優しくて可愛くてかっこよくて大好きな夫と死別しました

事故か自死か。夫が消えた人生をこれから歩みます。なんて自分が書いてることが信じられない35歳です

諦めという気持ち

夫が亡くなったあと、11月から12月にかけて、ずっと私の頭の中は忙しかった。これまでのことについて、ずっと誰にも相談できずに闘ってきたこともあり、改めて自分に問いかけると、大量の思いや考えが溢れてきた。それを書き出すことで少しだけ落ち着くことができた。書くことを通じて、夫について新たに気付くことがあったり、夫と心が通じたような感覚になったりもした。それでも救われるということはなくて、まだ来ぬ夫の死の実感というものに向かって、必死に抗おうとしていた。

四十九日も明けて、1月に入ってから、少し泣く時間が減った。これまでは頭が痛くなるほど毎日泣いていたのに、泣かずに過ごす時間が2時間、3時間、半日と増えていった。この悲しみを表出させない時間は、側から見ると「元気になってきた」、「落ち着きを取り戻した」と表現されるのかもしれない。でも、それは少し違う。どう抗っても覆ることのない運命に、もう押し潰されてしまった。希望がなく、かといって悲しみもなく、鬱々とする時間が多い。夫との思い出も、夫がこれほどまでに苦しむことになった経緯も、そのあらゆる2人の関係性に、私自身のずるさが垣間見えるようで、昔を思い出しても心が洗われることはない。ただ、夫本来の優しさや、心が溶けるような思いやりだけを思い出す。あの美しい人の人生を、私は踏みにじってしまった。あんなに優しい人に、あんなに苦しい思いをさせてしまった。そんな自責の思いだけが募る。

夫が体調を崩してから、あの人だ、この人だと恨んでいた人々も、もはや期待したところで無駄だったと、ようやく諦めがついてきた。十分な役割を果たした人なんて、1人としていない。みんな物理的に我々を避けて、逃げて、こちらからの嘆願を遮断してきた。でも、そんな人はもう、そのまま生まれて、そのまま死んでいくだけなんだと思う。だから、恨んでも、何にもならない。それよりも隣にいた自分とは、何だったのだろうかと考える時間が多い。何だったのだろうかというのは、ずっと隣にいながら、何を考え、何を夫に訴えかけていたのだろうかと思う。

昨年の今頃、私に当たり散らす夫に、私は「これはあなた自身の問題。あなたと親の問題。私は関係ない!」と怒った。なぜ私は、「私は関係ない」と、あれほどに確信を持って言ったのだろうか。夫が私を恨むことを、なぜ私は受け入れなかったのだろうか。夫は、きっと私が思う何倍も、何倍も、私との関係に傷ついていたはずなのに、あの時はその実感を持っていなかった。そのことにようやく気づけたのは夏も過ぎた頃で、そんな話を夫と少しできるようになった。全く足りないのだけど、自分の非を夫に認めて、謝罪するチャンスももらうことができた。

亡くなる1ヶ月前、夫は「今起こってることに、みんみんは関係ない」と言っていた。これを聞いた時、私は少し安堵した。私が日々、夫に対して悪意をもって接していると思われていることがとても気がかりだったので、その誤解が解けたと思っていた。でも、あの心境の変化は、これまで周りを恨んでいた夫が、自分に矛先を向け始めたサインだったのかもしれない。我に返る過程で、やはり周りは何もしていない、原因は、自分自身だと思い始めたのだろうか。亡くなったときに、夫は自分を責めていたと思う。私に対して怒ってくれていれば、あの時夫が逃げ場をなくしたり、死んでしまうことはなかったかもしれない。

嫌悪感、失望、怒り、無力感、そんな感情を自分に対してグツグツと煮えたぎらせては、抱えきれなくなって逃げ場を探してしまう。夫に対しては一貫して申し訳ない気持ちだけが募り、自分に対しては自業自得とツバを吐きたくなる。それでも、周りについては諦めたのに、自分についてこうして考え続けるのはなぜだろう。自分は自分にとって手の届く存在であり、努力のしようがある。言葉にできないことが多い中でも、自分はあうんの呼吸で理解してくれるかもしれない。自分は、そんな自分の更生に、まだ希望を持っているのだろうか。この後の心のもちようが、まだわからないでいる。