優しくて可愛くてかっこよくて大好きな夫と死別しました

事故か自死か。夫が消えた人生をこれから歩みます。なんて自分が書いてることが信じられない35歳です

霊界のサードウェーブ・コーヒー

夫が亡くなる前の最後の瞬間、夫はどれほど悲しかっただろう、苦しかっただろう、悔しかっただろう?夫が亡くなってから、ずっとそのことばかり考えていた。最後の瞬間に夫を覆った感情は、どんなものだったのかとか、とても抽象的で、圧倒的で、夫をまるごと飲み込んでしまうような感情のブラックホールだったのではないか、なんて考えたりしている。

その感情は、夫を取り巻く「生」の世界に対するものだったのだろうと思う。じゃあ、「死」そのものについては、どう考えていたのだろう?とてつもなく苦しい「生」の出口としての「死」だったのだろうけど、死んでしまうこと自体の悲しさは、どう捉えていたんだろう。そればかりは、私には想像することもできない。生きることとの天秤で、夫の死の皿には、何が乗っていたのかな。

夫は、人生にたくさんの夢と希望を持っていて、毎日を幸せに生きたいと願っていた人だ。夫は33歳になってすぐに亡くなったから、34歳でやりたかったこと、35歳でやりたかったこと、40歳、50歳、60歳、70歳・・・この先当然やってくると思っていた未来の年齢でやりたかったことは、できないまま終わってしまった。

年齢だけじゃない。あのお店にもう一度行きたかったなとか、あの道をもう一度みんみんと歩きたかったなとか、あの国に一度でいいから行ってみたかったなとか、そんな夫の希望があったことを、いくらでも想像できる。

そんな、夫が生前に抱いていたいろんな夢や希望や将来への楽しみが、もう叶わない、叶えようがないと思うと、どれほど悔しいだろうと思う。

自分が死んでしまうことの悲しみって、きっと当人にあるよね。

でも、夫が亡くなる直前にそんなことに考えを巡らす余裕があったとは思えなくて、そもそも瞬間風速的なタイミングで亡くなってしまったと思うから、もし今頃おばけになってるのだとしたら、それこそ色々現世への未練があるだろうなと思う。夫のことだから、ものすごく強くこだわるか、あっさり諦めるかのどっちかだと思うけど、もし夫の魂というものがあるのだとしたら、いつもみたいに早々に諦めて、飄々としてて欲しい。

私が夫に未練たらたらで言うのもなんだけど、もう夫はこちらに戻ってこれない。霊界の夫には、私のドッペル探してもらって、霊界デートとかするくらい、幸せであってほしい。霊界のコーヒーショップで、やっぱサードウェーブに限るなとか言って、エスプレッソを味わってほしい。

他の亡くなり方であれば、あれもやりたかったな、これもやりたかったな、と色々な考えが亡くなる直前まであるのだろう。そういう人々の願いが絶えずこの世からシャボン玉みたいに消えて行っていると思うと、本当に人生は、儚い。

夫は、そういうことを考えられたのかな?今頃、悔しがってないかな。

私も悔しいから、一緒だよ。励まし合おうね。