優しくて可愛くてかっこよくて大好きな夫と死別しました

事故か自死か。夫が消えた人生をこれから歩みます。なんて自分が書いてることが信じられない35歳です

生まれ堕ちたところ

どんな人のもとに生まれ堕ちるか、これは人生最大の賭けだ。

その家庭の中で、自分は歓迎されるのか、愛されるのか、関心を持ってもらえるのか。
どんなメンバー構成で、自分はその中でどんな役割で、どんな立ち位置になるのか。
微笑む大人の間で優しく抱き抱えてもらえるのか、いがみあう大人の緩衝材になるのか。
のびのび自律的に成長できるのか、誰かの生きがいにされてしまうのか。
感情表現豊かに過ごせるのか、嘘で固めた家族ごっこの愛玩、ピエロになるのか。
人生の選択を任せてもらえるのか、死の脅しと共に自由を奪われるのか。
そんな中でどうやってまともな自我を形成していけるのか。
どうやって健康的な自尊心を育めるのか。
自分の中の愛情と憎しみをどう消化すればよいのか。
それでも彼らを愛してしまう自分は、年老いても自覚を拒む人を包むことしかできないのか。
 
いつか鉄拳の制裁が落ちれば良かったのに、何事も向き合わない人は、鉄拳をくらっても、気づかないフリをして過ごす。夫の死という鉄拳さえ、向き合わずに過ごしているのだから、きっとそんな人は、自分が死ぬ時まで嫌なことから目を逸らして、死にながらも真っ先に嫌なことは忘れ、そのままこの世から安らかにいなくなる。その安らかなゴールを、ただただ目指して生きているんだと思う。
 
私は偽善的な性善説なので、こういった人間関係は、全て愛で有耶無耶にすることしか対処法を知らなかった。自分が経験したことがなかったことなので、その経験がもたらす苦しみを理解してあげられなかった。そんな私の無知な態度は、夫が苦しみを吐露することに罪悪感を持たせてしまったと思う。
 
私が自分の家族を大事にする姿を、夫はいつも良いところだと言って褒めてくれた。親孝行や親戚孝行をすることを、心から応援してくれた。誕生日やお祝いがあると、プレゼントは一緒に買いにいってくれたし、私の家族や親戚との旅行だって行ってくれた。私がプレゼントを買えてなくて焦っていたら、閉店間際に一緒になって走ってくれたし、私が買いに行けなかったときは、夫が代わりに買いに行ってくれることもあった。女性用の帽子売り場で試着したり、人気のコンシーラーを買いに女性の化粧品売り場に行ってくれたり、そんなことをしてくれる夫が大好きで、大好きで、晴れやかな顔をして買ったものを見せてくれる夫に何度も感謝した。
 
でも、私が自分の家族を大事にすればするほど、夫は自分の家族に素直な思いを持てないことに、罪悪感を感じてしまったのではないか。夫は自分の家族にそれを感じさせないように、ずっと自分の中に気持ちを封印していた。だから誰にぶつけるでもなく、夫はずっと一人で悩んでいた。夫が罪悪感を感じる必要なんて、なさすぎて、なさすぎて、笑える。
 
本当だったら、もっと、もっと、もっと、もっと、私が思いを共有したかった。過去は変えられなくても、夫がこのどうしようもない記憶を乗り越えること、つまりは記憶を踏みつけて、踏みにじって、叩きつけて、火をつけて、燃えかすに唾を吐く行為を、しっかりと見守ってあげたかった。それを夫がしたかったとは思えないけど、それほどのことを夫が耐え抜いているという事実を、私がしっかり認識したかった。その思いを夫と共有したかった。
 
私は、夫が苦し過ぎる記憶に蓋をすることにしか手を添えてあげられなかった。そして夫が体調を崩してからこの底無し地獄の関係性に気づいた。そして、そんな関係性を抱えたまま蓋をしていた夫を責める態度すら取った。逃げているとなじった。マザコンと揶揄した。へその緒がつながっていると責めた。それと同時に、性善説の私が間違っていた、あなたは誰よりも怒って良いはずだ、そんな反省の弁も伝えたが、時すでに遅しだったと思う。そんなの、14年前の交際前に、あの喫茶店で打ち明けられた時に、私が気づくべきだったんだ。
 
結局、夫が全員の不都合の受け皿になっている。
うまくいかない人生の不都合を、何人分も受けさせられた。
拒否をしない夫は、誰にも、彼にも、重荷を手渡されて、潰れてしまった。
 
こんなに、理解のスタートラインに立っているのに、今さらできることが、何もない。