優しくて可愛くてかっこよくて大好きな夫と死別しました

事故か自死か。夫が消えた人生をこれから歩みます。なんて自分が書いてることが信じられない35歳です

開き直りのパンケーキ

ずっと、「書こうかな〜」と思うたびに、暗いことしか書けない気がして、それを書いたら気持ちが晴れる気もしたけど、でももっと苦しくなる気もして、結局前回の投稿から1ヶ月も空いてしまった。

今日は秋晴れの日曜日ということで、朝ごはんにパンケーキを焼いた。私は物心ついた頃から、パンケーキがとても苦手だった。食べているうちにあの水分のなさに喉が辛くなって、数口でギブアップする食べ物だった。それが、夫くんと初めての海外旅行で行ったアメリカのニューヨークで、パンケーキが大好きな夫くんと一緒に話題のパンケーキ屋さんに行ったら、そこのパンケーキがものすごくおいしくて、あのパンケーキアレルギーとも思えた私が、何枚も段々になったパンケーキを我先にと食べまくっていた。普段は夫くんが甘党で、私が塩党。確かそのお店はブルーベリーパンケーキとエッグ・ベネディクトが有名で、夫くんも私も、当然夫くんがパンケーキを主として食べ、私がエッグ・ベネディクトを食べ、合間で「一口いる〜?」とか「交換しよか」とか「ここ美味しいから食べてみ」とか言い合うはずだった。ところが私がパンケーキに夢中になったものだから、パンケーキ大好きボーイの夫くんはさぞかし焦ったことだろう。でもあんなに笑っちゃうほど美味しいパンケーキを2人でにこにこしながら食べた思い出は、後にも先にもあの1回だった気がする。

それからである。私は単身赴任がすぐに始まって、そこから毎週末、朝ごはんはパンケーキを作って食べるようになった。レシピを検索しまくり、パンケーキ研究の達人のようになって、ニューヨークで食べたあの美味しい美味しいパンケーキすら、非常に似通った味のものを自分で焼けるようになってしまった。その後結婚してからは、二人とも週末はせっせとパンケーキを焼いていた。夫くんのパンケーキ熱も相変わらず高く、バナナなどを入れたり、重曹とベーキングパウダーの最適バランスを研究したりしていた。美味しく焼けたパンケーキと一緒に、香ばしいコーヒーを並べて、2人でかちゃかちゃ食べるのが好きだった。

そんな思い出だらけのパンケーキなので、もう焼かないのだろうななんて考えていたけど、やはり週末のパンケーキは私のリラックス法なのかもしれない。ちゃっかり焼いている。焼くようになったのは、9月に入ってからだ。いよいよ生活上のタブーが煩わしくなって欲望を優先させたのか、あるいは単に真夏の暑さが過ぎてようやくコンロの前に立つ気になれたのかもしれない。

今日は全粒粉とシナモンのパンケーキで、チョコレートを少し削っていれた。この薄くて、綺麗に焼き目のついたパンケーキを、こんがり色付けたソーセージと、バターで焼いたマッシュルームと一緒にいただく。マッシュルームには、相変わらず私がちみちみと続けている家庭菜園のパセリとこねぎを刻んで散らした。今日のコーヒーは、夫くんがニューヨークで出会ったイタリア系の方々に憧れて購入したビアレッティで淹れた。この役はいつも作業が丁寧な夫くんに任せていたけど、もう自分でやるしかない。私は本当に作業が雑で目分量なので、きっと夫くんみたいに美味しいコーヒーは入れられていない。

うーん、心の中はおどろおどろしいのだけど、やはりこのブログの前に来ると、ただ幸せだった時間を思い出して、今の自分にリンクしていることも実感することができる。最近は夫くんに晩年投げられたあらゆる図星の指摘や、周囲への失望、自分自身の行き場の無さ、生きる目的のなさに辟易として、ただ下を向いて過ごしている。会社で誰に褒められようと、感謝されようと、私の心が動くことはない。夫くんとの思い出に慰められながら、最後は夫にも失望されてしまった、というぐるぐるの中にいて、苦しいんだ。