優しくて可愛くてかっこよくて大好きな夫と死別しました

事故か自死か。夫が消えた人生をこれから歩みます。なんて自分が書いてることが信じられない35歳です

精神疾患の診断

これ以上不毛なことはないのだけど、昨晩は、夫の症状が一体何だったのかという、また終わらない迷路に入っていた。

精神疾患とは、本当によくわからない。

「診断なんて、そこまでの根拠がなくて、よくわからないものだから、意味なんてないんです」と言いながら、Aという病名を告げる医師もいれば、「Aという診断をする医師もいるかもしれないが、私はBだと思う」と言う医師もいた。もしかしてCという病気かなと思ってその権威のところに飛んでいったら、「Cではない」と言われたりもした。

どうせこの内のどの病気であっても、あまりに衝撃が大きくて、病名を告げられたら、夫は立ち直り方がわからなくなってしまうのではないかと私は心配した。命を絶ってしまうのではないかと真剣に考えた。そして、私自身、どうすれば良いのか、本当にわからなくなってしまった。

診断を受けるということが、その後、一生ものの医療のレールに乗るということならば、そんなものは、いつだって乗ることができる。そこを無理強いすることは、私の考え方とは違った。それに、夫は一般的な症例とは違う顔をたくさん見せていた。夫が行政の手続きをサクッとこなしたり、GoToキャンペーンの複雑な料金プランの話なんかもすんなり理解することを話すと、医師からは「でたらめなんじゃないの〜?」なんて言われた。でも、夫のそういった機能は何も落ちていなかった。それに、一番体調が悪かった時期よりもずっと話しやすくなり、私にも優しくなっていた。投薬をしなくても、時間をかけて回復する人も稀にいると聞いた。だから、いつでも乗れる医療のレールに無理やり乗せるくらいなら、私はとことん夫に付き合いたかった。それは、病気扱いしてくれるなという夫の願いであったし、夫と私の信頼関係であったし、私自身のとてつもなく大きな期待と抵抗だったんだと思う。

精神疾患は1人の患者を診ても、医師によって異なる診断をすることが多いと聞く。でも、一度診断を受けると、そこから見直されることも稀という。そんな知識は私がネットで得たものとか、小さなサンプルの論文で読んだものであるから、実際がどうかはわからない。でも、とにかく「病名に意味なんてないから」と言うような医師に、その後夫に一生覆いかぶさる病名を付けられることは、その重さと軽さの不調和もあって、前向きに考えることはできなかった。

それでも、夫が亡くなる1ヶ月前くらいからだろうか。もう夫も、私も、限界で、このままの状態で生きて行くことは難しいと感じるようになった。ここまでやったのだから、きっと今なら夫を医療に強制的に繋いだとしても、夫だって、後で理解を示してくれるかもしれない。2人とも十分頑張ったので、信頼関係だって崩れないのではないか。半ば諦めのような気持ちではあるが、そんな気持ちが私の中に生まれていた。

そんな気持ちになりながら、やっぱり最後まで私が実現させたかったことは、夫を苦しめた人に、夫の苦しみにちゃんと向きあってもらうことだった。彼らが手を汚さずに、夫だけを病院に放り込むことはしたくなかった。そんな理不尽なこと、フェアじゃないこと、夫だけに一家の苦しみをなすりつけるようなことを、私はしたくなかった。ここをコンプリートしてこそ、私は夫に顔向けできると感じていた。こんな変な正義感というか、正論というか、現実では実現しがたいようなことに、私は必死になって取り組んでいた。「できることは全てやったけど、それでもこれしかなかった」と夫に言える自分でありたかった。それが私の夫への誠意だと思っていた。でも、もうどこまでが誠意でどこからが自己満足や陶酔だったのか、わからない。

結果的に、私は夫のことを助けることができなかった。もっと早く、私が悪者になって病院に1人で押し込むべきだったのだろうか。自分の信念が間違いであったと認めたくないし、最後は事故のようなことだったと思うのに、それでも全てつながってしまい、思考を断ち切ることは難しい。

さらに昨日、これまであまり調べたことのなかったDという病気を知った。他の病気に症状は似ているものの、投薬によって病前の状態に戻ると書いてあった。そして、この場合は明確な苦悩からの発症というストーリーがあって、思考力や理解力も落ちずに維持すると書いてあった。よくわからないけど、夫はこれだったのかなあと思った。

結局は、わからない。脳に腫瘍でもできていた可能性だって今となってはあったかもしれない。私は、病名だけに圧倒されてしまっていた。「よくわからないから」と一生ものの病名をつけられてしまうのではないかと危惧していた。そして、「よくわからないから」と一生減らない投薬を受けるのではないかと思った。でも、それはそうではない医師を探せばよかったんだろう。よくわからない病名だからこそ、そこに意味を見出さずに、夫自身の状態をよく診てくれる医師がいるとわかれば、少しは安心できたのかもしれない。

昨日、母親にこんな話をしていたら、「夫くんは、そんな大変な病気じゃなかったかもしれないよね。電話とか、普通だったし」と言っていた。そう、そうだとしたら、一番虚しい。治療を受けて治る病気だとわかっていたら、私は夫が拒否しても、もっと早く病院に担ぎ込んでいたかもしれない。治らないからこそ、夫をその苦悩に放り込む前に、誠意を見せたくなってしまった。これから夫がきっと大変だからこそ、夫の病に全員が向き合う状態を作りたかった。でも、もし一錠の薬で夫のあの混乱が収まったとしたら、我々の日々はなんだったのだろう、ということになる。

全てはわからないことだから、迷宮入りだ。少なくとも夫と私のケースは、もう終わってしまった。色々な思いと考えと判断を混ぜながら、少なくとも自分たちが持ち合わせる力の全てを注いで取り組んだんだ。夫も、私も、お互いを褒められる自分たちでありたい。