優しくて可愛くてかっこよくて大好きな夫と死別しました

事故か自死か。夫が消えた人生をこれから歩みます。なんて自分が書いてることが信じられない35歳です

写真を撮る

夫が亡くなった瞬間も思ってた。

この場面を写真に撮っておきたいと。

でも、不謹慎と思われると思って、撮れなかった。

なんでかわからないけど、今も猛烈にあの場面を写真で見たいと思う。警察の人は写真を撮ってただろうから、分けてほしいくらい。頼んだら、断られるもんなのかな。見ても虚しい気持ちになってしまうかな。

夫が亡くなった姿を遠くから発見した時の映像は、写真ではなくても結構覚えているように思う。強烈に明るい太陽の光の下で、真っ白になった背景に、倒れた夫の姿が私のまぶたの裏にくっきりと焼き付いた。私との距離もさることながら、夫が一瞬にしてものすごく遠い地に行ってしまったことがあらゆる意味で説明されるような衝撃的な場面だった。

その後すぐに夫の近くに駆けつけた。そこで見た夫の顔は美しかった。ずっと苦しみ抜いてきた夫だったから、今にも亡くなろうとする夫の表情が、元の夫の穏やかな表情になっていて、取り憑かれていたものが取れたような、この表情をずっと恋しく思っていた、そんなことを感じていたように思う。同時に、こんな方法でしか、楽になれない環境に陥っていたことの残酷さも感じた。

夫の元に駆けつけた時、私は何度も叫んで呼びかけていた。「あなたは大丈夫だから、大丈夫だから、あなたは強いから、きっと大丈夫だから」。私は何度も夫を愛称で呼んだ。30秒ほど遅れてお義母さんが到着して、お義母さんも夫の名前を呼んだとき、夫から「うん・・・」と声が聞こえた。その時はそう思った。警察には即死と言われたけど、私はこの声を確かに聞いた。夫には、私とお義母さんの声が届いたんだと思う。こんな私たちに、あの優しい声を返してくれたことが、夫を最後まで優しい人と思わせる永遠のギフトだと思う。

夫の葬儀の時には、最初こそ躊躇ったけど、結局たくさんたくさん夫との写真を撮った。どこかで吹っ切れたのかなと思う。結局、愛する人の全てを覚えておきたい。一度骨になってしまったら、もう2度と見られないのだから。

それでも、本人の意向は考えたつもり。夫が見られたくないと思いそうな姿は、見ないようにした。例えば、警察で保管される間は、ドライアイスもあたらないので、色々と変化が生じる恐れがあると言われた。特に若くて、体が大きい男性はその傾向が強いと。だから、警察署では夫を見ずに、葬儀社の人にそのまま渡した。あれがわたしのエチケットだったのかな。

でも、翌日安置された夫に会いに葬儀社に行くと、夫はきれいな夫のままだった。その後メイクをされて、多少普段と変わったけど、それも含めて全部満足だった。夫は最後まで髪が黒く艶々していて、美しい富士額からつながるお肌はすべすべで、ヒゲも綺麗に剃っていて、眉毛が誰よりも格好がよく立派で、目元はアイライナーを引いたように美しかった。長いまつげと大きな瞳を彷彿とさせる、ぷっくりとしたまぶたを静かにつむって眠っていた。

まとめると、好きな人の写真は、生きてても、死んでても、とにかくたくさんあるに越したことはないということ。もう2度と見られないのだから。