優しくて可愛くてかっこよくて大好きな夫と死別しました

事故か自死か。夫が消えた人生をこれから歩みます。なんて自分が書いてることが信じられない35歳です

ミルフィーユおやすみ

半年の区切りを意識したわけではないのだけど、私は昨晩からようやく祖母の部屋を出て、自分の部屋で寝るようになった。半年でようやくこの変化なのだから、ひとり暮らしにたどり着くまでどれほどのハードルがあるのだろうと気が遠くなる。きっと、一人暮らしに至る前に、実家の庭にテントを張って住む期間なんかを挟んでしまうんじゃないか。

一方で、この実家の環境は、私が身をおきたい環境とは、本当は違う。私は今、自分が今までの人生で積み上げてきたものとか、培ってきたものとか、全部、脱ぎ捨てたいような衝動に駆られている。ものすごく重たいイエティみたいな毛皮をすぽんと脱いで、身軽な姿で雪山を走って行きたい(寒くて凍るけど)。夫がくれた大切なものだけ自分のハートに閉じ込めて、それ以外のいろんなものを置いて、走りたい。その置いていくものの中には、夫との甘くて幸せすぎる思い出たちも入っている。自分の中に溢れすぎて、抱えきれなくて、押し潰されてしまいそうだから、自分の体から一度おろしたいのかもしれない。

こんなふうに、思い出やこれまでの日々を脱ぎ捨ててもなお、その内側に「私」が存在すると感じられるようになったのは、もしかしたら心境の変化なのかもしれない。亡くなった当初は、脱ぎ捨てたら中身はどろどろで形を成さないもののように思っていた。こういう心境の変化を言葉にしていることも、心境の変化かもしれない。ずっと、変化そのものが、あまりに苦痛だった。認めたくなかった。全てが変わっていくことをどうにか阻止することに必死だった。あっちこっちに散らばっていく星屑を集めては、パラパラと崩れる星の粒で、また一つの星を作ろうとしていた。もう手に入らないとわかっているのに。無理だとわかっているのに、ただひたすら、それに取り組んでいた。

祖母の部屋から自分の部屋に移ったので、改めて寝具を出そうと思い、社宅から運んできた夫の掛け布団と枕とシーツを出した。少しだけ、夫の香りがする。この中で眠ったら、どんな気持ちになるのだろう。一晩悲しくて眠れないのだろうかと思ったけど、そのうち匂いに慣れて、感情もこみあげなくなった。

夜、暗闇の中でランプだけつけて、手元の夫の遺影を眺めてた。前にこの部屋で寝た時は、夫が実家に来てこの部屋で2人で寝た時だっただろうか。それとも、まだ結婚前で、私が実家暮らしのときだろうか。もう13年も前の夫の遺影を眺めながら、私の中で夫はこの時から、なんにも変わってないなと思った。でも、まさかこんなに悲しい気持ちで、こんな状況になってこの部屋で夜を過ごす日がくると思わなかった。

ランプを消して、布団に寝転がって天井を見ると、昔夫と毎晩していた電話を思い出した。元々、夫が早寝早起きで、私が遅寝遅起きだったのに、社会人になったら私の方が強制的に早寝早起きになり、平日寝るのはいつも私が先だった。就寝時間の少し前に、「もう寝るよん」と夫にメールして、電話をつなぐ。最初は私が、その日の夕飯を食べてから寝るまでにあった事をペラペラと話すのだけど、一通り話し終えると、急に私を眠気が襲ってくる。そのあたりから、夫が話し出す。夫の声は、ものっすごいアルファー波がでていて、催眠術のような魔力を持っている。私は夫の話を聴きながら、意識が飛び飛びになる。夫はそれに気付いて、「もうみんみん寝ちゃうかな〜?」と声をかけてくれる。そこから電話を切るまでに、夫が心をこめておやすみを伝えてくれる。

夫)「みんみん、おやすみ〜」

み)「おやすみ〜」

夫)「うん、おやすみ〜」

み)「おやすみ〜」

夫)「んっ?大丈夫かな?おやすみ〜」

み)「おやすみ〜」

夫)「もう切るよ〜おやすみ〜」

み)「おやすみ〜」

夫)「切るね〜おやすみ〜」

み)「・・・」

夫)「うんっ、おやすみ〜」

夫)「みんみん、おやすみ〜」

夫)「よいしょっと・・・おやすみ〜」

夫)「おやすみ〜」

夫は、眠りにつく私にですら、どこまでも丁寧で、優しくて、大丈夫か気にしてくれて、通信網にテアニンを乗せるような声で、私におやすみと伝えてくれた。私はこれを「ミルフィーユおやすみ」と名付けて、毎晩夫のミルフィーユおやすみがとっても楽しみだった。時に、ミルフィーユの層が笑っちゃうほどに多いことがあって、そんな時は途中で眠くなっていた私もさすがに「やりすぎだろ!!」とおかしくなって、目が覚めて笑いはじめることがあった。そんなときは、また寝かしつけからやり直しになって、結局は最後にミルフィーユが繰り返される。

昨日の晩は、夫の香りを布団に感じながら、こんな香りなんていらないから、あの夫からの電話がほしいなあ、と思いながら目を閉じた。