優しくて可愛くてかっこよくて大好きな夫と死別しました

事故か自死か。夫が消えた人生をこれから歩みます。なんて自分が書いてることが信じられない35歳です

死別後のGWの過ごし方

最近、することがなくてちょっと困っている。

することがないのは、私が何もしたくないからであって、何もせずにいようとするのは自分なのだから、何もしないままで良いはずなのだけど、それでも「暇だな」と思うことがある。

じゃあ、何かしたいことがあるかというと、なんにもない。月に一回くらい、夫のためにこれをしようかな、あれをしようかなと思える日があって、過去にも外食したり、お花を飾ったり、夫の好きな甘党のお菓子を食べたりしてみた。結局、夫のためと言っても自分のためであることは百も承知だけど、やっぱり夫のために行動することには、私自身とても癒される。夫の喜んで、はにかむ顔を思い浮かべると、大粒の涙と共に私の気持ちがじんわり暖かくなる。そういう気持ちになれることは、あまりないから。

でも、そういうことをしよう、と自分を奮い立たせられることは本当に少なくて、基本の私はぐでたま状態だ。普段の生活の中では、したいことは、なんにもない。夫が亡くなった直後から焼いていたパンも、酵母を放置して以降、焼く気力がなくなった。料理は、やっぱり夫のために作りたいし、自炊していた時だって、美味しくできたものは、いつか夫に振る舞いたいと思って何度も試作した。おしゃれだって。部屋の掃除だって。健康管理だって。定期検診とか歯医者だって。節約だって。生きる上での向上心まるごと。夫が生きているときは、全ての道が、夫に通じてた。

夫がいないのだから、そこはターゲットや意義・目的を設定しなおすしかないことはわかってる。設定しなおせないのではなく、私の意志で設定しなおしていないこともわかっている。設定しなおせば、少し生きやすくなるし、私自身の生活に張り合いがでることもわかってる。そこまでわかっていても、やらないのは、夫への後ろめたさだろうか。自分の苦しさを立証したいのだろうか。周りへの見せつけだろうか。それとも、ただただ悲しみからくる行為なのか。

今年のGWは中日に見事に仕事が入ったので、カレンダー通りの5連休になった。5連休。これは苦しい連休になりそうだなと思った。年末年始の休みが明ける時、GWまで気力が持つだろうかと心配したけど、実際GWの前になったら、ちょっと休みに入るのが怖かった。4月末に精神状態がだいぶ落ちて、なかなか苦しかったから、いよいよ私のメンタルも制御不能な域に入るのではないかと危惧した。

GWになってみて、私はコペルニクス的転換をひらめいた。起きている限り、私はこのむごい現実に向き合わなければならない。そんな時間を、なるべく減らそうと思いついた。そのためには、眠る時間を増やせば良いのだ。

起きている時間は、苦しい。起きている限り、もう現実が耐えがたいと思う。消えてしまいたいと思う。最近また朝の目覚めに深く絶望するようになってきた。このエンドレスな苦しみは、まだまだ続くのかと。終わりが見えない。終わりをなくしているのは自分。全部自分でやっているとわかるけど、切り替える意志もない。だから、起きている間の苦しみは、当面薄れることは絶対にない。

一方、寝ている時は、自由だ。寝ている時は、夫が夢にさえ出てくれる。夫と一緒に過ごすことができる。そう思って、GWが始まってからのここ2日間、私はなるべくなるべく、長い時間眠り続けている。元から超ロングスリーパーである。夫が生きている時だって、週末は12時間眠り続けた。長時間睡眠から起きて、つるぴかの顔をして夫のところにいくと、よく面白がられた。そう、長時間眠ると、体のあらゆる部位が補修されるのか、お肌もつるつるになるのだ。

昨晩は0時過ぎに布団に入り、今朝は両親に10時過ぎに朝食に起こされたけど、食事が終わったら迷わず布団に戻って、また2時間ほど横になったり、眠ったりした。お昼にまた起こされて、お昼を食べて、また終わったら迷わずソファに向かってうだうだとした。今、少し起きている時間を活用しようと思って、ブログを書き出したけど、これを書き終わる頃にはまた睡魔がくるだろうから、夕食前に1時間ほど眠る。それで、夕飯を食べて、お風呂に入って、また眠る。

目標は、24時間のうち、少なくとも半分は、眠ること。自分の人生は、起きている時間のためにあるのではなく、眠っている時間に出会える夫との時間のためにあると思うことにした。そう考えると、起きている時間がいくら不毛でも、いくら願いが叶わなくても、ここは仮の世界なので、眠っている世界を楽しもうと思える。昨晩は眠る前に、少しだけ寝ることが楽しみだった。よーし、寝るぞ〜!と口走るかも、と思った。

これが今私が置かれた状況への本質的な問題解決ではないけれど、GWの連休も安定したメンタルで過ごすための対処法ということで、けっこう良いアイデアなのではないかと自分では思っている。