紙袋の痕跡
夫が亡くなった時に着ていた服を、私はまだ持ってる。
搬送先の病院で紙袋に入れて渡されたときは、病院で処分してくれないか聞いたけど、持ち帰るのが一般的だと言われた。
自宅に持ち帰って、最初の燃えるゴミの日に、捨てるつもりだった。でも、親に捨てて良いか確認されて、やっぱりもうちょっと待ってと伝えた。
それからずっと、その紙袋は実家のリビングにある。夫の最後の瞬間をお供した洋服は、なんとなく夫のなにかがある気がする。夫の気持ちなのか、その場の空気感なのか、体験の記憶なのか。
もし洋服に目があったなら、夫がそのときどんな顔をしていたのか、教えて欲しい。きっとその表情は、私が見ただけで胸が張り裂けそうになる表情だったんだろうな。
夫の最期を見届けてくれた洋服は、そろそろどうにかしないと、原型をあまり留めなくなっている。セーターは、私も結婚前に一時期拝借していたもの。下着や靴下は、夫がまだ生きる意思を伝えるかのように、最近新調したものだった。
この下着を見るとやっぱり思わずにはいられない。夫は、あの日私たちによって、死ぬ以外の選択肢を奪われてしまった。それは、もう私の中で確定した事実になりつつある。そんな一番回避したい役割に、私は加担してしまった。
救急医療では、衣服は裂かれてしまう。いま私は、夫の服を洗うか否か、縫い合わせるか否か、着るか否か、そんなところで迷っている。ついでに言えば付着したDNAでクローンが作れる日が来るなら、やっぱり洗わず保管しようかと考えてる。
それにしても、あのとき病院で手放さなくて、本当に良かった。今やこの世界から丸ごと消えてしまった夫の色んな痕跡が、あの紙袋を覗けば、まだたくさん詰まっているから。