夫と死別しました

事故か自死か。夫が消えた人生をこれから歩みます。なんて自分が書いてることが信じられない35歳です

やることリスト

昨日、夫が最後まで使っていたパジャマを着て寝ようかと思ったけど、今の一瞬のために私が着たら、夫の匂いが薄まっちゃうなと思って、やめといた。一度夫のズボンを履いたのに、また脱ぐという、滑稽な作業を1人でやっちゃったよ。ていうか、ズボンっていうよりズボン下みたいなもの。夫、痩せ体型で寒がりだから、いつもそういうもの履いてた。

昨晩寝るときは、布団を2つ並べて寝ようかなと思った。でも、なんだか夫を呼び寄せるようで悪いから、やっぱやめた。私がずるずるそう言うことしてても、重いかなとか思ったりして。だから代わりに、夫の布団を被って寝た。うちは性別をあんまり感じさせない関係性だったけど、掛け布団だけは私がピンク、夫は水色。むかし、商店街の寝具屋さんで、一緒に買ったもの。高いものではないけど、新品の掛け布団を着て、一緒に横並びで寝るの、本当に幸せだったな〜。この布団、買ってよかったねえ、あったかいよねえ、ペイズリーの柄もかわいいよねえ、なんていつも話してた。寝る前に私がラジオをタイマーでかけて、そのトークを聞きながら2人ともぐーぐー眠った。それで、翌朝、どこまで聴けてたかお互いに確認したなあ。あの日々は、自他共に認める幸せの絶頂だったな。洞穴に暮らすリス2匹みたいに、仲睦まじいそのものだった。そうそう、それで昨日はわたしが水色の方の布団をかぶって寝たんだ。なんという、幸せ期と現在の落差なんだ。夫は死亡、私はこのままいったら孤独死かしら・・・。それなら明日にもその日が来てくれたらいいんだけど。

他にもやろうと思っていた儀式系のこととしては、アパートから新宿のビル街が見えて、その景色を体調を崩した後も夫がよく眺めていたんだ。だから、夫の部屋からその景色の写真を撮っておいた。私は夜型で、昼まで眠れるくらい睡眠が長いんだけど、夫は朝型で、早いと4時とかから起きてた。今朝は5時半くらいに私が目が覚めて、夫が見てたのはこの時間帯の景色かな、とか思って、とことこ一眼レフを窓際に持って行って、窓を開けてシャッターを切った。今でもあのビルの中を夫が歩いているように思ってしまう。思いたい、の方が近いかな。

無音だと寂しすぎると思ってたけど、昨日からテレビは一度もつけてない。人の心の動きって、本当にわからないもんだなあ。テレビを見たくないって思ったんだよね。あの騒々しくて情報が入ってきてしまうのが、今はいらない音だなって思った。ただこの静けさの中で、落ち着いて考えていられるのが心地よい。

私をつぶしてしまうほどの苦しさは、一体どこに行ってしまったんだろう?夫にもう会えないということに思いを馳せただけで、自分がつぶれるほどに苦しかったあの激情が、今、どこかに棚上げされてる。そんな、1日2日で消えるはずないから、どこかでコントのたらいみたいに落ちてくるんだろうか。もう金物のたらいじゃなくて、コンクリ製の1トンのたらいでも落としてくれたら死ねるのにな。もともと飛行機に乗る度に今度こそ死ぬかもって思うタイプだけど、今なら嬉々として一生乗ってられるかもしれない。命が惜しくない。でも、闘病は嫌だな。自分はいつか大きな病気にかかるような気もしてる。元気なだけに、あっけなく逝きそう。この目的のない中で闘病なんか加わったら、生死を迷う権利すら奪われて、しかも生きようとしなくちゃいけなくて、それは最大に苦しい。生き地獄だ。だから、死ぬまでは健康体がいいな。

そろそろアパートを出て実家に帰るけど、その前に他にやろうと思ってたことないか、最終点検しなきゃ。多分、もうないよね。もう満足したのかな。この1ヶ月、けっこうここに一生懸命通ったな。亡くなった当日も、夫に着せる洋服を選びに来たんだった。夫が生きてる間の記憶じゃなくて、いなくなった後の記憶がこうして蓄積されていくのは、悲しいことだね。