優しくて可愛くてかっこよくて大好きな夫と死別しました

事故か自死か。夫が消えた人生をこれから歩みます。なんて自分が書いてることが信じられない35歳です

無の境地

昨日も、今日も、湧き上がる気持ちがない。

仕事がだんだん締め切り土壇場のものが多くなってきた。本来の自分であれば、手堅く素早く済ませるところが強みだったけど、舞い込む仕事全てに対して「ほんっとどうでもいい」と吐かないと気のすまない今の私は、処理スピードも落ちて、パフォーマンスは悪い。

それでも昨日は日中はお尻に火がついて結構仕事を処理して、その後もボーッとしていた。夜1時も過ぎて布団に入ってから、スマホで配偶者との悲惨な別れを経験した人のブログやら手記やら読んでいた。今朝は8時台から目が覚めたけど、そのまま何度も何度も二度寝をして、結局15時まで布団で寝ていた。私の睡眠力は、昔から凄まじいのだ。多分、そのまま寝続けて、夕方にでもウィダーINゼリーでエネルギーチャージして、また明日の朝まで眠ることができたと思う。

二度寝の合間には、今度は都道府県が出している自死遺族向けパンフレットを見ていた。私は夫の死は事故死だと思っているけど、自分は自死遺族の心境にあると思っている。この表現は自死への偏見とか色々含んでしまっているのかもしれないけど、そういう意味よりも、夫に対して、自死と表現することがフェアじゃないと思っている。私たちがあの日、あんなに物理的に逃げ場をなくして暴力的な行為をしなければ、夫は死ななかった。事故死とか、殺人にやはり近いのではないか。少なくとも、夫に人権はなかった。精神的に混乱した人に対してああいうことをしたのは、本当に、どこまでも、配慮が足りず、私たちの過失だったと思う。私はずっとそういうことを避けようとしていた人物だったけど、結果的にその場に実行者の一人として存在して、役割を果たしていたので、もう何も言う権利はない。そんなことがあるので、自死に対する偏見というよりも、いろんな私の考えを踏まえて、今のところ自死と表現するつもりはない。もしかしたら、自死遺族の方々も、私ほどの物理的な関与はなくても、多かれ少なかれ似たような自責の念は持っているかもしれない。私の場合、死ぬための全てのシチュエーションと道具を渡した上で、最大の恐怖を感じさせる状況を作ってしまったので、なんだか、もう、そうしろと言ったようなもんだ。本当はそれはできないはずだったのに、できてしまったのは、施設側が提供した情報が間違っていたからだ。色々と不運が重なったとも言えるが、夫の尊い命が失われたので、不運なんて言葉で済ませることは実感と乖離し過ぎていて、まあ、なんと言っていいか、わからない。ただ、夫に対して申し訳なく、また私自身にとっても、この結果が私の今後の人生を夫のいない真っ暗闇にしてしまったことが悲しい。

夫がいた時は、夫という生きがいがあった。夫がいなくなってみて、毎日起きて、生きる意味を感じられない。私は夫に依存していなかったと思う。独立心の強い人間と思っている。でも、生きがいは、やっぱり夫と共に歩む生活であり、人生だった。ここ数日何も思い浮かばない心境は、文字通り「無」の境地だった。

なんにもなくて、なにも感じなくて、ただ、なにもない。

私は現実に存在しているんだけど、昔の私は夫と共に死んだから、今あるのは私という器だけのようにも感じる。こういう、なんとも言えない気持ちは、想像したことがなかった。今はただ、間違って生きながらえているような、何の行動力も実行力も目的も目標もなく、まるで霊のように、存在感を持つ方法もなく、漂っているような。

これは現実逃避なのかもしれないし、悲しみ方の一種なのかもしれないし、こうして夫とも過去の私とも切り離された現在の私が、また新たな生きる意味探しに出る前の暗闇なのかもしれない。とにかく、ここからの人生の再始動には、時間がかかるということだ。35歳にして、こんなに生き急ぐこともなく、なんのプレッシャーもなく、もう関東に雪が降るなら水かぶって道で寝てたら明日朝死んでるかなくらいに自己実現の目標もない状態になれるなんて、せかせかと焦って夫にも心の余裕を持てなかったちょっと前までの私に、爪の垢でも煎じて飲ませてやりたい。他者に対しては余裕ないくせに、自分が苦しいと、こんなにゆったりするなんて、本当に私は、どこまでも、どこまでも、自分本位なもんだ。

はあ。悔い改めたい。出家でもしようかな・・・・。