優しくて可愛くてかっこよくて大好きな夫と死別しました

事故か自死か。夫が消えた人生をこれから歩みます。なんて自分が書いてることが信じられない35歳です

写真に救われたこと

今日は仕事の後、夫と撮った写真や動画をたくさん見た。

交際当初の依存関係だった10代から、ぴったりの波長にはしゃいだ20代前半、就職して少し大人びた20代後半と、優しさと包容力が表情にでてきた30代前半。時系列でいろんな姿を見せる2人の写真は、5万枚に上る。30代半ばに差し掛かるところで、2人の歩みは突然終わってしまった。もうこれ以上フォルダが増えることはないんだな、と寂しくなる。

夫が闘病している間、好きという気持ちが消えたことはなかったし、むしろ愛情は強まった。よく夫の症状について検索すると、検索エンジンは追加のキーワードとして「離婚」を提案してくる。私なら「大好き」といれたいのにな、なんで「離婚」なのかな、と何度も思った。もちろん、生半可な気持ちでは一緒にいられないほど大変な日々で、毎日激しい衝突を繰り返しながら生活していた。それでも、今目の前にいる夫に真摯に向き合いたい、この姿を含めて夫なのだから、丸ごと愛したいと思っていた。それは簡単なことではなかったけれど、無理くりでもいいから、合理的でなくてもいいから、その時々に自分が納得できる形で事態を、そして夫を肯定的に捉えようとした。

例えば夫が混乱しながら発言した際に、どう捉えるか。人によっては、心の苦しみや病気だから、あまり取り合わないように助言される。私は、夫の発言に真意があるはずだから、戯言と流すのではなくて、私らしく誠意をもって耳を傾け、夫の発言にも応えようとした。一方で、夫が何かひどい言葉を私に放ったりしたときには、苦しくてそういう発言をしてしまったのだろうから、夫の真意ではないと解釈しようとした。この都合のいいように緩急をつけた咀嚼は、とても難しかった。最後まで私はこれが上達せず、結局は理想と真反対の形で、夫の意見には反論したり否定して、また夫からの暴言には逆上したりした。夫の暴言はボキャブラリーが少なくて、声は怒号だけど言葉そのものの攻撃性はとてつもなく低かった。元の性格がものすごく優しくて、汚い言葉を使うことがまずないので、その人間性が混乱した時もでていた。一方でわたしは、すこぶる口が悪くて、相手の心臓までメタメタに刺さるトドメのような言葉をいくつも繰り出してしまう。同じ口論でも、あれらの言葉が夫に刺さっていたのは間違いないし、過去の録音を聞くと、夫より自分の方が治療が必要にすら聞こえる。自分がこんなにひどいことを言っていたんだ、というのは夫が亡くなって録音を聞き直して初めて自覚したことだ。

そんな嵐のような日々の中で、とにかく元の夫の人柄を思い出すことは難しかった。思い出しても、すぐに目の前の荒々しい夫にワイプアウトされてしまった。でも、何度も何度もこの写真データを見ては、映像の中の夫の声を聞いて、まったく違う人間性に心を奪われた。現実でどんなに夫にひどいことを言われた日でも、このデータを再生するだけで、全てのトゲが流れていって、気持ちが溶けてしまった。それくらい、動画の中の夫の声や仕草はどこまでも優しくて、包み込むような包容力があった。夫の隣に映る私は、どの写真や動画でも幸せの絶頂の顔をしている。こんな幸せを享受していたなんて、本当に幸せ者だなあ、と改めて思った。この時の自分が、自分自身のように思えなくて、なんだか不思議な気分。

今、振り返って、これらの思い出は全て、紛れもなく夫と私の歴史。本当に幸せな時間から、本当に苦しい時間まで、生き抜いたという言葉を使って遜色ない。こんなハードな日々をおくるとは本当に思っていなかったし、幸せな時代の写真の2人を見ると、この先の苦難を不憫に思ってしまう。

またなんだか他人事みたいになっちゃったな。どうも写真が自分と思えない、切り離してしまう自分の思考に、まだ戸惑っている。