優しくて可愛くてかっこよくて大好きな夫と死別しました

事故か自死か。夫が消えた人生をこれから歩みます。なんて自分が書いてることが信じられない35歳です

問題の構造

昨日はただ延々と人の悪口を書くような記事になってしまったのだけど、私が書きたかった本論は、あの先にあった。

昨日の一連の経験を経て、私は親と子という関係性について、またあーだこーだと考えた。夫の中にあった感情の内、どれが夫を苦しめたのかは、実際にはわからない。でも、夫の中の感情は、どれも相反しあっていたと思う。相反すればするほど、夫を苦しめたと思う。愛情を渇望していた面もあれば、親を軽蔑する面もあった。いつかは乗り越えてみせると思っていただろうに、最後は親の言う通りになってしまったと思い、追い込まれてしまったのだろうか。一時は助け舟に見えた私にも、裏切られたと言う気持ちが強いのかもしれない。結局は、母親と同じような言葉で、妻にも責め立てられたと思ったことだろう。そして、だから自分には本当に価値がないのだ、と思ってしまったのだろうか。そう確信を持たせることに、私も加担してしまったのだろうか。

でも、本当は夫の母親と私が夫を責めた時の目的は違ったはずだ。私は一度たりとも、夫に惨めな思いをさせたくて、あるいは優越感を得たくて、自分の優位を証明したくて、そんな気持ちで夫を責めたことはない。むしろ、いつだって応援してきたし、挑戦する夫を尊敬していた。しかしいつしか夫は、自分に自信を失い、それを放棄したように見えた。私はどうにかしないといけないと思った。夫が放棄して逃げようとする道を塞ぎたくなってしまった。そのために、夫が絶対に嫌がることをバーターに出してしまった。夫が目を覚まして、こりゃどうにかしなきゃ!と思う事を言わないといけないと思ってしまった。それで放った言葉が、私の未熟さ故に、単なる冷酷な宣告のようになってしまった。

私の伝え方が悪くて、夫にはただ、私に追い詰められた、責められた、その印象だけ残った。真意は、最後まで伝わらなかったと思う。でも、私が私の願望だけに駆られて夫を責めるわけがないのに。夢を抱いていたのは夫であって、ここで踏ん張らなければ、あとで夫自身が後悔してしまうと思ったのに。夫は、どこまで理解してくれたんだろうか。私と、あの人は、全く違うのに、夫の中では、みんみんにも理解されなかった、見捨てられた、と思ったまま全てが終わったのだろうか。なんとなく、夫が元々持つトラウマと私が一緒くたにされた気がして、悔しい。

先週、秋葉原の通り魔事件を起こした方の弟さんが亡くなったという記事を読んだ。もう数年前のことだそうだ。言わずもがな、事件を起こしたお兄さんを持つというだけで、弟さん自身には、まったく罪はない。それでも、何度引っ越してもマスコミに追われ、職を転々としたという。そんな中でも、この弟さんには、結婚まで考えた素敵な女性がいたそうだ。交際期間中、2人は幸せな時間を過ごしたのだけど、結婚の段階になり相手の親から許しを得られなかったと言う。次第に2人の関係性もほころび始め、最後はその愛する女性からも、最も言われたくない言葉を言われるようになったという。手記の中で、この弟さんは、この女性と出会ったことを、「持ち上げられてから落とされた感じ」「結果論ですが、今となっては逆効果でした」と表現していた。耐えがたい状況下で、本当は誰よりも大切な相手に攻撃してしまうというやるせない状況。本当は言ってはいけないとわかっている言葉を相手に浴びせてしまう状況。きっとマスコミの圧力もあって、私たちとは全く違う苦しみがあったのだと思うけど、一組の男女が経験したこととして、私はこの弟さんと女性に痛いほどに共感した。

そして、もう一つ、この弟さんの話に考えさせられることがあった。この弟さんは、兄弟揃って、ずっと母親から虐待を受けていたという。家庭内では厳しいしつけやルールが敷かれ、口ごたえは許されなかったと言う。しかし、弟さんは、自分や兄を虐待した母親を恨み、憎んでいるとしながらも、行き過ぎなほど冷静に、客観的に親のことを捉えていた。これは、とても夫の考え方と似ていると思った。親を全否定したり、全てを親の責任にするのではなく、親に逃げ場を用意してやるのだ。この弟さんがマスコミに対して両親のことを話した理由の中に「たしかに両親への恨みや憎しみはありましたが、親のせいではないということを証明したかった」とあった。しかし同時に、この弟さんは自分と家族が同じ血を分けていることを受け入れ難く思っていた。「兄は自分をコピーだと言う。その原本は母親である。その法則に従うと、弟もまたコピーとなる。兄がコピー1号なら、自分は2号だ。」きっと、どこまでも親を軽蔑する気持ちも、当然ながら持っていたのではないか。

私は、夫と衝突する中で、「困ったことから逃げるところが母親とそっくりだ」と夫を責めた。「それだけは嫌なはずなのに、あなたはそれでいいのか?どうにかしなきゃいけないと思わないのか」と迫った。夫はこの時、自分でどうにかするというキャパシティを持ち合わせていなかった。心に重傷を負っていたから、どうしようもなかったのだと思う。目に見えないということは、どれほど恐ろしいことだろう。私は、本質的には空振りをしながらも、バンバンとバットで夫を痛めつけてしまったのだと思う。誰よりも軽蔑しているはずの人と、同じだと言ってしまったのだから。

たまたま読んだ記事だったのだけど、問題の構造があまりに似ていて、色々と考えてしまった。弟さんにも、私の夫にも、絶対に天国では自由に幸せに過ごしていてほしい。

 

弟さんの発言引用は、全て以下の記事より:

「秋葉原連続通り魔事件」そして犯人(加藤智大)の弟は自殺した(齋藤 剛) | 現代ビジネス | 講談社(1/8)