優しくて可愛くてかっこよくて大好きな夫と死別しました

事故か自死か。夫が消えた人生をこれから歩みます。なんて自分が書いてることが信じられない35歳です

おじさん

今日は悲しいニュースが入ってきた。

私と夫がとてもお世話になった人が、亡くなってしまった。

私も、夫も、大好きな人。2人で揃って大好きな人は、この世にほぼいなかった。肉親を除いたら、この人だけかもしれない。

元は、私が仕事を通じて知り合った人。元ヒッピーと言うのだろうか。世界中を旅していた70歳くらいのおじさん。まっすぐで、ずるいことは嫌いで、でもどうでも良いようなずるいことなら別に良くて、とにかく人に愛される人。一見生き様がカッコ良いのだけど、虚勢を張っているわけでもなくて、愛情深い。いつも栄養ない食事で、お酒を飲んで、タバコを燻らせていた。

おじさんは結婚する前から行き当たりばったりだったけど、20代の頃にしっかり者の奥さんと結婚した。それでも、おじさんが落ち着いたパパになることはなく、お子さん2人が生まれたあと、家族4人で南米のボリビア に渡った。おじさんの話を聞きながら、私はボリビア の険しい高地を思い浮かべて、「へぇー、向こうで何してたんですか?」と聞くと、おじさんは「子供を公園に連れてってた」と答えた。なんでそんなこと聞くの?というおじさんの表情と、日本と変わらない子育て風景が浮かんで、私は笑ってしまった。この人は、全然かっこつけないんだなあ、と思った。

この人なら、夫も好きかもしれない。そう思って、ある機会に恵まれて、新婚の頃に2人を引き合わせた。夫は最初、別におじさんに関心を持っていなかった。少し大きめの飲み会で、夫にとってはおじさんはたくさんいる他人(おじさん)の一人。でも、おじさんは「ピーン!」ときていた。そりゃくるよね。ある一部の人は、夫を見ると、「ピーン!」ときてしまう。夫は、なんとも言えない空気を放っているから、一部の人は、絶対にちょっかいを出したくなってしまうのだ。

翌日、おじさんからメールが飛んできた。夫に、うちに手伝いにこないかと提案してくれた。夫はそういう話、絶対嫌なはずなのに、きっと第一印象が悪くなかったのだろう。重い腰をあげて、すったこらすったこらとおじさんのところに通うようになった。そして、おじさんのお昼を作ったり、書類作成をお願いされて、お手伝いをしたりした。おじさんが連れてくる色んな人に会って、その度に夫はぺこりとお辞儀をして、お茶を出したりしていた。夫は社交性の高いおじさんを観察していた。来訪者への応対を見て、「あ、おじさんこの人が本当に好きなんだな」とか、「お、この人にはおべっか使ってるな」なんて考えていたようだ。そして、おじさんも夫を毎日観察していた。まだ青年になりきらない夫に、若かりし頃の無鉄砲な自分を重ねていた。夫の壮大な夢を応援してくれたこともあるし、時には夫の夢を壊すようなことも言ったと思う。私の想像では、きっと、夫と私の関係についても、たくさん入れ知恵をしたと思う。おじさんは、いろんな修羅場を経験していて、夫と私の行末も、暗く描きたがっていた気が、なんとなくする。「いつか捨てられちゃうよ」と言われたとか、言われてないとか。そんなことを夫から聞いたのか、私の空想だったか、もう定かではない。

それでも、夫はおじさんのことがとても好きだった。引っ越しで遠くなってしまうので、もうおじさんのお手伝いに通えなくなるとわかったとき、夫の方からおじさんと食事に行こうと私に提案してくれた。

夫が誰かを信頼したり、興味を持ったり、好きと思うことは、とてもレアだった。ましてや、自分から私に誰かを会わせたいと思ったり、みんなで食事に行こうと提案することなんて、本当に少なかった。だから、夫からそんな提案があった時には、私は平静を装いつつ、ものっすごく嬉しかった。夫が誰かを好きと思う気持ち、ハートがるんるんと動き、会えると嬉しいという気持ちを持っていると思うと、なんだかすごく嬉しかった。

その夕飯には、ちょうどおじさんを訪問していたおじさんの娘さんも来て、その娘さんが連れてきた、もはやどこの国の方かわからない西洋のヒッピーの彼氏(未満)の方も来て、ものすごく不思議な5人でご飯を食べた。そしてそのまま、謎の夜遊びに出かけた。あれは、一体なんだったのだろう。でも、あの中の2人は、もういない。

夫は、離れてからも、このおじさんに会いたい気持ちを持っていて、おじさんから誘いがあると、2人で電車に乗って会いにいった。おじさんの周りには、すごく良い人がたくさんいた。みんな真面目で、あったかくて、一生懸命な人。初対面が苦痛でしょうがない夫が、あんなにフットワーク軽く出かけていったのは、おじさんに会う時だけかもしれない。

体調を崩してから、夫は何かの際、おじさんにも利用されたと言った。私は、おじさんが夫をわかりやすい意味で利用したとは思っていない。でも、きっと夫は、何かうまくいかないものを感じてしまったのだと思う。おじさんが夫を利用したのならば、きっと私だって、夫を利用してしまった。でも、それは夫だっておじさんを利用したのかもしれないし、私のことだって利用したかもしれない。

夫と私の引っ越しが続いた間も、おじさんは何度も「彼はどうしていますか」「気になる存在であること、お伝えください」とメールをくれた。夫の体調不良は伝えていない。でも、夫からメールの返信がないことで、不思議に思っていただろう。

昨年の6月、おじさんからまたメールがきた。癌で余命宣告を受けたのだけど、奇跡的に手術ができることになった、また2人に会いたい、と書いていた。私は、夫がおじさんに会う時は、おじさんに成功した姿を見せられる時だと思っていた。夫は、おじさんの期待に答えたかったし、見返したくもあったと思う。だから、おじさんへの返信では、おじさんが手術ができることになって嬉しいとたくさん書いたのだけど、それでも今は会えないです、と書いた。おじさんは、どう感じただろう。夫のことも、私のこともわかってくれているおじさんだから、何か理由があるとは思ってくれただろうけど、本当はすごく会いたかったことも、感じてくれただろうか。

おじさんが亡くなったことを聞いて、真っ先に感じたのは、変な安堵感だった。「ああ、これで夫は寂しくなくなるな」と思った。子供みたいなリアクションをするおじさんは、きっと天国にひょろりと立っている夫を見て、「エェ〜〜〜〜??ナンデェーーー???」と言ったことだろう。そこから、猫背でひょこひょこと歩く夫が、同じくひょこひょこと歩くおじさんを案内して、天国でも有数のコーヒーの美味しい喫茶店に連れていったのだと思う。

今日は、会社の人たち、何人もが「訃報」とのタイトルで私におじさんのことをメールで連絡してくれた。最後にもらったメールで、ある人が「昨年11月に会ったとき、おじさんがみんみんさんに、とても会いたがっていました」と書いてくれた。

そこで、夫の死で鈍麻していた私の悲しみスイッチが入って、もうおじさんに会えないことが、一気にとても悲しくなって、ぽろぽろ涙がこぼれた。私が大好きな夫にも、大好きなおじさんにも、もう会えない。3人でたくさん話して、たくさん笑ったのに、もう私しかこの世にいないなんて。

あの子供みたいにニヤリと笑うおじさんの顔が、また見たいな。夫のことを、私のことを、あんなに可愛がってくれてありがとう。たくさん幸せな気持ちをくれて、ありがとう。

もう会えないなんて、とっても寂しいよ。