優しくて可愛くてかっこよくて大好きな夫と死別しました

事故か自死か。夫が消えた人生をこれから歩みます。なんて自分が書いてることが信じられない35歳です

無理は祟る

少し前の記事で、何かに気力を出して取り組むことがとても苦痛になったと書いた。もしかしたらうつ状態なんじゃないかとヒヤリとした。そのまま数日、自分を経過観察している。あの記事を書いた翌日くらいからだったか、だんだん無気力な状態は脱した。ポイ活については、そもそも関心がないのに、なぜか1ヶ月一生懸命取り組んで、疲れただけみたい(笑)。そりゃそうだ。あんなに当たらないくじを毎晩何本もいろんなリンクに飛んで引いていたのだから。私が自暴自棄になって無表情のままくじ引き続けてたら、それまで部屋の隅っこで悲しみに伏してたミニみんみんが見かねて寄ってきて、「いや、意味なくね?」と私に言ったような。いじけてたミニみんみんのツッコミを受けられたのなら、一本取ったという感じかもね!

そんな感じで、GW明けから仕事も再開して、なんとなく元に戻ったと思う。元がおかしいのか、あの時期がおかしいのか、わからないけど。そして、このところは仕事がだいぶ忙しいので、まあまあ集中できてる。それでも、仕事してると、気持ちが苦しくなる瞬間も多いけどね。会議とかメールとかで笑ったり、自分が笑顔になった後で、「なんで私は夫がいないのに、笑ってるんだろう」とか、「全部意味ない意味ない意味ない!」という思いに襲われる。そのギャップに気づく瞬間は、傷つく言葉を言われたときと似たような、グサっと刺さる痛みを胸に感じる。「えぐられる」という言葉があるけど、死別以降、まるで物理的に胸元をえぐられたような気持ちになることがたくさんある。それは、自分一人で考えていてなることもあるし、誰かのなにかのこともある。どちらかというと、自分自身でえぐっていること9割かもしれない。

今日は、その希少な1割の外部との交流からえぐられたお話。私も35歳をすぎて、中堅どころになってきたので、キャリアコンサルティング面談というものを社内で受けるタイミングだそうで。相談と言いつつ、ほぼ強制。そのプロセスがかなり長くて、過去の上司やら関係者への私の強みや弱みに関するヒアリング結果と、本人(私)の徹底した自己分析を組み合わせて、あーだこーだと私のキャリアや将来像について考える面談らしい。期間にして、数ヶ月かけて取り組むもの。今日上司から、「みんみんさん、近々受けてくださいね」とメールがきた。

そのメールを読んで、面談の内容を想像した瞬間、泣いたよね。将来について、考えることができない自分を思い知って。将来のどこにも大切な夫がいない現実に。同じ面談でも、30分とか、1時間とか、その場限りのやりとりなら、食いしばって頑張れるけど、そんな逃げ場のない何ヶ月ものセッションに取り組むのは、本当に苦しい。きっと、やったら発見もあるのだろうけど。それもわかる。今、路頭に迷って見えるからこそ、必要と思われるのもわかる。でも、ちょっと、ちょっと、待ってほしい・・・。どんな適性のない空きポストに送られても良いから、できればスキップさせて欲しい。

上司には、「自分の将来を考えられる状態になくて、思考をやめている状態なので、受けたくはないけど、義務なら受けます」と返信した。上司は、ちょっと人事と相談してまた連絡くれると返事をくれた。率直すぎただろうか。死別から6ヶ月経ったのに、いつまで我儘言ってるんだと思われただろうか。社会人失格と思われただろうか。でも、自分に正直でいることで今の私は生き延びているので、どうしようもないのです。こういうときに黙って受ける人がいれば、自己中心的な私とは大違いと尊敬するけど、それが最適解とは思わない。だって、いつかその無理は祟るから。

さあ、どうなるんだろうなあ。