優しくて可愛くてかっこよくて大好きな夫と死別しました

事故か自死か。夫が消えた人生をこれから歩みます。なんて自分が書いてることが信じられない35歳です

乗り越えられない気持ち

今日は、頭の中が夫と医療のことで、一杯だ。

ネットで似たような症状で入院して、症状が治ったという話を読んだところから考え始めた。

ずっと夫が受け入れやすい治療を探したいと考えていたけど、返す返すも、死ぬくらいなら、夫だって、私だって、入院に進んだと思う。

夫が亡くなったのは昨年の11月だったけど、8月から10月にかけて、私は自分に残された最後の気力を振り絞って、1ヶ月ほど行方をくらました夫を東京中から見つけ出し、夫の療養先に夫と一緒に長期滞在していた。何か進めるならば、2人が一緒にいる今しかないと思って、来る日も来る日も助けを求めたけど、夫の家族がこの状態に向き合ってくれることは、なかった。あの時、私は今こそがタイムリミットだと思っていたし、夫家族にもそう何度も訴えたのに。

どこかで私も、諦めなければいけなかったのだろう。ベストじゃないけど、私自身はやるだけのことはやったという線引きが必要だったのかもしれない。ずるい人が、一生ずるいまま逃げ切ることに、ムキになってはいけなかったのか。私は、逃さないつもりだった。優しい夫のことを苦しませたことが、許せなかった。そんな勧善懲悪の世界にいたので、夫家族を逃したままことを進めることは、大岡越前が泣き寝入りするようなもんだった。

夫の家族の説得は、本当に時間がかかった。それも当然で、過去半世紀以上も、そういう思考回路で生きてきたから、もうその人の生き方そのものになっていた。こうして息子が苦しむ姿に直面しても尚、家族らはお互いの非難に終始し、自分自身が夫にどう接してきたかについては語れない人たちだった。これまで苦しませたことに向き合ってほしい、夫のせいではないと伝えてあげてほしい、夫のありのままの姿を愛していると言ってほしい。こんなことを言うことに、お金も、時間も、かからない。ただ、息子と言う存在に向き合えるか、それだけだ。

この説得の長期化は、夫のことも、私のことも、どこまでも蝕んだ。中でも一番の被害を受けたのは、夫だ。私はそれを自覚していて、「今こうして一人にされて、一番苦しんでいるのは夫くんです」と夫家族に迫っていた。その苦しみは、あとで挽回して、チャラになるはずだったのに。私は、夫を苦しめたい気持ちなんて、なかった。夫の元の性格が思い出せないほどに衝突が多くて、お互いに苦しかったけど、本来の夫に会った瞬間、自分が泣き崩れるほどに気持ちがほどけることは、ずっとわかっていた。その夫に会うことが恐ろしくなるほど、本当の夫を愛おしく思う気持ちは、最初から最後まで、ずっと変わらず私の中にあった。虚しいことに、今でもずっとある。

もう独り言のように、同じことばかり書いているけど、この気持ちは、消化できない。

表現もできない。乗り越えることもできない。全部夫が亡くなって、終わってしまった。