優しくて可愛くてかっこよくて大好きな夫と死別しました

事故か自死か。夫が消えた人生をこれから歩みます。なんて自分が書いてることが信じられない35歳です

命日Pizza

夫が亡くなってから、4ヶ月経った。

4ヶ月前までは、あの大切なひとが、この地球にいたんだ。

4ヶ月前のあの朝、私が少しでも夫の気持ちに思いを馳せることができたなら。夫がどれだけ苦しんで、追い詰められているか、考えることができたなら。他のどんな人や物や事がどうなろうと、私は全ての意地と悔しさを捨てて、全速力で夫に駆け寄って、両腕を開いてしがみついただろう。死に向かおうとする夫を全力で止めただろう。もし振り切られても、間違いなく諦めずに縋っただろう。きっとそのまま一緒に死んでいただろう。それほど、夫一人が死ぬなんてことは、許されないことなのに。そんなこと、絶対に起こさせないはずだったのに。

毎日このことばかり考えていると、生きられないほどに苦しく、つらい。でも、月に何度かは、それかせめてこうして命日には、このことを考えたい。自分にどれほどのチャンスが与えられていて、いくつもの機会があって、あふれるほどのサインを夫に送ってもらっていたのに、私が踏み出す一歩を間違えてしまったということ。その後悔。その詫びても何にもならないほどの過ち。写真の中の夫が私に優しく笑いかければかけるほど、この人の力になれなかったことを悔やみ続ける。そして、私自身が夫という人生の相棒を、私にとって奇跡みたいな人を、失ってしまった。だれも、だーれも、ひとつも幸せになんてなってない。

今日はふと思い立って、夫のために1日過ごそうと思った。普段は気休めに死別ブログを読んだり掲示板を読んだりネット記事を読んだり賃貸探したり自分にばかり時間を使っているのだけど、今日は夫が亡くなって初めて、夫の写真の周りにお花を飾ろうと思った。それで、庭に椿が咲いてるのだけど、中でもうすーいピンク色と真っ赤なものがとても可愛いので、それをいくつか、咲いてるものや蕾のものを切って、オブジェで置いていた2本のCoca-Colaのビンに挿した。ついでなので、おじいちゃんの仏壇にもほしいかなと思っておばあちゃんに聞いたら、「椿は花が丸ごと落ちるのが首が落ちるみたいだから、仏壇にはあげないんだよ」と言われた。「でも、もう首落ちてるじゃん」と私は返したのだけど、おばあちゃんは耳が悪いので、「ええ?」と聞き返され、もう一度、「もう首落ちてる!」と言ったけど、また聞き返され、最後は「もう死んでるからあーーー!!意味ないよねぇーーーー????」とでかい声で叫んだ。「うん、いいんじゃない」とクールに返されて、私もふうむと思って、夫の椿はそのままにした。でも、お花を写真の周りに飾りながら、花弁とか葉っぱが写真の夫のほっぺに当たったりして、「僕こういうの苦手ェ〜」って言ってそうだなと思った。思わず声に出して「虫いないから大丈夫!」って写真に語りかけちゃったよ。夫くん、お花関心ないもんね。私もほぼないけど。夫に花束もらったことって一度もなかったな!やっぱり、二人とも虫が嫌いなのだと思う。そして虫がいそうなお花は苦手なのだと思う。

夫の写真周りが充実したところで、キャンドルを灯して、オザケンの音楽もかけて、ピザを注文した。夫と一緒に貯めていたGoTo Eatキャンペーンのポイントがあって、それを使って夫が好きなものを食べようかなと思って調べたのだけど、よくよく調べたらデリバリーはポイントの対象外とのこと。それでもなんとなくピザなら夫くんが一緒に食べてくれる気がして、Pizza-Laの豪華な4種ピザを頼んでみた。そして炭酸飲もうかなと思ったけど、コーヒーも飲みたいなと思って、ホットコーヒーとピザを並べて、自分の部屋で夫の写真を見ながら食べた。それにしても、びっくりした。ピザがこれでもかというほど美味しかった!せいぜい食べて2枚程度かなと思ったけど、4枚も食べてしまった。食べながら、美味しいよ、ねぇおいしいね、って写真に言いながら、涙がぼろぼろ落ちた。ピザは美味しいし、涙は止まらないし、オイリーな食事にコーヒーもよくあって、気持ちがあっちこっち忙しかった。4種類、どれを食べても、一口目で「ん!おいし!」って言って夫の写真を見るたびに、この顔、何度も夫に見せていたんだろうなと思って、夫は私とのこういう時間、また過ごしたいと思ってくれないのかなって、悲しくなった。2人で食べてるつもりだけど、圧倒的に1人だってわかって、なんとも、なんとも、悲しくなった。

でも、ピザがあんなに美味しかったのは、夫が魔法をかけてくれたのかな、なんて。