優しくて可愛くてかっこよくて大好きな夫と死別しました

事故か自死か。夫が消えた人生をこれから歩みます。なんて自分が書いてることが信じられない35歳です

パワハラは違法行為だと理解しているのか

きっと私が今していることは、自分の周りの、どうでも良い人も、とても大切なはずの人も、あの人のことも、この人のことも、そんないろんな人との関係を、壊すようなことなんだろうな。

会社とパワハラの件でやりとりが続いて、また辟易としてしまった。その後で、色々自分の言動を振り返って、自分のことが嫌になった。このブログだって、その時々の私の心に浮かんだ一面をそのまま吐露しているから、知っている人が読んだら、全員傷つくだろうし、私のことを嫌ってしまうだろうな。夫が亡くなったことで、私だけでなく、いろんな人が傷ついたはずなのに、私はまだ私の周りで傷を生み出すのだろうか。

この状況になってから、自分の中の確信が前ほど持てなくなった。正当な訴えと、正当ではなく感情的な訴えの違いが、わからなくなってしまった。自分の中の考えに自信を持てないというか、全部感情的に湧き上がるものの、確度の評価をしようとすると、自虐的になってしまう。

夫の発症時期と私が受けたパワハラの時期が重なっているということ。

夫が亡くなっても尚、私がこのことを見て見ぬふりしたら、まるで夫を見捨てて会社に従属しているような気持ちになる。かといって会社にこうして訴えていると、どうしても「旦那さん亡くしてパニックしてるから」という哀れみの目で見られるのが悔しい。もう最後は開き直るしかないし、自分はそうする。そうしよう。パニックしてるとしても、言ってることは間違っていないだろう?と。

私が会社にパワハラ防止の制度改善をトップに申し入れたのが今年の1月。そこから何度か人事部にヒアリングをされたり、関係者にも聞き取りがされたらしい。パワハラを防止するために、どんな方策があり得るか。私は課題と対策の案をまとめて、人事部に提出した。そこから短期間に何度かメールの往復や面談があって、やけに急いで対応するのだなと思ったら、トップへの説明期限があったようだ。最終的に、人事部は、私の案をほぼそのままコピペして、トップへの説明資料とした。

それから、もう半年。

人事部からは、なーんにも、音沙汰がない。

「随時進捗を共有する」なんて言われていたけど、結局みんな、どうでも良いのだろう。

最近出社を再開したので、一番最初に相談したトップの方に挨拶に行こうと思った。今年の初めにメールしたとき、その方は「あなたからも直接話を聞きたいと思っている」と言ってくれたから。結局その後、トップの耳にも、いろんな人から、いろんな情報が入ったのだろう。

トップの方は、今は私に会ってくれないそうだ。

色々わかるけど、色々わからない。

物わかりがよくありたいけど、よくありたくない。

みんな口々に言う。

「みんみんさんが、少し元気になられてよかった」

そんなこと、私は言われても見当違いすぎて、しらけてしまう。

あんたに何がわかる、と。

私が会社に求めているのは再発防止の対策であって、心のケアではない。

それなのに、まるで私の訴えは、その最終成果が私の心のケアであったかのようにまとめられてしまう。

改めて考えた。私は自分の体験をベースとしつつも、パワハラを行った上司個人を吊し上げるのではなく、あくまでも議論の出口を制度改革としていた。

それは、個人を追及するよりも、制度論につなげた方が今後裨益する人が多いし、前向きな話のように思えたから。私と上司という個人の間でああだこうだと言い争うことで、自分自身がさらに傷ついたり、上司のことを傷つけるのも嫌だったから。

でも、制度論にしたことで、私個人の言い分はなくなった。原案を提供した後の、私への救済の瞬間は、制度が導入されるまでお預けとなった。介入する機会もない。

これが個別のパワハラ事案として訴えれば、私が協議の主体となり、議論に参画できる。議論の入り口と出口までの進捗を追うことができる。しかも、今日とある人に相談したところ、仮に個別のパワハラ事案として、パワハラ有無の認定を求めた場合も、認定の結果、制度改善を成果として要求することもできるという。今の私の事案は認定を求めていないために、パワハラ事案であるのかの最終的な判断を会社から得られていない。だから、ただ「夫を亡くして会社に文句を付けたくなった人」である私が申し入れた改善案となっていると思う。これは、パワハラ事案として認定を受けた上でことを進めたほうが、いろんな面で良いのかもしれない。

相談した方からは、こんな有益な助言ももらった。私からの質問で、私自身はパワハラによって自分がノイローゼ状態になったことで、夫が体調を崩していることにも気付けず、夫が病を発症したことが一番の後悔と考えているものの、外から見ればここに強い因果関係は見られず、関係のない話とされてしまうだろうか、と聞いてみた。この話をした時に、私が泣いてしまったことも関係あるのかもしれないが、その方からは「まずみんみんさんが旦那さんが亡くなったことについてカウンセリングなどを受けて、気持ちの整理を付けてから、会社の方に向き合ったほうが、そこが混ざらなくて良いかもしれない。会社は因果関係の話になるとナーバスになりうるし、それによってみんみんさんがさらに傷つくかもしれない」と。

ふんふん。これは、的確な助言で、恐らく私が耳を傾けたほうが、良いものだと思う。

このパワハラ云々の話の中に、夫が亡くなった話を入れ込む事は、私にとっては関連性の深い話であるものの、私以外の人から見たら、やっぱりちょっと共感しづらいよね。

だったら、もう正攻法のパワハラ事案としようか。

今日、私はトップの方が会ってくれないとわかり、大きく失望した。

そして、私が元気になってよかった、なんてお花畑みたいなコメントをされることに腹を立てた。改めて、合意したはずの制度改革の実施の計画を共有してくれるよう、申し入れた。合わせて、もしこのような穏便な方法では対応が進まないのであれば、個別事案として訴えることも念頭にあると伝えた。

こんなことをやっていても、頭が痛い。でも、やらなければ、悔しい。

やっぱり頭が痛くなっても闘うしかないんだ。やってて、間違いではないんだ。

2度と私のような思いをする人が生み出されないように。