優しくて可愛くてかっこよくて大好きな夫と死別しました

事故か自死か。夫が消えた人生をこれから歩みます。なんて自分が書いてることが信じられない35歳です

週末のルーティン

このところ、なんだかイライラしてるなと思っていた。

どことなく、周りに対する破壊衝動みたいなものを感じていた。

夫に対して私が怒りを持つことは適当ではないし、冷静な時はそう思うんだけど、このところのイライラは、夫にまで怒りを芽生えさせてしまうようなものだった。

でも、夫に怒ったところで、言いたいことなんて、全部夫のせいではないことばかり。だからマグマみたいに腹から喉まで登ってくる怒りを夫に向けたって、それは全然、自分で納得できる怒りじゃなかった。

多分何かに対して、とか誰かに対して、というよりも、全てに対しての怒り。夫の、私の、2人の、運命に対する怒り。過去を振り返ったときの後悔からくる悔しさのような怒りだけじゃなく、どこからどうやって生まれてきたのか説明がつかないような、もっと真っ黒な怒り。言うならば、幽白の飛影が腕から出す黒い龍みたいな怒り。これが今日も日中から私を突き上げて、対処のしようがなくなった。

夕方から、物にあたりだした。勉強机をバンバン叩いたり、ティッシュ箱を踏み潰してみたり、ソファを殴ってみたり。本当は、ガラスを割ったり、部屋に火を付けたいけど、それを自制した。怒って、怒って、泣いて、怒って、泣きながら叫んだ。叫ぶ声は、キャーとかじゃない。腹の底から、野太い声で、ぐゔぉおおおおおおおおおと何度も絶叫した。私はとにかく、怒っているのだ。夫の遺影を睨みつけた。全然夫は悪くないのに、トバッチリだ。夫なんて私に殺されたようなもんなのに。私はあんなに支える時間があったのに。その時に支えなかったのは私なのに。そう思いながら、睨んだ。

そして手持ち無沙汰にになり、音量MAXでまたオザケンをかけた。オザケンをかけると、気持ちが恋愛モードに変わっていく。ちょっとずつ、ちょっとずつ、怒りが溶けて、夫への止まらない慕情に変わり、涙が流れる。

そうして、今に至る。こんなことばっかりしているんだけど、やっぱり死別後の一番のヒーリングは、泣き叫ぶことだと思う。死別のような苦しみを、ましてや夫のような死に方を、効率的に、スマートに、淡々と乗り越える人なんて、いないと思う。こんな時、正解は一つ!泣きまくる。そして、悔しい時、怒れる時、悲しい時、その感情をその涙に思いっきり乗せる。泣いていていいんだ。今の私は、泣いていることに生きがいを感じているんだ。それ以外何もいらない。泣く自由さえあればいい。

そんな夕方を数時間過ごして、夕飯になる頃には、けっこう気持ちがすっきりしていた。今は35歳だから、40歳くらいまでは泣いて暮らしていればいいやと思えた。それで、大好きなお菓子を食べて、お酒を飲んでいればいいや。長生きすら目指す必要なくなったし、それでいいじゃないか。それでもし、夫の死を受け入れることがあれば、また次に向かえばいい。私はとにかく今は、泣き叫んで、野太い声でご近所さんたちを引かせながらも、とにかく悲しみに頭をぶっ込んでいればいいんだ。

激しく泣きまくって怒りまくった日は、自分の現状についてはそんな気持ちになれた。

夫のこと考える時は出口がないけど、自分については、簡単なもんだな。