優しくて可愛くてかっこよくて大好きな夫と死別しました

事故か自死か。夫が消えた人生をこれから歩みます。なんて自分が書いてることが信じられない35歳です

すごい医師

あの日、夫は亡くなってしまったけど、もし亡くならずに話すことができていれば、何をするつもりだったか。

ようやく集まった夫家族と一緒に夫も含めて話し合って、説得をして、そこから多少力づくでも家族の力をあわせて、夫と病院に行こうと思っていた。夫の家族は、その一連のプロセスを警察OBの移送業者に頼もうとしていたが、相談先の病院からは、夫が家族との話し合いにも応じるのだから、そんな手粗いマネはしこりが残ると言われて、夫家族にも説明して考え直してもらった。

その相談先の病院には、夫の状態をしっかり診てくれる医師がいることがわかっていた。闘病期間中、私は家族相談などで何人もの医師と話した。その中でも、私が1人だけ「ピン」ときた医師がいた。元々は、行政の相談会で相談したのが始まりだったこの医師は、私が素人ながらに抽出した夫の主な症状について、とてもよく理解してくれた。そして、今の夫の状態を踏まえて、この先の見立てとか、治療の考え方について話してくれた。

医師との考え方や呼吸が合うことは、信頼感の醸成のためにとても大事なことだと思う。私がこの医師を信頼した理由の一つに、夫の具体的な症状に興味を持ってくれて、その特徴や個性をよく理解し、そこからありうる診断や、その中でもこの医師としてどの診断が有力と考えるか、わかりやすく説明してくれたからだ。そして、似たような事例として紹介してくれた話は、夫の症状ととても似ていた。経験があるからこそ、そして日頃からそういった患者ごとの差異によく注意を払っているからこそ、こういう話ができるのだと思った。あんなに私に納得感を与えてくれた医師は、他にいなかったし、この医師であれば、夫を診てほしいと思っていた。

今となってはとても悲しい話だが、この医師から、夫の苦しみが私に向かっている限りは良いが、夫自身に向かった時が一番危ない。回復してきた時にそういうことは起こる、と忠告されていた。夫の死後に、この医師への相談時のメモを読み返して、唖然とした。あの医師は、本当にすごいな、と占い師にでも会った気持ちになった。

最初から、こういうベテランの医師を信じて、ついていっていたら、違う結果になっていたかもしれない。私と夫は、あるきっかけから、ずっと精神科医ではない医師の往診を受けていた。そして、あれだけ長く密な期間を過ごしたのに、最後には逃げるように往診を終了されてしまった。あの放り出されたときの、夫と、私の、絶望感。もう、手に負えないということだったのだと思う。

これまで、医療なんてかかったことがなかったから、きっと私も夫も、賢い患者ではなかった。医者の専門分野とか、専門医の考え方なんて、よく知らなかった。でも、治療を行う上で、その分野での経験とか、専門性とか、理解力とか、あらゆる面で、大切なことがたくさんあるのだと思う。それを知って、賢い選択をする役割は、当事者の私たちにあった。わからないからと言って、流れに任せていてはいけない。夫は私にそれを任せていたし、私はこの往診医に任せていたし、2人はずっと医師に遠慮もして、受け身だった。医療というものはお医者様と患者という関係性でしかないと思っていた。今思うことは、やはり患者側が当事者として自分の状態にベストを尽くさなければ、医師からのベストを受けられるわけもない。あるいはこの医師ではまずいかもしれないという危機感を持てるわけがない。賢い患者として、医療の知識を持った上で、質問、意見、要求、努力など、遠慮せずに言葉にすることこそが、自分の命を守ることにつながるのだと思う。

それにしても、もしあの日夫が亡くならなければ、夫は先の医師の病院に通うこととなり、世界はまた違っていたかもしれない。永遠の治療ではなく、有限の治療で立ち直ることもあったかもしれない。あと半歩のところで全てが終わってしまったことが、とても無念だ。