優しくて可愛くてかっこよくて大好きな夫と死別しました

事故か自死か。夫が消えた人生をこれから歩みます。なんて自分が書いてることが信じられない35歳です

長い長い地獄

数年前のホワイトデーは、0時過ぎというこの時間、彼が手作りしてくれたホワイトデーのデザートの余韻冷めやらず、それまで10年以上彼に抱いてきた愛おしい気持ちを改めて噛み締めながら、私は眠りについたのだろう。今私の目の前にあるのは、そんな彼を爆弾で吹き飛ばした後の焼け野原で、その野原に、私はもう2年もいる。

もう2年か、まだ2年か。私は平均寿命で言ったらまだ50年以上あるのだから、2年なんてその長い長い地獄のわずか4%に過ぎない。もう彼を失ったわけなので、彼が病院で横たわって死んだあの瞬間を境に私の苦しみは9割9分9厘まで上昇したのだけど、長さという意味では、あの瞬間から地獄の滞在時間を更新し続けて、残り1厘の苦しみも埋め立て続けている。あれからずっと私は摩耗している。頭なのか、心なのか、そのどちらもなのか、鈍い速度で回転する摩耗機にずっとかけられている心地。終わった人生の、その後の焼け野原。そこに居続けるという地味で目立たない苦しみ。

彼の死という事象発生から年月が経つことは、もう一つの弊害がある。思い出や記憶からもどんどん引き離されることだ。今はまだ写真の中の彼と、今を生きる自分が同年代と感じられる。でも、40代、50代、60代と年齢があがるにつれて、きっとそういうもの一つ一つを失っていく。気づけないほど緩やかに、でも確実に失い続けてしまう。この日記だってそれを証明していて、2年前には「2年前は〇〇だった」と書いていたことが、今となっては4年前になっていて、鮮明な記憶は失っていたりする。あの時、どうしたんだっけ、どんな順番で、何をしたんだっけ、と今はわからないことが、過去の日記では当然のように確信を持って書かれていて、自分の単細胞具合に呆れる。こんな短い間に、こんなに忘れてしまったのかと。時間が経つに連れ、自分の中の一次ソースとしての記憶がなくなり、彼との思い出の多くは二次ソースに格下げとなる。次第に一次ソースなんて一つもなくなるのではないだろうか。

生きていく意味もメリットも何もないのに、ただ生きているから生きている。それでしょうがないと思う日もあるけど、今日は今年中に消えてしまいたいと思うような日だ。

今日見た写真の中の彼は、私の前を私の祖母と一緒に、駅の階段を降りていた。これまで意識してみたことのなかった写真。彼の表情も、祖母の表情も後ろ姿で見えない。でもはりきって階段を降りていく90代の祖母の背中に、彼は高い背を丸めながら優しく腕を回していた。誰に媚びるでもなく、誰に見せるでもなく。彼の優しさは、本当に美しいんだ。また彼のことが大好きな気持ちがぎゅっと湧いて、ただ虚しいほどに恋しくて泣いた。こんな地獄体験を、一体いつまですればよいのでしょうね。