優しくて可愛くてかっこよくて大好きな夫と死別しました

事故か自死か。夫が消えた人生をこれから歩みます。なんて自分が書いてることが信じられない35歳です

自分の急所

また夫が少し夢にでてきた。夫がいなくて私が慌てて実家の中を探し回り、カバンだけ見つけて嫌な予感がしたけど、最後に行った部屋に体育座りしてて、「ああ、みんみん」って力なげに言われた。「ああ、夫は生きてた、よかった。」そう思ったところで、夢が終わった。夢はとても正直だ。私は、まだ夫が亡くなったことなんて、認めたくない。夫がそんな悲しい体験をしたことを受け入れられないし、自分がそんな大切な人を失ったことも認めていない。

今朝起きてから、また自分に足らなかったことをはっきりと感じ取ってしまった。

私は、夫が体調を崩してからの2年間、ずっと夫が可哀想だと思っていた。夫はとても苦しんでいる、一刻も早く、あの苦しみから抜け出してほしい。その時まで、変わらず隣にいるのが私の役目だ、そんなことを考えていた。

でも、夫は私にイライラの原因を求めることが多かった。私は、なぜ私が悪者になってしまうのだろうと悲しかったが、次第にそれも私を信頼してくれているからだと思うようになった。私にしかぶつけられないんだと良いように解釈した。

大体、夫の苦しみは夢が叶わないと自分で見切りをつけたこと、さらにはその絶望を支えるための自我が脆かったことだと思っていた。そうなると、その大半の要因は、彼の生い立ちや、彼自身の考え方によるものだと思っていた。

夫が亡くなってから、私は夫の追体験をしていると思うことがとても頻繁にある。誰にも正面切って怒りをぶつけられない、自業自得という苦しみの中で、私は悲しみと苦しみの殻の中に閉じこもっていることが多い。この自業自得の中でも、周りの人を見て、たくさん怒りを抱えている。「あのとき、あの人は、こんな態度だった」「あんなことを言った」そう思って、会話の中でもそういったことをチラッとほのめかすのだけど、往々にしてそのことを認めたり、しっかりと見つめて、自省する人は、驚くほどいない。どれだけ私に寄り添う意思を持っている人も、本当の急所の急所は、避ける。避けるか、とても軽んじるか、しょうがなかったという整理がされる。なぜ他のいろんなことは考えを巡らせたり、夫への同情はするのに、その中で自分の一番の過ちについては深く考え込まないのか。なぜその話だけ右から左へ抜けさせて、鼻歌でも歌い出しそうな頓珍漢な顔をするのか。なぜ更に迫ったときに、怪訝な顔で不快感を見せるのか。でも、これはほぼ万人に共通する。

そんなことを思っていたところで、私自身にも思い当たることがあった。夫は、「みんみんは全然話をきいてくれなかった」「僕にはみんみんしかいないのに」と何度も口にした。それ以外の指摘は、あまりなかった。私は、確かにそのことを認めたと思うけど、深く、深くそれを悔やむことは、あまりなかった。「ごめんね」と言ってしばし話して、それきりだった。どんなシチュエーションで、どう私が夫をないがしろにしたかなんて、聞き出しもしなかった。夫は、そういう問答を、待っていたのかもしれない。

今になると思う。夫は夢に破れたと感じたことも悲しかったし、その時自暴自棄になる自分だって悔しかったろう。でも、何より私が親身にならなかったことが、その後の孤独感という最大の悲しみにつながった。夫にとっての一番の後悔や怒りは、あのとき親身にならなかった私だったのではないか。そして、そのことを決死の思いでほのめかしても、ササッと謝るだけの私。10分、15分だけしんみりした顔をして、また日常に戻っている私に、失望したのではないか。今の私が、周りに対して感じるやるせなさと同じように。

夫が私の支えを必要としたときに、私が力になれなかったということを、もし私がもっと踏み込んで考え、その状況に体を沈ませ、心からの後悔と自責を生み出していれば、夫は私をまた信じてくれたかもしれない。私がその後悔で毎日つぶれそうになっていたら、夫は私のことを慰める側にすら立てたかもしれない。

夫が本当に訴えたい苦しみ、悲しみへの責任は大して気に留めず、それで見てくれの良い「寄り添う妻」だけ演じた私への憎しみや怒りが募ったって、それは当然だと思う。

こんな境地に、なぜ相手が死ぬまで、たどり着けないのだろう。

一つの言葉、一つの文章、一つの発言。ここから察するべきだった巨大な感情の渦。そして、私自身が、自分の急所には向き合わなかったという事実。急所という認識すらなく、でも誰かにその話をされたら、きっと嫌だったと思う。そう、自分の無意識の急所に気づくのは、誰かにその話を深堀されて嫌かどうかだと思う。

夫に謝らせてほしい。