優しくて可愛くてかっこよくて大好きな夫と死別しました

事故か自死か。夫が消えた人生をこれから歩みます。なんて自分が書いてることが信じられない35歳です

考えないことを自分に許す

夫が亡くなってから、ずっと、ずーっと、毎日くる日もくる日も、寝ても覚めても夫のことだけを考えているのだけど、結局何をどうやっても、夫は帰ってこない。

少し前に、この状態に慣れてきたと書いた。毎日イチから悲しんでいたら、本当に神経が衰弱してしまうので、慣れるしかないのだ。受け入れる準備をしていくしかない。夫が亡くなった初日の晩、私が呆然としたまま実家に帰ると、心配していた祖母が、泣きながら玄関で私に繰り返した。「もうどうやったって帰ってこないんだから、もう戻ってこないんだから」と。普通ならひどい念押しに感じるだろうけど、祖母は愛する祖父を交通事故で亡くしている。その経験から30年近く経ってたどり着いた答えが、それなのだと思う。その日、私は夫を亡くして初日。祖母が私に一番伝えたいことは、それだった。

そう。それで私も思う。祖母の言う通り。夫はどうやったって帰ってこない。このところ自責が過ぎて、私の感情の矛先が夫にさえ向かっていくのを感じた。亡くなってから今まで、それだけはないと思っていたのに、ついに夫にまでも怒りの感情が湧き出した。夫からしたら理不尽なのは百も承知。追い込んだのは私達だってわかってる。それでも尚、怒りが湧き出したのだ。そして、夫と私の疑いようのない素敵な思い出達も、全部どぶに捨ててしまいたくなるような気持ちにもなった。私が一番思ってもいないはずなのに、夫と私が出会わなければよかった、という言葉さえも夫の遺影に向かって吐き捨てたくなった。なんでこんなに苦しいことになったのか。なんでこんなにも悲しいことが起こったのか。そう思うと、もうそんな結論にまとめてしまいたくなった。自分で一番本心と逆のことを言っているとわかるので、悔しくてたまらなくて、泣く。

それで考えた。こんな負の感情になるくらいならば、少し気持ちの休憩を入れるしかないのではないか。そもそも、夫も、私も、お互い大罪を犯したわけではないはずだ。それをここまで自分を打ちのめすように自責しても、それは夫がしたいことでもないし、要は私自身が、自分のためにやっていることだった。

自分が満足するために、自分を責める。理不尽な死を遂げた夫に対して、この世から最大限の謝罪と反省をかきあつめて、届けたい。でも、誰から?自分なら手っ取り早い。責めれば何か反省するだろうと期待する。それであらゆることの罪状を自分にぶつけている。それに対して自分の落ち度や過ちを見つけて、自分を責める。自分が反省する。謝罪する。苦しむ。その姿に自分が救われる。何か役割を果たせていると思う。夫と一緒に勧善懲悪が叶ったような気持ちになる。でも罰せられているのも自分なので、同時に苦しい。私という1人の人間で、全ての役割を自作自演している。なんと気持ちが忙しいのだろう。そして、全ては私自身のためにある。

夫が亡くなってからずっと、今経験している生々しい気持ちを、思いを、感情を、全て熱いうちに、何か位置付けたいと思っていた。とても気持ちの流れが忙しくて、日々ほとばしるような思いがあった。慣れたというのは、今、その流れがもっと遅くなった。思いが滞って、停滞するようになった。その代わり、深かったり、どろどろしたり、動力がないだけに、重苦しいものにもなった。

ただし、当初のようにどこか緊迫したタイムリミットのようなものは感じなくなった。指と指の間から落ちていくような記憶も、もう一通り振り返れたような気になった。過去数年の状況を、一通り分析したとも思えた。なにより、これ以上の自責を受け入れらないというのも、あるのかもしれない。

だからと言って、夫の分も幸せに生きるねとかそういうことを言いたくない。幸せに生きるときには、自分で責任をとって言いたい。夫の言葉を勝手に借りて、自分の幸せを正当化する足場にしたくない。じゃあ、今そう私は言い切れるか。私自身は、まだそういう舵きりをできる状態にはない。今できることは、少し休憩を入れること。今日、初めてそう思えた。すこしだけ、「もういいや」と思って、頭の中で夫のことを考えない時間を作った。意識して考えない時間をとったのは、夫が亡くなってから、今日が初めてかもしれない。それはほんの30分、いや、15分程度だったかもしれない。でもその間だけ、夫のことを考えないことを自分に許して、仕事のことだけ考えた。

これもこれで、一つの変化なのかもしれない。全ては自分のため。私が夫との良い思い出を守るため。私が生き延びるため。夫のためじゃない。自分のため。そう認めるしか、ない。