優しくて可愛くてかっこよくて大好きな夫と死別しました

事故か自死か。夫が消えた人生をこれから歩みます。なんて自分が書いてることが信じられない35歳です

支える人の専門書

闘病を支えようとした人なら経験があるかもしれないこと。

その人がいなくなった後も、その疾患について調べたり、どうやって治療するかとか、どうやって家族である自分の思考を転換して、未来に希望を持てるかについて、 調べてしまう。

夫について考えながら、夫を苦しめたものは、結局何の病だったのだろうと思う。

病名を前提に夫を色眼鏡で見たくないと思っていたので、そのことは拘ったような、拘らなかったような、不思議な状態のまま過ごしていた。医療者も複数意見を聞いたが、結局回答は一つに集約されなかった。だからこそ、私は目の前にいる夫個人のありのままの状態に向き合いたいとずっと思っていた。

病名については何度も調べた。ところが、専門書はほぼ読まなかった。私がもっと読んだ方が良かったと今になって思うのは、支える側にある周囲がとるべき態度や、本人に言っていい言葉、悪い言葉などの本。

振り返ると、夫の闘病に伴走する中で、私自身が本当に混乱していた。夫が体調を崩して一回目の冬、私は興奮高まる夫の横で、ただ静かに隣にいるようにした。そんな中、夫が体調を崩し始めたときに作成したちょっとしたメモを見つけてしまい、その内容に私はけっこう傷ついた。そのメモの内容は、夫との信頼関係なんかには影響しないのだけど、普通に傷つくものではあった。それで、それまで静かにしていた私は、夫にとても怒り、謝罪を求めた。数日前まで自分が怒りの中心だったのに、突然私にキレられるという逆転現象に会い、その後1週間ほどして、夫は我に返った。この奇跡が、ずっと私の中に刻まれていた。それから半年後、二回目に夫が体調を崩した際にも、私は怒るきっかけをずっと探していた。それで、これだと思ったことで、怒りだした。でも、それは普段の夫に戻るほどの効果はなかった。何より、今回は夫が何か悪いことをしたのではなくて、夫の批判めいた内容になってしまった。

当時の自分にフェアになるとすれば、あの時の夫はストップがかけられないほど苦しみの最中にあった。でも、私が怒ったことで、ちょっと呆気にとられて、1ヶ月もすると私とコタツで一緒にお菓子を食べてくれるまでになった。そこから、僅かずつながら亡くなる日まで、回復に向かっていたと思う。あの時、私が怒らなかったら、あのまま夫の状態は落ち着かなかったかもしれない。

私はいつも怒りながら、夫の急所を突く言葉をたくさん吐いてしまった。でも、言い合いの最後は、夫が私にとって唯一の人だと伝えていたし、「好きだぞ!!」とか「待ってるぞ!!」とか「ラブユー!!」なんて言っていた。それだけで、自分がそれまでに言ったあらゆるひどい言葉を相殺していたつもりだった。でも、夫は私と思考回路が違うし、もっと頭が良い。記憶力がとても良い。だから、おそらく相殺効果なんてなくて、プラスとマイナスの異なった情報が蓄積されて、とても混乱して、苦しませてしまったと思う。何より、急所を突く言葉は、私が実感として思っていることよりも、夫が気にしていそうなことを言ったから、本当にたちが悪い。当時は、目を覚まして自分の本来の悩みに向き合ってほしいと思っていたから口をついて出たのだけど、夫を悩ませていた最大のことは、私が夫を理解しなかったことだと、夫が亡くなった後に実感を持ってようやく理解した。そのタイミングが、あまりに、遅かった。

今は、夫が亡くなったという結果だけ残っている。

だから、その時々の自分たちの努力を全て批判的に見てしまう。このことが、悲しい。あの時はあの時で、ものすごくがんばっていたのに。そして、私は記憶が短いので、夫に言われた言葉とか、やられたこととか、全部嫌なことは忘れてしまった。いつも自分自身の最低な言葉と行為だけ思い出す。夫とこれについて話せれば、改めて自分の意図だって伝えられるし、夫からも何か話してくれることもあるだろうから、2人の間で落とし所が探れると思う。でも、亡くなってしまったので、それも叶わない。ただ、永遠と、自責の念だけある。

それで、最近になって、市販の書籍の中でも、精神的に苦しんでいる人に対して言っていいこと、悪いことなどが書かれている本があると知った。それによれば、やはり本人のプレッシャーになることは、言ってはいけないとのこと。当然そうなんだけど、私は言っていた。例えば散財すればお金の話もしたし、今後についてだって話そうとした。責める言葉だって言った。こういう本をちゃんと読んで、目を覚ましてなんて訴えるのではなくて、口に出さなければよかったと思うことがたくさんある。

もっともっと、優しく安心できる言葉をたくさん伝えたかった。誰よりも大切な夫を責めて、私は一体何をしていたんだろう。

そんなことは、最後の数ヶ月になって、ようやく心から思えたことだったな。