優しくて可愛くてかっこよくて大好きな夫と死別しました

事故か自死か。夫が消えた人生をこれから歩みます。なんて自分が書いてることが信じられない35歳です

後悔のパレード

これまでの闘病期間のことを回想している。

1度目の体調不良から回復した2019年の前半、夫は独りでもがいていた。私は、何かを押し付けることや、心配しすぎるのはよくないと思い、暖かく見守るつもりだった。本人が能動的に取り組むものについて、日々感謝の気持ちを伝えていた。でも、苦悩の内容について2人で話せることは数えるほどだった。私は、それも本人が話したいと思うときを待つのがよいと思っていた。本当はもっと夫にとって巻き込むべき人もいたが、それも夫が巻き込みたいと思う時を待とうと思っていた。そのときが、きっともっと先にあるのだろうと思っていた。まさか再度体調を大きく崩すことはないと信じ切っていた。

この頃、2ヶ月ほどの介護休職から復帰した私は、再度パワハラ上司の下で働いていた。

私が夫の看病のためしばらく離れた間に、上司のパワハラのターゲットは別の社員に変わっていたが、今度は私がその間に立つよう依頼された。上司自身、次々と部下をつぶしてしまう自分が怖かったのだろう。部下が自分の言葉を真に受けて、元気がないから、指導係をしてほしい、と。その部下はストレスで休みがちになり、通院し、日々泣きそうな表情で仕事をしていた。夫の表情とよく似ているな、と思っていた。私は夫の看病のかたわら、その子がつぶれないよう一緒に仕事をした。

4月末でその子も異動し、上司のターゲットはその後任の社員に移った。陰口を言う上司の声に追い詰められ、ついにその子もストレスにより休職した。

6月、その上司が新たなプロジェクトを立ち上げ、私もそれに駆り出された。残業時間は、しっかり36協定を超えていたが、事前に相談されていないという理由で残業申請は削除を指示された。

夫が回復できるか、できないかは、この半年間にかかっていた。7月から、いよいよ夫は本格的に体調を崩すこととなった。

私の残業時間は、復職直後に月20時間ほどだった1、2月に比べて、6月頃には帰宅時間が22時を過ぎていた。

あのアパートの暗闇で、夫が朝から晩まで独りぼっちで待つことが、どれほど苦しかったことだろう。寂しいとかいう気持ちではない。苦しい。圧倒的な孤独。その孤独感も明確に言葉で伝えられていたのに、私は仕事に没頭してしまった。一体なにを天秤にかけていたのだろう。一体なぜそんなかわいそうなことをしてしまったのだろう。今なら仕事の時間を短縮してでも、少しでも夫と一緒にいる時間をつくったのに。あの時間ほど、夫の回復を生み出せるときはなかったのに。

6月、年明けからオープンダイアローグの往診で来ていた医療者らと夫を含め1時間話した。私は夫の塞ぎ込んでボーッとする状態に緊迫した何かを感じていた。夫は、このとき自分の孤独感や苦しみについてよく話してくれた。夫が苦しみの矢印をようやく外に向け、言葉をぽろぽろと述べて周りの意見を求めたのに、医療者はそれを受けて、その矢印を再度夫に差し込むようなコメントを重ねた。

「ものすごく孤独。図書館やスーパーなどで人と交流すれば何か変わるかと思ったが、変わらなかった」と言う夫に、私は「何か簡単なバイトや集まりに行って人とつながるのも一案かもしれない」と言った。もちろん、押し付けるつもりはないが、選択肢を色々と並べたかった。これに対し、1人の医療者は他にも選択肢を加えてくれた。最後に発言した担当医師は、「果たして人と関わることだけが孤独を解消するのでしょうか?」と混迷に戻す言葉で締めくくった。

きっと、医師としても何か言いたいことがあったのだろう。何かその先にあるものの、主観はいわない主義と言っていたので、解のない疑問だけ投げ込まれた。これに、夫は何も言えなくなった。夫の孤独の矢印は、再度自己解決を求められるように、夫に突き刺さった。

7月、夫が参加した最後のオープンダイアローグ。苦しそうな夫の隣で心配になってオロオロする私。リフレクティングで医師は「奥様がフラストレーションを溜めていらっしゃいそうですね」と言った。まるで、私の過剰反応であるかのように。今なら、あの発言がいかに価値のないものかわかるが、私はその言葉に絶望し、そうなのか、この人は我々のこの苦しみに入ってきてはくれないのか、そして私が騒がず見守ればよいということなのか、と解釈した。

なぜ、あの医療者は2人をもっと包んでくれなかったのか。あんなに苦しみと不安に溺れる2人を、なぜあの医師はただ傍観したのだろう。どっしりと構え、逃げることなく、我々を受け止めて欲しかったし、向き合って欲しかった。奢り、自己愛、個人的苦悩。これを不器用にも全身に充満させたあの医療者に、他者に寄り添う余裕も能力もないのに。その人のどの部分にも、夫の声が浸透するスペースなんてなかった。

結局、他人を恨んでも、彼らが自分の行いを認めることはないし、私たちが救われることもない。それに、何より私が彼らを一蹴して、自己責任で夫の妻として奔走すればよかった。そんなこともせず、彼らにのうのうと従っていた自分が、情けなく、悔しく、自責の念にかられる。

今、この精神状態になってみて、はじめて私にもわかる。日中1人でいることはいい。でも、暗くなってから独りでいることは、とても不安で、苦しい。闇に飲み込まれて、その中でうなだれて倒れているような時間。それが1ヶ月も続いたら、きっと精神的な病を発症すると思う。そんな環境下に夫を置いていたんだ。それをしていたのは、紛れもなく、自分。