このところ抱いていたモヤモヤを、ここ数日の感情的な文章に落とし込んだところで、私は当然ながら、夫はどう反応するだろう?と考えている。
「ああいうこと書いて欲しくないと思うのであれば、今晩夢で、私の質問に答えてよ」と夕飯をもぐもぐ食べながら心の中で考えていた。
食事の後、またパソコンをあけると、東レの元取締役の佐々木さんの記事が今日のヤフーに表示された。確かこの方、私が就職してすぐの頃、管理職育成みたいなハウツー本を出していたな、と思った。今日の記事を読むと、私は知らなかったのだけど、この方が評価されているのは、プライベートで色々と大変なことがありながらも、仕事で業績を挙げたからのようだった。ご家族の中でも、奥様は体調の不良で何度も入院していて、その間、佐々木さんが家事に仕事にと頑張られたと。
ああ、何か聞いたことがあるような話。この人はそんなに大変だったのか、と読みながら思っていたところ、奥様から言われた言葉が書いてあった。
病気とはいえ、妻がどうして死にたがるのか、私にはまったく理解できませんでした。しかし当時の心境を、妻が回復してから初めて、手紙につづってくれました。
「(前略)それなのに、あなたは平然として時に嬉々として仕事のみならず家事までこなし、私の世話もしてくれました。それは何もできない私にとってどんなにつらいことであったか、あなたは理解できるでしょうか。(中略)どうして(家族以外の)他の人たちにまで手をさしのべるか、私には理解できませんでした。そういうあなたを見ていると、私のことはあなたにとって多くのことの一つと考えているのではと思い始め、なんだかとてもみじめな気持ちになっていきました」
私は、運命を引き受けて家族を支えるのがリーダーとして当然のこと、そう思って仕事と家事を両立させてきました。しかし、実際のところはどうだったのか。病気の妻と障害のある息子を抱え、家事をしながら激務もこなす“悲劇のヒーロー”のように自分のことを思っている部分があったのではないか。妻の手紙を読んでそう自分を振り返り、反省しました。
うつ病の妻、娘の自殺未遂、息子の自閉症…佐々木常夫さんが家族再生を果たした体験談(ハルメクWEB) - Yahoo!ニュース より
もう、まるきり私だな。夫以外の人の相談を受けていたところまで同じ。夫が療養していた頃、まだこれから回復していくと希望を持っていた頃。私は生まれてはじめてくらいに心の病について関心を持つようになっていた。そして、ちょうどパワハラ上司から指導を任された後輩や、仲の良い同僚が心折れかけている事態に、彼らのことが心配になってしまった。夫にもそのことを話していたし、月に数度、彼らと食事に行った。その間、夫は当然、1人で家で待っていた。
それ以外にもある。夫が体調を崩していたのに、私は自分の中の不安を押し切って海外の親友の結婚式に行った。体調を崩した高齢の親戚のところにも行った。実家のことだって気にかけていた。
360度外交を、一人で一生懸命になってやっていた。まるで世の中には自分しかいないかのように陶酔して。おまけに残業だって上限いっぱいまでやって、越えても尚やっていた。全部、自分だけが気分がよくなっていること。その後、すぐに夫の症状は再発した。
私が一体なんだったのかという夫への問いは、こんな形で返されたのかもしれない。
「でも、僕が頼ったときに、君はそこにいなかったよね?」と。
そしてまた、私は反省の渦巻の中に入っていく。結局、それ。もうサザエ状の殻の中で反省と後悔にぐるぐるぐるぐると回されて、時にああいう、悔しさがでるだけ。
私の考えは周囲への恨みではなく、夫と私の間の関係性に限らないと不要な傷を生むと分かっているのに、時にその枠外に怒りが広がっていくだけ。
夫くん、メッセージ、よくよく、わかりました。。。