優しくて可愛くてかっこよくて大好きな夫と死別しました

事故か自死か。夫が消えた人生をこれから歩みます。なんて自分が書いてることが信じられない35歳です

日光パターン

希望の物件の内見をしたのが週末で、その後申し込みをして、今週はどかーんと落ちるのかなと思っていたら、なんだか飄々と過ごしている。

夫の苦悩とか苦しみとか悲しい場面が少し自分の意識から遠のいて、夫の可愛いところとか、おちゃめなところが時折頭に浮かんでいる。亡くなった日以来ずっと、悲しみに打ちひしがれる日々が続いていたけど、ここ数日は、ちょっと気持ちが軽い。ものすごい焦りとか、ものすごい罪悪感に襲われることがない。もちろん泣く時間もあるし、ずーっと夫が亡くなっていると言う事実は頭から消えないのだけど、それでもちょっと、なにか違う。

私は大体何かちょっと勇気のいることを決めると、そのしばらく後にある「当日」の直前になって、不安になることが多い。学生のときからそれは顕著だった。直前まで夫にびーびーぶーぶーと自分がいかに不安であるか伝え続けるのだけど、夫がずっとその不安を聞いてくれて、でも特に恩着せがましいアドバイスとかはなくて、可愛い気休めしか言わなくて、私はある種の自己解決をして、当日その会場に足を踏み入れる直前まで夫にメールで「残り100m」、「50m」、「10m」、「30cm」、「行ってきマス!!」と実況中継を聞いてもらって、終わってみれば「なんか楽しかった〜⭐︎」みたいに報告することばかりだった。

その最たる事例が、学生時代に履修したある授業。その授業は別の学部の集中コースで、夏休みだけ参加すれば良かった。日光での合宿形式のそのコースを履修すると、半年の単位がもらえるもの。テーマに興味があったので申し込んでみたものの、知っている人は一人もいないし、大学中の学部から人が集まるものだったので、イケイケな人ばかりで、合宿で浮いてつらかったらどうしよう、とずっとぐずっていた。当日も他の履修者が集まる時間に行くことができず、何か理由をつけて恐る恐る夕方に合宿所に到着した。そこで会った人たちが、みんなとても優しくて、興味も同じで、私はめちゃくちゃエンジョイして大満足して合宿から帰京した。

夫にしてみれば、直前まで不安がって困っていた私に寄り添っていたのに、合宿が楽しくなると「楽し〜よ〜!」みたいに言われて、まったくみんみんはいつもお調子ものだ、と呆れていただろう。以後私のこの行動特性は夫から「日光パターン」と命名された。私が新しい一歩をマゾのように踏み出すときにうじうじぐだぐだ言っていると、「また日光パターンかもよぉ?」と励ましてくれる。ここで決して「また日光パターンのくせに」と鼻で笑わないのが夫の素晴らしいところで、本当にこうして書いていても尊敬してしまう。本当に、すごい。本当に本当に、稀有な人。

ただ、私も夫も必死になった数年前の経験では、「きっと日光パターンのはずだ」と2人で意気揚々と出発したのに、すぐに「これは日光パターンではなく、ガチできついやつだ」と発覚し、これが原因で二人は潰れてしまった。少なくとも夫は潰れ、私は自分が潰れないように、夫を利用してしまったのかもしれない。そんな自分への疑念がぐるぐると回って、恐ろしくて自分を追及できずにいる。

夫の闘病にしても、やっぱり最後は回復して笑うつもりだった。ある種の日光パターンになるはずだった。

そうして私の人生は常に、日光パターンで進んでいくはずだった。死ななければ、人生の一番最後まで、日光パターンでの挽回はありうる。夫と私であれば、お互いさえいれば幸せは感じれられたはずで、日光パターンは本来可能だったはずなんだ。でも、死んでしまったら、もう取り返しがつかない。死んでも尚、夫の分も取り返す方法を模索するのが私の人生なのか。

死んだら、終わり。死んで消えるということは、やっぱり人にとって、恐ろしいことだ。一切の存在の消失。そんなことを受け入れることは難しい。無に還る。それを受け入れることなどあるのだろうか?

夫が経験したような悲しい死は、全力で回避したかった。夫が死ななくて済むようにベストを尽くすのが私の役割だったと思うと、死なせてしまった大罪に押し潰される。もう潰されれば良いのに、私は不快なほどしらばっくれて、潰れない。せめて夫くんは私という人間から愛され続けているという痕跡を残すことしかできない。