優しくて可愛くてかっこよくて大好きな夫と死別しました

事故か自死か。夫が消えた人生をこれから歩みます。なんて自分が書いてることが信じられない35歳です

落ち着いて考えられる環境

忌引きの間はただただ実家の両親や祖母におんぶに抱っこで面倒を見てもらい、私の脳は夫について考えることにほとんど充てられていた。

もしアパートで1人だったら、悲しみの沼にどんどんハマってしまって、きっと考えるということはできなかったと思う。今、私が無事夫について考えたいことを考えて、自分なりに思索の時間を取れているのは、この実家の環境のおかげだ。ここで過ごしている限り、朝は祖母の隣で布団でもぞもぞ起きて、健康的な朝食を家族4人で囲むことから1日を始められる。これがもし私1人だったら、きっとなにも飲まず食わずで何日も過ごしていたと思う。まず食事を選ぶ気力が湧かないのはもちろん、自分で料理でもしようものなら、美味しいものが大好きだった夫への罪悪感で、途中で料理を放棄してしまったのではないか。本当はそれくらい崩れているであろう私の基礎的な生活能力は、実家にいることで擬似的に自分で回しているような感覚が持てており、それによって自分がどうしようもなく弱体化したことも感じずにいられるのかもしれない。

最初の数日はまったく聞きたくなかった母親の雑談にも少し付き合えるようになり、食後一切手を出す気にもなれなかったお皿の片付けも今日はほんの少し手伝った。昨日は思い立ってピザを家族に振る舞いたくなって、ピザをつくった。朝から晩までパジャマで過ごしていたら、祖母に「そういうのは寝間着・起き間着と言うんだよ」と笑いながら言われた。何が面白いのかわからないけど、ほっこりしたからそういう声はどんどんかけてほしい。

でも、最初に触れた通り、やはり一番のメリットは、夫について落ち着いて考える時間が取れていることだと思う。時に息が苦しくなったり、涙がぽろぽろ出てきたり、声をあげて泣くこともあるけど、この状況下で、可能な限り健康的に夫について考える環境が準備できたことは、とても有難いことだと思う。それに、自分がハマりすぎて感情コントロールが難しい時には、すぐに助けてくれる家族がいる。なんというセーフティネット

今日感じた課題は、忌引きも終わって、仕事では相変わらずのペースで同僚たちが働く中で、私にも容赦無く仕事が降ってきて、これから夫について平日にじっくり考える時間が持ちにくくなること。今は自分の頭のメモリを夫以外のことに心底使いたくないのだけど、どうしても仕事に集中してしまう時間もあって、今日は夫と距離を感じる時間が多い日だった。

夫について考える、夫と自分について考えるという自分の欲望をちゃんと満たしていけるように、仕事のバランスは当面気をつけよう。今しか自分の中で言語化できない思いがあって、それが夫と私の関係を肉付けしていってくれる気がするから。