優しくて可愛くてかっこよくて大好きな夫と死別しました

事故か自死か。夫が消えた人生をこれから歩みます。なんて自分が書いてることが信じられない35歳です

桜の木

私がこのブログをはじめたのが2020年11月。もう1年になる。と言うことは、夫が亡くなってから、まもなく1年だ。

亡くなった時から今まで、以前の私と変わった様子も確かにあるのだろうけど、一応私は有給休暇でいえば年間で1.5日ほどしか取らないほどに皆勤賞で働き、しっかり3食食べ、週末は気絶するほどしこたま酒を飲み、毎晩泣きに泣いて、そのまま全てを振り切って死にたい気持ちになりながらも、また翌日の会社では自然体で笑ったりしながら、朗らかに過ごしている。あれ、文末にいくほど危ない感じだけど、まあ、そんな感じに命をつないでいる。

2日に1回は、死なないといけないのに、死なないとこの先もう何もないのに、と頭をよぎる。夫が私を呼んでいるとか、死んだら会えるということはあまり考えていない。いざ実行することがあれば、それも理由に入れるのだろうけど。でもそんなことよりも、死別から今までずっとあるのは、愛する夫を自分が死に至らせたということ。それが耐え難く苦しい。起こってはいけない、最も悲しく辛い出来事が起こった。そんなことを私自身が起こしてしまった、という気持ち。

そして今この世に生きている誰しもが、夫の生きる力にならなかったこと。これもシンプルに世の中への憎々しい気持ちにつながっている。別に日々憎々しい気持ちで外を歩いているわけではないのだけど、やはりこの世の誰も力になってくれなかった、と思うと、人というより、この世界、世の中、社会、そんなものが嫌で嫌でしょうがなくなる。街中で人に優しくあろうとする気持ちも薄れてしまった。自分が一番辛い、と思い込んでいるからなのだと思う。

もっと具体的な怒りが止まらなくなって、悲しみと怒りを誰かにぶつけたいばかりに死にたくなることもある。夫を差別し、躍起になって追い詰めた社宅の人々を思い浮かべたり、リベラルを自称しながら最後に権力という鉄拳を振り下ろして去っていった医師。「支えてくれた」という気持ちを最後まで与えてくれなかった、夫の両親や、私の家族。その誰もが、歯が折れるほどの悲しみと怒りを私の中に生み出すのに、今更何か行動したところで、夫は帰ってこないという、どうしようもない現実。最後に残るのは、虚無感。

こんな悔しさ、悲しみ、怒り、絶望がぐるぐると展開しているまま、まもなく私は死別から365日を過ごしたことになる。よくやってきたな、オイ、というくらいに、壮絶な経験だ。ずっと頭の中でパンクロックの絶叫が流れているくらいに平静を保つのが難しい状態だ。今の自分が病的かどうか、という問いは日常的に自分でも気になるところで、ふと考える。でも、やはり何度考えても、夫が死んでるのに私が早急に生きる希望を持って立ち直ったり、「夫がきっと見ているから」と見えない何かを確信して、はつらつとする方が心配な気もする(時々そうも考えるのだけどね)。こんな異常で絶望的な経験を持って、前を向いている方が特異なのだ。そういう人がいれば、すごいと思うし、何ら間違っていないのだけど、やはり処理できないほどの情報をこの数年で叩きつけられたのが私の体験なのだと思う。あとは、食事をとって、しっかり眠りまくっていることから、必死に情報を処理している過程にあるのだと思っている。

家の近くは遊歩道なのだけど、その遊歩道に桜の木があった。夏に見たとき、札がつけてあって、暇すぎる私は近づいてぼーっとそれを読んだ。「この木は年々傾きがひどくなっていたけど、改めて内部を検査したら腐食していたので、10月末までに伐採することが決定しました」とそんなことが書いてあった。自分は、あの木で逝くのかなあ、なんて横切るたびに思った。10月末を過ぎても切られていなくて、やっぱりあの木なのかな、それなら私の悲しい思い出も木と一緒に撤去されるもんね、などと考えていた。一向に具体的に実行はしないまま、先日見たら、木は撤去されていた。それだけでございます。