優しくて可愛くてかっこよくて大好きな夫と死別しました

事故か自死か。夫が消えた人生をこれから歩みます。なんて自分が書いてることが信じられない35歳です

男性である夫と女性である私

夫は私の行動を咎めたり、考え方を正そうとすることって、ほとんどなかった。

私が夫のことを好きだった100くらいある理由の一つに、夫が私をコントロールしようとしない、ということがあった。

これは私の完全なる勘違い野郎的な思い込みかもしれないけど、世の中には、なんとなくお兄さん的に接してくる男性が多いなと思う。実際に年齢は年上だったりもするから、そのせいもあるんだと思うけど、なんというか、会話していると、自分は相手が気分よくなるお手伝いをしているように感じる。柄にもなく尽くす自分とか、制御される自分みたいなものを感じて、なんとなく居心地が悪い。なんとなくどことなく、相手は私の勢いみたいなものを手懐けて、扱える自分のことが好きなんだろうなと思う・・・めちゃくちゃ性格悪い分析なんだけど、なんとなくそんな風に思ってしまう。昔むかーし、「人形の家」という本を読んで、結構刺激を受けたことがあった。世間一般の男女関係は、どことなくあのストーリーと重なる。

夫は、私が一人でぶっ飛んでいれば、それをそのままにしてくれる。ちょうどいい感じに我関せずでいてくれながら、何かに一生懸命になっている私には心から親身になってくれた。私をコントロールしようとか、制御しようとか、そういう感じが、全然ない。夫は私とのやりとりを、そのまま自尊心につなげようとしない。それが、私には、人としてものすごく尊重してもらっている感覚があって、夫への尊敬の気持ちにも繋がった。今となっては、私の方が夫から搾取して、自尊心を高めていたように思えて、どこまでも自己嫌悪に陥るのだけど。

夫は、女の人のことを普段から「女性」と呼んだ。そんな人、身近にはあんまりいない。夫は気心の知れた女友達はいなかったし、夫にとって女の人とは、ずっと「女性」だったんだと思う。そんな風に女の人を自分とかけ離れた存在のように表現しながら、夫は世間一般が共有する女性へのステレオタイプ的な感情も持っていなかった。夫は性別に関わらず、どこまでもフェアだった。きっと、男性も女性もあらゆるジェンダーも全て、「人間」くらいの括りだったのだと思う。それって、私だって達せられていない境地だと思う。

一方で、夫は男性である自分に課せられた社会的な目標、すなわち地位とか名誉を得るという呪縛には、最後の最後の最後まで、呪われ続けていたと思う。あの呪いを、一緒に解きたかったのに、解くことができなかった。あの呪縛を解ける人は、それを夫に擦り込んだ人しかいない。その人を呼び寄せ続けたけど、間に合わせることはできなかった。

世の中では女性の社会進出が一大テーマとして扱われているけど、本当は男性だって、社会での活躍を至上命題にさせられて、みんながみんな嬉しいわけじゃないと思う。夫は、女性をとても羨んでいた。自分は、本当は定型の仕事が向いているのに、それで雇ってもらうことができないと悩んでいた。女性には今や、自分のライフスタイルや考え方に合わせて仕事を選ぶ道があるけど、男性はいまだ、女性で言うところの「バリキャリ」しか道がない。もし夫が女性だったら、きっと何倍も、何倍も、生きやすかっただろう。もっとずっと自己を肯定できただろう。要は、性別に関係なく、自分に合った仕事を選べる世界にする必要があるんだと思う。それをせめて家庭の中では実現させたかったし、させようと思っていたのだけど、うまくいかないまま、終わってしまった。私は一貫して夫を尊重したくて、夫が無理して働くべきなんて主張はなかったけど、夫は呪縛と闘ったまま、ずっともがいていた。喧嘩のときには、私もその急所を突いた。その後悔も、ずっとしている。心にもないことを言った。夫もさすがに私の本心とは思っていないと思うけど、混乱が過ぎてそう思った可能性もあるし、そう思わなかったとしても、言われて嬉しいことではなかったと思う。

世の中がなんと言おうと、親になんと言われようと、気にせず我が道を突き進める人もいる。でも、その両方をとても気にして、追い詰められる人もいる。とても気にしてしまう人がいる限り、世の中の押しつけとか、偏見とか、固定観念は、なければない方がいい。女性の生きづらさと同じように、男性の生きづらさだって対処していくことが必要だ。今の社会が全てのジェンダーに対して抱く固定観念みたいなものを、破壊して、どんがらがっしゃんできたらいいなと思う。