優しくて可愛くてかっこよくて大好きな夫と死別しました

事故か自死か。夫が消えた人生をこれから歩みます。なんて自分が書いてることが信じられない35歳です

悲しみの中でじっとする

本当に大した乱高下だ。

数日前、いても立ってもいられないほどに苦しかった気持ちは、今日はストンと落ち着いている。夫のことを考えずにいられるか、いられないか、日によって全然違う。

夫について考えずにいられない日は、そもそも頭の中のすべてを夫が占めていて、苦しさが私の身体中に充満して、わなわなしている。夫の写真を見たり、言動を振り返ったりせずにはいられない。仕事だって、集中していると罪悪感で心がパンクしそうになって、リモートの会議が終わった瞬間にPCを閉じて、大声を出して泣く。

考えずにいられる今日のような日は、心が穏やかだ。ボーッとしているとも言えるかもしれないけど、どちらかというと、穏やかという感じ。心のとても浅いところで「夫くん〜」なんて思いながら、仕事に取り組むことができる。思い出の苦しいところに深く沈み込んでいかない自分を、責めずに放置している。平然とする自分にそこまで罪悪感を感じない。会議の前後で、パンクして泣かない。ただ普段通り1日の勤務を終えた。

これは、ホルモンバランスによって変動しているのだろうか。同じ人間なのに、過去数日と今日は、だいぶ違う。ホルモンと関係あるかないかはどうであれ、悲しみや苦しさを一定期間溜め込んでは、リリースするような作業なのだろうか。自分では全然わからない。

しかもこれは行ったり来たりする波なので、またこの静けさの後には嵐がくるとわかっている。とにかく一喜一憂もできない。そもそも、どの自分に一喜して、どの自分に一憂すればいいかの価値判断もできない。夫から心が離れる自分は嫌だ。でも、苦し過ぎて潰れそうな自分も危うい。潰れずに夫を思うということをしたいけど、苦しすぎるテーマで、そんなことは恐らく不可能に近い。だから、こうして潰れそうなところまでいくと、サーッと波が引くように落ち着いて、また体調が許せば悲しみに戻るということを、無意識のうちに繰り返しているのかな。

今日だって、こうして仕事が終わった後は、また夫の写真が見たいし、夫のことを考えたいし、夫のことで涙したいと思っている。そのレールに乗っていけば、またすぐに悲しみの海に戻る。それをしないと、自分の存在意義も感じられないから、きっとそうするんだろうな。もう自分は何がしたいんだろうな。。。

乗り越えた後に夫がいるなら、この荒波のような周期にも全力で取り組むんだけど。目的がなく頑張るなんてこと、経験したことがない。経験したことの有り無しというより、単純に論理破綻なんだけどね。あえて設定するなら、頑張る目的は、死なないためなんだろうか・・・。

この状態を抜け出すということは、きっと夫がいないことを受け入れて割り切ることだし、抜け出さないと一生苦しくて生死の淵を這ってるようなもんだし、どの道もいやだ。

やっぱり最後は、とにかく今いる場所でじっとしている時期なんだという結論に至る。

悲しみの中で、じっとしていよう。それが、大事だね。