優しくて可愛くてかっこよくて大好きな夫と死別しました

事故か自死か。夫が消えた人生をこれから歩みます。なんて自分が書いてることが信じられない35歳です

死んじゃった、死んじゃった、死んじゃった。

夫が死んじゃった、死んじゃった、死んじゃった。

もう何度も自分で言ってることだし、言い聞かせてることなんだけど、改めてそのことを誰かと話すのは、きついな。

特に、私そっちのけでよくわからない方向に話を進めていって、決めつけたり、慰めたりされるのは、傷つくな。まだ亡くなったと受け入れられない段階なのに、慰めて立ち上がる準備されるのとか、先のことすぎるんだよね。

私が傷ついたって相手にとってはどうでもいいだろうし、一人悲劇のヒロインになってろと思われそうだけど、それをプロフェッションにしてるなら、相応の対応をする技能を身につけてほしい。夫を類似の症状を呈した人々とのグルーピングで解釈されると、偏見もいいところと思う。みんな人それぞれ違うんだぞ。マーカーすらでない精神疾患について語れる知見なんて、ない。苦しんでる人、みんなそれぞれ理由があるし、背景があるし、そういう人を救えてないのは今のこの終わってる社会なんだぞ。救えない命なんて、本当はないはずだ。

やっぱり、夫が死んじゃったことは受け入れられない。

夫本人への未練がありすぎて、遺骨とか部屋のオブジェ並みにぞんざいな扱いになってる。遺骨、やっぱよくわからんわ。これまで夫に骨なんて見せてもらったことなかったし、愛着はないよね。夫も自分の骨に愛着ないと思うし。なんか不気味だし。自分の幼少期の抜けた歯とかもホラーなのに。どうせ逆の立場で、夫くんが私の遺骨渡されたとしても、「僕はそういうのはちょっと・・・」とか言ってそう。怖いの、苦手だもんね。一緒、一緒。

本当にダメダメだけど、夫の写真見ると、生きてて欲しい気持ちが強すぎて、死んでないとすら言いたくなってくる。これ、最初はなかったのに。死んだって認めたくない。認められない。認めたら、わたしの世界がおかしいことになっちゃう。

大変なことになったなって、いつも考えてる。

いろいろ終わらせてしまいたいとも思う。

でも、この状態への対応が、薬なのか?

「夫が亡くなったことに対して、私は当然の反応をしているのであって、この悲しみや苦しみを噛みしめたいと思っているのに、そもそもの感情を鈍麻させるような薬を飲むようなことは、今の私がしたいことではない」と言ったら、産業医は「まあまあ」と言う感じだった。

医療者にとっては、私が薬飲んで、悲しい気持ちを鈍らせて、ロボコンみたいに「私は大丈夫!」って言うのが今導きたい出口なのだろうか?わたし、悲しくて苦しいから助けてなんて言ってないのに。苦しいの、当たり前だし、悲しいの、当たり前だし、そうしている自分を否定してないのに。

私は、悲しんで苦しんで夫のことばっか考えておんおん泣いてる自分を心底大肯定してるんだからーーーーーー!! って、夕陽に向かって叫びたい。はあ。