優しくて可愛くてかっこよくて大好きな夫と死別しました

事故か自死か。夫が消えた人生をこれから歩みます。なんて自分が書いてることが信じられない35歳です

進んでみる?

夫が亡くなった当日から実家に戻って、両親のお世話になりはじめて、もう半年以上が経つ。

夫と2人で孤軍奮闘していた時や、夫が死ぬという衝撃的な結末を迎えた時、自分の親への複雑な気持ちがたくさん湧いていた。なんでもっともっと、手を差し伸べてくれなかったのか、助けてくれなかったのかという気持ちでいっぱいになって、泣いたこともあった。でも、亡くなった後の今日までは、実家で受け入れてもらって、ひたすら親やおばあちゃんに感謝をするばかり。

引っ越してきてから今日まで、ほぼ毎日3食(あるいは寝過ぎてると2食)、美味しい美味しいご飯を出してもらっている。3時にはおやつとコーヒーを部屋まで届けてもらっている。たまにそのおやつがオーブンで温めたアップルパイとバニラアイスだったりすることもある。だらしなさの塊みたいになって過ごす私への指摘も余計なお世話も、なんにもない。しいて言えば、昨日みたいに暑い日にノースリーブを着ていると、おばあちゃんが「寒いから何かはおらな〜」と言ってくる程度。私がお菓子を食べまくろうと、お酒飲みまくろうと、パジャマ姿でいようと、荒れ果てた寝起きの頭で過ごそうと、親もおばあちゃんもなにも対応が変わらない(笑)これ以上恵まれた死別後の環境はないと思う。

それなのにそれなのに。

やっぱり私は、実家を出ることにした。一軒、気になったところを内見をして、しっくりきたので、申し込んでみた。あれほどどの駅にしようか迷っていたのに、結局全然知らない街にした。全然知らない街に降り立ってみたら、意外なほど気持ちが安らいだから。死別してからずっと、知ってる街に行く機会しか作ってなかった。社宅のあった街とか、学生のとき2人で過ごした街とか、新婚生活を過ごした街とか、夫が亡くなった街とか。夫の姿が、街中のそこかしこに浮かんで、どの通りの、どの場所でも、夫と歩いたり、立ち寄ったり、買い食いしたりして過ごした街だから、そりゃ爽やかな気分になんか、なりようがなかった。

今回見に行った物件は、周りに緑があって、ステキなお店もある。今の私には丁度良い、ほんのちょっと非日常感がある。こじゃれたショップとか、ベーカリーとか、カフェとか、習い事の場所もある。そして物件は、大きな窓がある。私は、物件を見る時、一番窓を見るのが好き。見つけた物件は、リビングも、お風呂にも、トイレにも、洗面所にも窓があって、合格!って思った。ここで、窓の外の空を見ながら、ぼーっと過ごしたいなあと思った。よく見ると、ちゃんと夫くん用のスペースもある。壁の一部が飾り棚みたいになってて、夫の写真を置くのにぴったりだった。ここでしばらく、一人でゆっくりゆっくり、自分に起きたいろいろなことに向き合いたいなあ、なんて思った。夫がいなくなってしまったこと、これから一人で生きていかなければならないこと。誰の何のためでもない人生になって、その中でも衣食住を整えて、仕事もしていかなければならないこと。

なんで実家を出ようと思ったかというと、こういう現実に、もう少し向き合いたいと思ったからだと思う。向き合うのが正しいこと、なんていうつもりはなくて、マゾかなと自分でも思うけど。今の実家では、ほんっとにスライムになっちゃうから、自分から背中に定規を差し込みたかったんだよね。実家にいる限り、なんでも家族のせいにできちゃうし、なんでも逃げられちゃうし、いろんなことの理由がすごく曖昧になる。一人暮らししたら、自分だけだから、責任もでて、良いかなって。

とは言いつつ、自分でも申し込むとは思ってなかったから、けっこう驚いてるし、一週間暮らしてみて、やっぱムリ!!!!!!!!!!!ってなる可能性だってある。その場合は、また実家に戻って、別宅にすれば良いかって思ってる(笑)