優しくて可愛くてかっこよくて大好きな夫と死別しました

事故か自死か。夫が消えた人生をこれから歩みます。なんて自分が書いてることが信じられない35歳です

清純で誠実なまま年を重ねること

夫のことを母親と話したとき、母は「夫くんは学生がすごく合ってたよね。おじさんになる夫くんは、あんまり想像できないね」と言った。それを聞いて、確かに、と私は思った。

私も夫も、夢を大きく描くことに幸せを感じていたから、地に足のついた人生設計って、していなかったと思う。保険とか、貯蓄とか、マイホームとか、そういう多くのカップルが結婚したらいつかするような話は、しなかった。少し浮世離れしたところに、2人でぷかぷかいることが心地よかった。私は、夫より現実的だから、自分だけはこっそり地に足をつけながら、夫と語る未来は、ぷかぷか浮いていたと思う。夫の夢を応援したくて、そちらが軌道にのったら、自分は支える側に廻りたいとすら思っていた。元々、私は表に出るより裏方で回す方が向いてるから、夫のマネージャーみたいな役割もあるのかなあなんて勝手に思っていた。

仮に2人が浮世離れした世界にいられなくなって、現実に戻らないといけない時には、私というセーフティネットがあるから、2人でいる限りは大丈夫なはずだった。それが、夫が1人で落ちていくことになったときに、私のセーフティネットなんて何の意味もなくて、夫にも夫自身のセーフティネットが必要なのだと初めて理解した。そこは、私の勘違いだったと思う。2人の人生ではなくて、夫の人生と、私の人生なのであって、私のキャリアが充実していることは、夫自身の生きがいではなかった。夫は、私のキャリアを喜んでくれたけど、それとは別に夫自身の生きがいを求めていたし、所詮お金でしかない私のセーフティネットは、万能ではなかった。

私は、ぷかぷかした世界が揺らぎ始めてからしばらく夫の様子を傍観していたけど、しばらくして我慢できなくなって、唐突に夫に現実を突きつけてしまった。突きつけないと、夫に逃げ癖があって、向き合えないのかと思った。それまでに何度か優しく問いかけても、言葉を濁されて、逃げられてしまったように感じていた。その時すでに、まさか心の病の発症に差し掛かっていたなんて、思いもしなかった。それほど、心の病は、経験するまでは遠い世界、知らない世界なんだと思う。

母から冒頭の言葉を言われて、私も確かに、そうかもしれないと思った。夫のあの清純さと誠実さを思い浮かべると、おじいさんになることは想像できるけど、いわゆる中高年の時代は、本当に想像できない。私自身については想像できる。きっと、若さというものへの諦めをようやくつけて、これからは自分が重ねた年齢を生かすことに邁進するのかなと想像する。でも、夫はどうだろう。この気持ちは、夫が病名の診断を受けることを想像する時と似ている。年を重ねるということから夫が感じる絶望感と、病名を宣告される絶望感が、夫にとっては、同じくらいに苦しいものだったのではないかと思う。

世の中には、夫と似た感性を持つ人がたくさんいるはずだ。芸術の分野に希望を見出す人なら、夫の気持ちがわかるのかななんて想像したりする。芸術家として成功した人ならまた違う世界があるだろう。でも、成功しなかった人は、一体どんな風に折り合いをつけているのだろう。芸術以外の分野で、お金を得るために仕事に就くことに意味を見出せるようになるのだろうか。相手からしたらとんだ好奇心の奴に見えるかもしれないけど、私は夫がどうしたらあらゆる苦悩に折り合いを付けられるのか、経験者から聞いてみたい。

もっと考えて行くと、色々と難しい面はあるものの、やっぱり私は夫のこれからの何十年を支える人でありたかったと思う。おじいさんになった時、私が隣にいたことで、なんとか幸せに生きてこられたと振り返ってほしかった。私は、やっぱりおじいさんになるまで、夫に生きていて欲しかった。そのために、自分も一助になりたかった。なにより、私は夫が生きてくれていれば、ずっと、ずっと幸せだった。果たして夫にどんな生き方があったのだろうという問いは、まだ考え始めたばかり。