優しくて可愛くてかっこよくて大好きな夫と死別しました

事故か自死か。夫が消えた人生をこれから歩みます。なんて自分が書いてることが信じられない35歳です

恨みながら愛す

今日はイヴなのか。

外出しなくてよくて、良かったな。クリスマス気分ほど今見て悲しいものはないな。夫も私も、一番好きなイベントだったし。意味もなく明るく楽しく幸せなんだもん。それはもう、そこはかとなく。

2か月前の今日、最後に夫に会った。あの時に戻りたい。きれいな夕日を一緒に見てから、夫はコーヒーを飲んで、私はチョコパフェを食べた。全てがありえないほど苦しい中で、この瞬間だけ切り出したら昔と何も変わらないのにってあのとき思ったことを、今日思い出した。

私はその週は周囲の対応が遅々としていることに我慢の限界がきていた。愛があるなら今すぐ、あるだけの力を貸してほしいと伝えても通じない人々にひたすら掛け合っていた。夫にはそんなことは話さないことにしていた。夫が苦しいときに駆けつけない人がいることは、夫にとってあまりに悲しい話だから。

夫は、自分の周囲がどうしようもない人物であることをわかっていて、交際当初から、そのことで私に迷惑をかけまいと、とても気をつけていた。でも、こんな状態になっても尚、その人たちが本質的に何も変わってくれないとは、考えてなかっただろう。でも、どうしようもない人は、どこまでも、どこまでも、信じがたいほど、どうしようもないんだ。そのどうしようもなさの底に辿り着けるのは、大切な人が死ぬ直前か、死んだ後か、あるいは死んでも尚、目を逸らすのかもしれない。

私はこの日、夫のわがままな態度にも穏やかに対応しようと思って会いに行った。でも、3-4時間程一緒にいた後で、最後は喧嘩して、やり場のない怒りを夫にぶつけてしまった。怒りの対象は、夫ではなかった。怒りながら、なぜこの理不尽を夫にぶつけてしまうのかと自分が嫌になった。心の中で、私は夫の周りのどうしようもない奴らに、怒りが煮えたぎっていた。夫のせいではないのに。夫はこれまでその人たちに苦しめられてきた一番の被害者なのに。この日以来、亡くなるまでの三週間、私はこの周囲の人々の説得を続けて、ようやく協力を勝ち取った。その間、なんとか夫には歯を食いしばって待ってて欲しいと思っていた。

私が夫の傍にいる限り、その人たちは筆先の数ミリしか墨につけてくれなかった。私が隣で墨を飲み込んで溺れていようと。夫はその横で、もう墨に沈んでいようと。だから、筆先だけつけた人と、沈んだ人を残して、私はその場を去った。そうすれば、何かが変わると期待して。

でもね。どうしようもない人は、すぐに素晴らしい人にはならない。少しマシにしかならない。結局あらゆる観点から、夫の死をもって、作戦失敗が確定した。

しかも、今となれば、夫は私さえ隣にいれば、よかったんだと思う。夫は端からこんな人たちに頼ることを諦めていたかもしれない。頼ることは恥とすら思っていたかもしれない。「あの人たちを反面教師にして生きてる」いつもそう言ってた。

この一連の流れで一番彼らを巻き込みたいと考え、それが一向に叶わずに疲弊したのは、私だったのだと思う。

夫の役にこれからも私が立つために、私の負荷を少しでも持って欲しかった。夫に愛情があるなら、それを行動と態度で夫に伝えてあげて欲しかった。それも、片手間や空き時間にではなく、全力で。全身全霊で。そんな気持ちをずっと持っていた。

いっそのこと、あんな人たちがいなければ良かったのかな。助けられたこともたくさんあったけど、脳がプツンと切れるのではと思うほどの怒りを何度も体験した。夫のことをどれだけ訴えても目を背けられることや、無関心を貫かれることは、私にとって、夫の体調に加えて二重三重の苦しみだった。

夫にいつかでいいから、こんな話も聞いて欲しかった。夫だって、私をこの人たちから守ろうとしてたのに、自分抜きで両者がこんなにディープな関係になるなんて、思ってもみなかっただろう。でも、夫と私なら、全部洗いざらい話した上で、またこの人たちへの新たな愛情を生み出せたと思う。少なくとも私は、生み出せた。夫は、間違いなく私より大きな愛を生み出せた。

恨むけどね、間違いなく。あんなどうしようもない人々。でも、恨みながら愛せばいい。