優しくて可愛くてかっこよくて大好きな夫と死別しました

事故か自死か。夫が消えた人生をこれから歩みます。なんて自分が書いてることが信じられない35歳です

力になるということ

夫が亡くなって1週間くらいは、自分も、家族も、友人も、みんな悲しみに暮れていた。

みんなが目の前の手仕事を止めて、1週間という時間を丸ごと費やして、夫の心の苦しみについて一緒に考えてくれた。心の中を夫のために空けてくれて、毎朝毎晩、夫について考えてくれた。

2年の闘病期間中、夫の様子がこれまでの穏やかな人柄から大きく変わり、周囲の人が困惑することが多かった。その過程で離れていってしまった人や、見限る人も多く、我が家は2人とても孤立していた。ずっと自分に孤独感があって、ましてや夫は更なる孤独感があって、世間の平凡から離れたところを2人で漂流しているような時間だった。たまに私1人で、あるいは奇跡的に夫と2人で、世間のなんてことはない日常に姿を紛れ込ませられたときに、こみ上げる安堵や幸福感を感じていた。その感覚は、きっと体験した人にしかわからないだろう。

2人で歯を食いしばって堪えているときに、近寄って声をかけてくれた人もいる。「抱え込んではだめ」「今2人はすごく寂しそうに見える」「もっと人に頼らないと」。私はものすごく遠慮しいで、誰かに「こうして欲しい」と思っても、相手に悪いかな、相手にこんな不便が生じるかなと思うと、遠慮してしまう。プライドとかじゃなくて、これは純粋に相手の立場に立って考える癖が強いから。実際は、相手の立場に立てているのかもわからないけど、できる限りそれをしたいと常日頃考えている。

でも、夫の状態が長期化するにつれて、そういった近況報告の相手にも、イライラされたり、ため息をつかれたり、一体いつまでそんなことやってんの、という呆れたような視線を向けられることもあった。「うちだったら、夫くんのような状態にはならないよね、と夫婦で話してたんだ」と伝えてくる人もいた。そんなこと、誰がどうやったらわかるのかと忸怩たる思いだった。

私と会うたびに私がトラブルを抱えたままでいることに、自分の穏やかな生活が脅かされていると感じた人もいたのだと思う。それは無理もなくて、私も夫に対してあらゆる表現を通じて、私の人生の不幸の根元、トラブルメーカーの原因であると迫っていたと思う。返す返すも、ここに書いた苦しみの全ての矛先は、夫が一身に受け止めていた。それは本当に本当に申し訳なくて、本当に私がもっと考えや感情の整理、コントロール、意識的な抑制ができていればと悔いても悔いても足りない。お詫びすることすらできず、悔しさと自責の念にかられる。

これに輪をかけて無力感を感じさせたのは、実際に2人を全力で支えてくれるひとは、最後まで現れなかったということだ。自分が人に頼らないことで、事態の打開ができないのだと指摘を受けているように感じて、わたしは何度かものすごい勇気を出して、周囲に支援のお願いをした。具体的には、この日、この時間に、こういう役回りで関与してほしい、と。でも、こういうお願いには、誰しも見事なまでにサーッと引いていった。きっと、相手にも相当の覚悟がなければ、とても支えられない状態だったのだと思う。そんな自分の人生や時間を脅かされてまで支えてくれる人なんて、いない。

別に誰をどうこう言いたいというものではなくて、苦しみの渦中にいる人が何に苦しむかというファクトをここに記しておきたい。より表面的な部分での批判的な視線とか無理解だけでなく、もっと深い部分で、当事者と根源的な部分で一緒になって伴走してくれる人は、世の中に基本的にいないということだ。人生はあらゆるイベントや予定からなるパズルピースでできているように思う。私と夫と共にこの苦しみに立ち向かうために、誰かに自分のパズルピースを動かして、私と夫のための空間を作ってもらうことは、本当に本当に難しかった。皆、既存のパズルピースの空きの中に私たち2人を押し込むことしか提案できなかった。それに対して、弱者であった私からそれ以上譲ってほしいと願うことはできなかった。

苦しみを支えるということは、今、この瞬間、目の前のことを放り出してでも、相手のために飛び立って駆けつけるようなことなのだと思う。ものすごく難しいことだけど、それ以外の方法は恐らくないくらい、それが絶対的なのだと思う。だから、待ってて、また今度、いつか、なんて言葉に気が休まることはない。それは、最後の3週間で夫を放置した上で、「待ってろ夫!」と思って状況の大挽回を狙った私に対しても突きつけられる、悲しい事実なのである。