亡くなりたて
夫はまだ亡くなったばかりです。
学生時代から、2人で子犬のようにじゃれあって生きてきました。
交際9年、結婚してからまもなく6年。
出会って15年も一緒にいたと思えないほど、ただただ出会った時のまま、好きでした。
最後の2年間、夫は長年の夢が破れて、とても苦しんでいました。
苦しみの根源は、私や夫の両親を含む誰からも、自分を理解してもらえなかったこと。
夫が見たことないほど苦悩する姿にうろたえながらも、私は全身全霊で夫を支えた日々でした。亡くなる3週間前までは。そして亡くなる直前までは。
死の3週間前から、夫が死に至る瞬間まで、やり直せるならば、やり直したいことがいくらでもあります。
夫を一番側で支える私の役割には、本当に多くの理不尽が付き纏いました。毎日が周囲からの視線、注目、批判、苦情の連続で、私はこれまで経験したことのない謝罪だらけの日々になりました。一人で踏ん張るにはあまりに重たい任務を、ずっと一人でこなしていました。何度私一人では苦しい、助けて、と伝えても、その声が意図した人に届くことはありませんでした。
そんな中、この苦しみからくる怒りを夫にぶつけてしまうこともありました。それは、もちろん極限まで我慢した結果、溢れるように出てしまう言葉で、そのために重みがあったり、尚更夫を傷つける力を持つ言葉でした。
衝突はこれまでもありましたが、夫の死の3週間前の衝突の後、私は少し考えました。私は夫と仲直りはしつつも、少し距離をおくことにしました。これでまた私が夫に駆け寄ったら、また周囲に私任せにされてしまい、また2人だけで苦しむ日々になる。夫には少しの辛抱をしてもらい、私は任務を放棄したように見せて、周囲を巻き込もう。そう思って、私は夫を心配する自分の気持ちを封印し、夫を一人にして社会的な軋轢を生ませることで、周囲に対応を求めました。
夫が周囲とのトラブルを生んでいく中、これまで石のように動かなかった人々が動き出し、私は横で押したり引いたりしながら、夫が必要とするメンバーを結集させるべく、何度も交渉しました。そして、ようやく夫が愛する人々の理解と協力を得るまでに至りました。それは、夫が亡くなる前々日のことです。
夫が亡くなる当日、集まったメンバーは、「夫を苦悩から救い出す」ことを共通の目標として、強い愛と団結力と意気込みを持って、夫に会いに行きました。
しかし、この意気込みが意図しない形で暴力性を備え、夫を極限まで追い込み、夫は死に向かってしまいました。集団心理とは、なんと暴力的なものなのでしょう。
これを事故というのか、自死というのか。
夫はこれからも生きる意志を荷物につめて、まさに出かけようとしているところでした。
こんな結末を迎える必要性は、どこにもなかったのです。
夫の行為を自死と表現することは、あまりに夫にとって理不尽です。
夫は、とてつもない苦痛の中で2年生き抜き、最後に近しい人々の力で死に追いやられてしまいました。私もその追いやったひとりです。でも、誰よりも夫の回復のために力を尽くしたのも私でした。
こんな理不尽が世の中にあるのでしょうか。
夫が亡くなったことがまだ信じられません。
こんな無限の地獄が、若い頃の無邪気な夫と私を将来待ち構えているなんて、思ってもみませんでした。
今はただ、起こってしまったことの意味、夫の人柄、生きにくいこの世の中、夫のいない世界で生きる自分、初めて消えてしまいたいと思うこの気持ちについて、じっくり考えて行きたいと思います。
ポイントは、じっくりであって、ゆっくりではありません。
生きるのであれば、私は人生を充実させたいし、再婚も子育てもしたい。
この地獄の中で生き抜くことは絶対にしたくないから。それこそ、それは地獄なのです。