優しくて可愛くてかっこよくて大好きな夫と死別しました

事故か自死か。夫が消えた人生をこれから歩みます。なんて自分が書いてることが信じられない35歳です

亡くなりたて

夫はまだ亡くなったばかりです。

 

学生時代から、2人で子犬のようにじゃれあって生きてきました。

交際9年、結婚してからまもなく6年。

出会って15年も一緒にいたと思えないほど、ただただ出会った時のまま、好きでした。

 

最後の2年間、夫は長年の夢が破れて、とても苦しんでいました。

苦しみの根源は、私や夫の両親を含む誰からも、自分を理解してもらえなかったこと。

 

夫が見たことないほど苦悩する姿にうろたえながらも、私は全身全霊で夫を支えた日々でした。亡くなる3週間前までは。そして亡くなる直前までは。

 

死の3週間前から、夫が死に至る瞬間まで、やり直せるならば、やり直したいことがいくらでもあります。

 

夫を一番側で支える私の役割には、本当に多くの理不尽が付き纏いました。毎日が周囲からの視線、注目、批判、苦情の連続で、私はこれまで経験したことのない謝罪だらけの日々になりました。一人で踏ん張るにはあまりに重たい任務を、ずっと一人でこなしていました。何度私一人では苦しい、助けて、と伝えても、その声が意図した人に届くことはありませんでした。

 

そんな中、この苦しみからくる怒りを夫にぶつけてしまうこともありました。それは、もちろん極限まで我慢した結果、溢れるように出てしまう言葉で、そのために重みがあったり、尚更夫を傷つける力を持つ言葉でした。

 

衝突はこれまでもありましたが、夫の死の3週間前の衝突の後、私は少し考えました。私は夫と仲直りはしつつも、少し距離をおくことにしました。これでまた私が夫に駆け寄ったら、また周囲に私任せにされてしまい、また2人だけで苦しむ日々になる。夫には少しの辛抱をしてもらい、私は任務を放棄したように見せて、周囲を巻き込もう。そう思って、私は夫を心配する自分の気持ちを封印し、夫を一人にして社会的な軋轢を生ませることで、周囲に対応を求めました。

 

夫が周囲とのトラブルを生んでいく中、これまで石のように動かなかった人々が動き出し、私は横で押したり引いたりしながら、夫が必要とするメンバーを結集させるべく、何度も交渉しました。そして、ようやく夫が愛する人々の理解と協力を得るまでに至りました。それは、夫が亡くなる前々日のことです。

 

夫が亡くなる当日、集まったメンバーは、「夫を苦悩から救い出す」ことを共通の目標として、強い愛と団結力と意気込みを持って、夫に会いに行きました。

 

しかし、この意気込みが意図しない形で暴力性を備え、夫を極限まで追い込み、夫は死に向かってしまいました。集団心理とは、なんと暴力的なものなのでしょう。

 

これを事故というのか、自死というのか。

夫はこれからも生きる意志を荷物につめて、まさに出かけようとしているところでした。

こんな結末を迎える必要性は、どこにもなかったのです。

夫の行為を自死と表現することは、あまりに夫にとって理不尽です。

 

夫は、とてつもない苦痛の中で2年生き抜き、最後に近しい人々の力で死に追いやられてしまいました。私もその追いやったひとりです。でも、誰よりも夫の回復のために力を尽くしたのも私でした。

 

こんな理不尽が世の中にあるのでしょうか。

 

夫が亡くなったことがまだ信じられません。

こんな無限の地獄が、若い頃の無邪気な夫と私を将来待ち構えているなんて、思ってもみませんでした。

 

今はただ、起こってしまったことの意味、夫の人柄、生きにくいこの世の中、夫のいない世界で生きる自分、初めて消えてしまいたいと思うこの気持ちについて、じっくり考えて行きたいと思います。

 

ポイントは、じっくりであって、ゆっくりではありません。

生きるのであれば、私は人生を充実させたいし、再婚も子育てもしたい。

この地獄の中で生き抜くことは絶対にしたくないから。それこそ、それは地獄なのです。