優しくて可愛くてかっこよくて大好きな夫と死別しました

事故か自死か。夫が消えた人生をこれから歩みます。なんて自分が書いてることが信じられない35歳です

夫との関係性

元々記憶力が誰よりも悪いから、夫について思い出したくても、思い出せないこともある。言語的な情報としては思い出せても、もっと実感としての視覚や聴覚から感じ取った記憶を、思い出したくても、思い出せない。あるいは、思い出せたとしても、臨場感がない。

夫について考えるときに、亡くなる前の数ヶ月とか、亡くなった当日の感覚が、薄れてきていると感じる。健康だったときの記憶は、写真や動画でリフレッシュできているけど、闘病期間中の写真は、数枚しかない。夫を死に追い込んでしまったあの日は、夫の表情を見ることさえできなかった。だから、そもそも記憶もない。あるのは、私のこの声なら反応してくれるだろうと思って発したドア越しの呼びかけに頷いてくれた時の、あまりに悲しい、寂しい、夫の相槌の記憶。そして、その時に私の中にあったずるすぎる人間性。この声で話せば、響くだろう、なんていう偽りの姿勢で、最期の夫をおちょくった。夫は、そんな私に、信頼する声で反応をしてくれてしまった。夫はその直後に命が絶えて、帰らない人となった。

このやりとりが、2人の関係性を示している気がして、残酷で、苦しい。夫だって、残酷な眼差しで私を見たことくらいあるだろう。でも、おあいこになれている気が、全然しない。夫の方が、ずっとずっとまっすぐな人だから。

夫が亡くなったとき、精神的に混乱していたという人もいる。でも、あのか細い声を出す人は、決して錯乱状態にいる人ではないと思う。夫は、夫のまま、亡くなったのだと思う。だから、病のせいだ、病で意識が混乱していた、と免罪符のように我々が唱えることを、私が受け入れることはないと思う。夫は、苦しみ、悲しみ、恥じ、絶望し、自分には亡くなるしか道がないと思い、直前までまだ生きるつもりだった生を手放してしまった。それが、我々が彼を追い詰めたことの帰結だった。こう書きながらも、夫が感じたであろう、圧倒的な悲しみと苦しみの感情が、闘病前の夫の純朴で、飄々として、あどけない様子とつながらない。つなげることは、今もできていない。

夫の亡くなる前の数ヶ月間の状況について、サッと思い出すことが難しくなってきた。わたし自身が、一定の時間をかけて、記憶に体を沈み込ませていく必要がある。亡くなる時の夫の心の動きについて、日常的に思い浮かべることが、亡くなった直後よりも難しくなってしまったように思う。容赦なく進んでいく毎日と、私自身が生きていく目的を見失った中で、夫の元気な頃の写真に癒され、愛情を募らせてきた。亡くなる時の夫の様子は、手の届きやすい写真には残っていなくて、私が自分の中の記憶を辿っていくことでしか、アクセスができない。

2ヶ月前の今日、夫に会いに行った。夫は、私が会いにきたことを、喜んでくれた。夫に少しでも褒めてほしくて、鉄板に可愛い服装で出かけて行った。夫の誕生日だったから、夫が行きたい店にたくさん行った。3軒回って、まだ飲み物も食べ物も足りないと言われて、4軒目で喧嘩した。会話がうまく噛み合わず、盛り上げられなかった。まさか、あれが夫の誕生日を祝える最後の機会になるなんて、思ってもみなかった。あの日、プレゼントも、手紙も持って行かなかった。毎年、外食より、ケーキより、プレゼントと手紙を喜んでくれたのに。

記憶を辿っていても、何も変わらない。意味だって、ない。辿れる記憶が、1日1日と古い情報になっていく。夫との距離も広がっていく。全てがどうしようもない。