優しくて可愛くてかっこよくて大好きな夫と死別しました

事故か自死か。夫が消えた人生をこれから歩みます。なんて自分が書いてることが信じられない35歳です

私宛ての小包

今日、部屋で仕事をしていると、昼過ぎにドアの外から父に声をかけられた。

「みんみん、郵便物届いてるよ」と。

私宛の郵便物なんて、夫の死亡関連とか、クレジットカードの請求書とか、行政関連の封書だろうと思ってドアを開けたら、父の手には私宛の小包があった。誰からだろうと思って差出人を見ると、私の親友からだった。

私は自分の仲の良いほんの一部の人、具体的には5人だけに、夫が亡くなったことを伝えている。最初は、この友人たちにもすぐ会えると思っていたけど、一向に自分が元気になる様子がなく、その機会は延期され続けている。「もう少ししたら元気でると思うから!そしたら又会ってやって!」とLINEやらiMessageやらで言い残して、私は彼らから姿をくらましたままだ。完全ひきこもりライフと思いきや、近所のコンビニやスーパーに行くことはたまにあるのだけど、それも2週に1度程度だろうか。それで、「そろそろ友達にも会いたいな!」と時々思うのだけど、その一歩が踏み出せない。きっと少しはその日に近づいているのだけど、会って話したいことだらけなのに、何から話せばいいかわからないし、話したところで気を遣わせてしまうかなとか、自分が泣きまくって止まらなかったらどうしようとか、色々思う。全て私が思いつかないような寛大さで受け止めてくれる友人たちだとわかっているのに、こんな状態だ。

友人たちにしてみれば、きっとどうしたら良いかわからないと思うのだけど、そんな状況下での、この小包だ。私は自分の友人たちがとてもとても好きなのだけど、今日もまた感動してしまった。こんな温かい気持ちを持った友人がいることを有り難く思った。なんて優しいのだろう、と。

小包を開けながら、夫のことを思った。夫が抱える苦悩の中で、一番はっきり話してくれたことが、「ものすごく孤独。僕にはみんみんしかいない」という言葉だった。何度考えても、少なくとも私という人間がいたのに、こんな思いをさせてしまったのは、私の力不足だったのだと、つくづく思う。しかも、この発言を聞いた時には、「そうか、他の人とのつながりを生めたら良いのかな」と思った。それも大いにあるのだけど、私が何よりも早くできたことは、仕事も人生も100点満点目指して頑張るのではなく、たった一人の夫のために、もっともっと、気持ちも時間も生きる意味も、このとき全てを、夫に注ぐことだったのだと思う。そうすることで、きっと夫に一人じゃないと気付いてもらうことができたのではないか。そうすることで、夫の苦しみの再燃を防げたのではないかと思っている。

今日は、これに加えてもう一つ思ったことがあった。夫にも、こんな優しい友人がいればよかったな、と思った。夫が苦しい時に苦しいと打ち明けられる友人。夫が音信不通になると、自ら駆け寄ってくれる友人。夫が私と交際する中で、どんどん友人関係も疎遠になっていったように思う。そして、疎遠になるに連れて、弱音も吐けない関係性になっていたのではないか。夫は、きっと小包を受け取った私を見て、「みんみん、よかったね。みんみんのお友達は、とっても優しいね」って喜んでくれたんじゃないかな。小包を開けるとき、ふと夫の遺影を見たら、今までで一番くらいに、夫の笑顔がいきいきして見えて、しばらく見つめてしまった。

小包を開けると、中には素敵なパッケージのコーヒーが入っていた。私がとてもコーヒーが好きなことを知って選んでくれたんだって。製造元のお店の名前が、偶然にも姪っ子と同じ名前だった。そこから夫と姪っ子のことを思い出した。

姪っ子は、私にもとてもなついてくれたけど、誰より夫のことは、とても好きだったように思う。まだ会話もたどたどしい頃から、夫のことを「夫くん!」と呼んで遊んでもらうことが多かった。私の姉夫婦も両親もいるときに、姪っ子が真っ先に甘える相手に選ぶのは夫だった。本棚から絵本を取り出して、よたよたと夫のところまで持っていき、「私をあなたの膝に乗せてこの絵本を読み聞かせて」と言わんばかりに、夫の膝下で頬を赤くして待っていた。その姪っ子の萌〜な姿と、夫くんのなされるがまま感が、私はとてもおかしく、愛おしく、「あははは、夫くんめちゃくちゃ気に入られてるー!」と喜んでいた。きっと私は、姪っ子が可愛いだけでなく、姪っ子が夫くんのことをかっこいいお兄さん認定してくれるのが、とっても嬉しかった。

でも、この日、姪っ子たちと別れた後に夫に言われたことにびっくりした。「みんみん、あんなに姪っ子が僕のことを好きだなんて言わないでよ。きっと〇〇くん(義理のお兄さん)は嫌だったと思うよ」と言われた。

それ以降姪っ子に会うと、夫はなんとなく警戒した表情をしていて、あまり姪っ子に近寄られないようにしていた。今考えれば、確かに夫のいう通りなのかもしれない。義兄はものすごく穏やかな羊のような人で、腹を立てたりなんかはしていない。姉に聞いたときにも、「そんなこと気にしてないと思うよ」と言われた。でも、確かに義兄は娘をとてもとても、溺愛している。きっと夫くんは、敏感に何かを感じ取ったのだと思う。あのとき義兄が、どこか寂しいような顔をしていることに、気づいたのだと思う。

コーヒーのパッケージに書かれた姪っ子の名前を見ながら、このことを思い出して、また私の思考はふっと当時に飛んでいった。夫くんの気遣いとか、優しさとか、謙虚なところに、涙してしまった。私が同じ立場だったら、きっと素直に喜んでしまうだろうな。ましてや、自分の夫がそのことを褒めて喜んでくれていたら、きっとそれ以上深く考えることはないと思う。

夫は、本当に人の気持ちによく気づく人だったな。

自分が喜ぶ前に、他の人に遠慮する人だったな。

私はそんな夫のために、どう変われたのかな。どうしたら、役に立てたんだろう。