優しくて可愛くてかっこよくて大好きな夫と死別しました

事故か自死か。夫が消えた人生をこれから歩みます。なんて自分が書いてることが信じられない35歳です

がんじがらめ

今朝、二度寝の合間だったか、夫が久しぶりに穏やかな表情で夢に現れた。

寝る直前に夫の写真を見たからかもしれない。

私が夫くんに何か言葉を投げかけていた。良くなってくれて嬉しい、だったのか、早く一緒に暮らしたい、だったのか、そんな恋い焦がれる気持ちを言葉にしていた。それに対して、夫は優しくはにかんで、「でも僕、また体調崩しちゃうかもしれないよ」と言った。私は、そんなこと全然気にしない!と言いかかったところで目が覚めた。布団の中の私は、両手で夫の手を握っていた。左手で手を握って、右手で繋いだ2人の手を包んでいた。夫の手だけ、そこになくて、すごく寂しい気持ちになった。

夫が亡くなってから今まで、夫が亡くなってしまった理由をたくさん振り返ったので、この後の私は、夫が亡くなったことをいよいよ受け止めていくのかと思っていたけど、ちょっと違うみたいだ。最近の私は、夫に戻ってきてほしいと思う方向に進んでる。もう一度チャンスが欲しいと何度も思う。あの時あそこまで悲観しなくても、明るく生きていく方法が2人にはあったんじゃないかと思う。ただ、私はそう思えるけど、夫がどうだったのかわからない。そこがずっとわからなかったから、悩んでいたし、迷っていたんだよね。

よく聞いたのが、こういう病の場合、当事者の周りの人にとっては本人が医療につながるまでが大変で、当事者自身は、医療につながった後の方が大変ということ。本人が医療につながるまで、周りの人間は経験したことのない色んな事態に遭遇して、疲弊する。でも、本人は日々の出来事が記憶から抜け落ちたり、ことの重大さに気付いておらず、受け止め方が少し異なったりする。一方で、医療につながったあと、当時者は薬で鎮静化されて、周りは楽になる。「あー、本当に大変だった」と思う。多分この時に、周りが楽になる理由って、さっきまで家族で共有されていた問題が、当事者の中に押し込まれただけなんだと思う。だから、当事者はそこからずっと、この苦悩に孤独に向き合うことになる。

そんなことも考えていたから、私は、私を含む夫の周りの人間が、これまでの自分の行いを自覚したり、反省したりすることが大事だと思っていた。夫の苦悩を生み出した彼の家族も、私自身も、みんなで夫と一緒にこの問題に向き合うべきだと思っていた。夫の家族が逃げたままの状態で夫だけ病院に入れると、これまでの家族の問題がうやむやになってしまう気がした。散々家族に苦しめられてきたのに、夫だけが脆かったような話になる。夫がこれまでに感じた痛みをしっかり分担することが、その後の夫の孤独を減らすことにつながると思っていた。

実は半年間、夫が我に返って体調が戻ったとき、当時の医師から、夫の苦悩が家族にも関係あるので、夫の家族にも状況を伝えることを提案された。夫は、それには賛同しなかった。私も、夫の意思を尊重したかったし、一番良いタイミングは夫がわかると思っていた。夫が再度体調を崩して、私がそのことに向き合いはじめて、夫が躊躇った理由がわかった。この状況を知ったところで、夫の家族は何も向き合わない人たちだった。どこまででも、恐らく耳栓をしてでも、逃げる人たちだった。そのことを夫は生い立ちの中で、嫌と言うほど理解していたんだと思う。だから、伝えたところで、自分が傷つくことも想像できたのかもしれない。夫の家族は、私から状況の説明を受けた後も、たびたび音信不通になったり、数行のメールだけ送ってきたり、家族内でお互いの非難などをしていた。

夫の体調が大きく変わるような重要な場面で夫の家族に意見を聞いても「わかりません」「そうですか」「わかりました」「お任せします」そんな返事しかなかった。夜、アパートで私が一人で極限まで追い詰められて相談したときも、この無責任な一言の返信を受け取ることで、心が潰されるような気持ちになった。そんな夫の家族に対して、私は何度も状況を説明し、お願いし、嘆願し、それでも適当にあしらわれ、無視され、なかったことにされ、約束を取り付けて希望を感じた後に約束も破られ、開き直られ、なだめられ、そんなことを一年間、12ヶ月、ずっと続けていた。最終的に私は夫の家族に対して、腹の底から怒鳴り散らした。あんなに制御できない、どうしようもないほどの怒りを誰かに感じて、かつぶつけたことって、なかった。

そんな私の魂が震えた一撃の結果、この家族は少しことの重大さに気づくこととなった。親の経済問題という夫の苦悩を解消すべく、定年後のアルバイトを確保させることにつながった。そして何より、長らく夫を苦しめた家族の一人を、精神科につないで、治療を開始させることができた。全て、幼少期から今に至るまで、夫に呪いのように覆いかぶさっていた家族の問題だ。その解消の一歩を進めることができた。

そんなことが全て実現して、私はいよいよ夫を助け出せると思っていた。ここまでやった後なら、夫の今後にみんなで向き合うことができる。そんな希望を胸に抱いて、勇み足で夫に会いに行った。でも、まさにその当日、夫は勢いに押されて、亡くなってしまった。

運が悪い。本当に、運に見放されたと思う。そして、また同じ状況に陥ったとき、私はどう対応するのだろうと考える。

夫の不器用さと、私の不器用さが変にミックスした。2人でいろんなことに、がんじがらめになってしまった。その結果、最愛の2人の別れという、とてつもない苦しみにつながってしまった。お互い、これだけは避けたかったんじゃないのだろうか。

夫は死んでその苦しみを体験し、私は生きながらこの苦しみを体験している。

せめて、生か死か、どちらかの世界で一緒に体験したかったな。