優しくて可愛くてかっこよくて大好きな夫と死別しました

事故か自死か。夫が消えた人生をこれから歩みます。なんて自分が書いてることが信じられない35歳です

私たちの反省

私たちの反省。これは共同署名だと思うのだけど。

人生の中でも1、2を争うような苦しいタイミングを、夫と私は同じ時に迎えてしまった。

2人とも、昔から挑戦したい夢があって、その中身は違うんだけど、せーので一緒に激流に飛び込んだ。特に激流だとはそのとき思っていなかった。ただ、こんな挑戦を本当に2人でできるなんて、嬉しいね、やったね、行くぞー!という高揚感の方が大きかった。2人とも、目を輝かせて出発した。

私の人生はいつだってレールに乗っていた。だから、激流に飛び込んだ時だって、向こう岸のレールに再度たどり着くことが目的だった。体の周りには命綱をつけていて、その綱が切れそうなとき、休憩所に行って綱を補修したり、どうやって泳ぎ切るか相談できる相手だっていた。

夫は、レールなしの自分の道を進もうとしていた。その道については、夫が一番よく知っているはずだった。激流に飛び込んだ時、夫はきっと、私の命綱の端っこにつかまっていた。いつもそんな感じで、私より少し後ろにいることが多かった。でも、思ったより私が流され始めて、想像以上に頼りなくて、夫は急に不安になったはずだ。自分もしっかり、自分の足で立たなくてはと何度も思ったと思う。足のつかない川の真ん中で、夫は何度も私から離れて1人で立とうとしたこともある。でも、綱もなく立つことは不可能だった。流されたら楽なのに、そこで立とうとすることは強靭で屈強な肉体がなければ無理だった。ふと隣を見ると、きっと溺れながらも綱付きで周りに頼って泳いでいる私の方が順調で、綱もなければ頼る相手も術もない自分がものすごく惨めになったと思う。みんみんはずるいとも思ったと思う。一緒に挑戦しようと飛び込んで、結局自分だけじゃないか、と。

夫は想像を超える激流の苦しさや、綱がないことの無謀さや、自分に川渡りの才能がなかったことを、何度も、何度も、私に話してくれていた。普段の私であれば、きっとその声にもう少し耳を傾けられたと思う。でも、私も激流の中だ。私自身、朝から晩まで、ストレスで逆毛が立っているような状態だった。出口のない夫の悩みをさっさと片付けて、自分の任務をこなすことしか考えていなかった。夫が川を進めていない状態は認識していたけど、それでも一度飛び込んだのだから、なんとかやってもらうしかないと思っていた。やればできる、頑張ればどんな形であれ、とりあえず渡り切れるとも思っていた。

そんな状態が続いて数ヶ月してから、夫は突然、川を渡る行為から、ただ浮遊するという行為に移った。川の真ん中に棒でも挿して、それにつかまって、浮いている。何もしない。私は向こう岸にだんだん近づいていた。夫は、一歩も動かなくなった。「先行くよー?」「なにやってんのー?」「もう少しでついちゃうよー!」そんな思いやりも何もない言葉を遠くから何度もかけていた。夫はもうこの時、少しずつ別の世界に行き始めていた。表向きの態度はふてぶてしく、元の柔軟な性格がとても拘りの強いものになっていた。

私の対応は、いつだって快楽主義的でしかなかった。夫もそうだと思う。おいしいものを食べたり、たくさん旅行に行ったり、買いたいものを買っていれば、気持ちが紛れるのかなと思っていた。それで、たくさんお金も使ってもらった。でも、夫は欲望に歯止めがかからないこと自体が苦しそうだった。本当の苦しみを紛れさせても、何も良いことはないんだ。夫はそうやって逃げる自分が許せなかったはずだから。それなのに、逃げてしまう自分のことをもっと許せなかったと思う。

私が動画を撮る時、私は口癖があることに最近気づいた。楽しい場面で撮るものだからか、夫に焦点を合わせて、「楽しいー??楽しいですかー??」といつも聞いている。それで、夫は頷く。どの動画も、そのやりとりが入っている。一番夫が苦しかったときにも、パーティに出かけたあとで、酔っぱらった夫にその質問をしていた。夫は、キュッと可愛く笑って、大きくグイッと頷いて、「ハイ」と言った。この時は楽しかったと信じたい。でも、こんな質問をしている自分がものすごく嫌いだ。この時、もっと真面目に話し合っていれば。心から心配して、夫と向き合っていれば。夫のことをもっと大切に思えていれば。

そんな有限の挑戦期間がいよいよ終わって、ずぶ濡れの私は向こう岸の陸に立った。ここからはまた陸生活で、いつものように歩き出さなければならない。夫は相変わらず川の真ん中に浮いていた。早く陸にたどり着いてくれないと、その先の2人の人生が動き出していた。それなのに、一向に動く様子がない。「これからどうするの?」と聞いても「知らない、考えてない」と言った。「こんなことなるなんて、見損なった!」「騙された!」「こんなんなら離婚してくれ!」夫に痺れを切らして、私はひどいことを畳みかけた。何を言ったら、目を覚ましてまた人生に取り組み始めるのだろうと思っていた。夫がとっくのとうに心がえぐれて、抱擁が必要であることに気づけていなかった。

夫も私も、ずっと苦しみに気づかないフリをしてしまったのかもしれない。快楽に逃げてるうちに、苦しみが和らぐと思っていたのかもしれない。でも、夫の苦しみは、快楽で癒せるものではなかったんだと思う。快楽で癒せる苦しみなんて、本当はないのだろう。

でも、こんな経緯だったとしても、それで夫が亡くなる将来なんて、あまりに残酷だ。