優しくて可愛くてかっこよくて大好きな夫と死別しました

事故か自死か。夫が消えた人生をこれから歩みます。なんて自分が書いてることが信じられない35歳です

ミルフィーユおやすみ

半年の区切りを意識したわけではないのだけど、私は昨晩からようやく祖母の部屋を出て、自分の部屋で寝るようになった。半年でようやくこの変化なのだから、ひとり暮らしにたどり着くまでどれほどのハードルがあるのだろうと気が遠くなる。きっと、一人暮らしに至る前に、実家の庭にテントを張って住む期間なんかを挟んでしまうんじゃないか。

一方で、この実家の環境は、私が身をおきたい環境とは、本当は違う。私は今、自分が今までの人生で積み上げてきたものとか、培ってきたものとか、全部、脱ぎ捨てたいような衝動に駆られている。ものすごく重たいイエティみたいな毛皮をすぽんと脱いで、身軽な姿で雪山を走って行きたい(寒くて凍るけど)。夫がくれた大切なものだけ自分のハートに閉じ込めて、それ以外のいろんなものを置いて、走りたい。その置いていくものの中には、夫との甘くて幸せすぎる思い出たちも入っている。自分の中に溢れすぎて、抱えきれなくて、押し潰されてしまいそうだから、自分の体から一度おろしたいのかもしれない。

こんなふうに、思い出やこれまでの日々を脱ぎ捨ててもなお、その内側に「私」が存在すると感じられるようになったのは、もしかしたら心境の変化なのかもしれない。亡くなった当初は、脱ぎ捨てたら中身はどろどろで形を成さないもののように思っていた。こういう心境の変化を言葉にしていることも、心境の変化かもしれない。ずっと、変化そのものが、あまりに苦痛だった。認めたくなかった。全てが変わっていくことをどうにか阻止することに必死だった。あっちこっちに散らばっていく星屑を集めては、パラパラと崩れる星の粒で、また一つの星を作ろうとしていた。もう手に入らないとわかっているのに。無理だとわかっているのに、ただひたすら、それに取り組んでいた。

祖母の部屋から自分の部屋に移ったので、改めて寝具を出そうと思い、社宅から運んできた夫の掛け布団と枕とシーツを出した。少しだけ、夫の香りがする。この中で眠ったら、どんな気持ちになるのだろう。一晩悲しくて眠れないのだろうかと思ったけど、そのうち匂いに慣れて、感情もこみあげなくなった。

夜、暗闇の中でランプだけつけて、手元の夫の遺影を眺めてた。前にこの部屋で寝た時は、夫が実家に来てこの部屋で2人で寝た時だっただろうか。それとも、まだ結婚前で、私が実家暮らしのときだろうか。もう13年も前の夫の遺影を眺めながら、私の中で夫はこの時から、なんにも変わってないなと思った。でも、まさかこんなに悲しい気持ちで、こんな状況になってこの部屋で夜を過ごす日がくると思わなかった。

ランプを消して、布団に寝転がって天井を見ると、昔夫と毎晩していた電話を思い出した。元々、夫が早寝早起きで、私が遅寝遅起きだったのに、社会人になったら私の方が強制的に早寝早起きになり、平日寝るのはいつも私が先だった。就寝時間の少し前に、「もう寝るよん」と夫にメールして、電話をつなぐ。最初は私が、その日の夕飯を食べてから寝るまでにあった事をペラペラと話すのだけど、一通り話し終えると、急に私を眠気が襲ってくる。そのあたりから、夫が話し出す。夫の声は、ものっすごいアルファー波がでていて、催眠術のような魔力を持っている。私は夫の話を聴きながら、意識が飛び飛びになる。夫はそれに気付いて、「もうみんみん寝ちゃうかな〜?」と声をかけてくれる。そこから電話を切るまでに、夫が心をこめておやすみを伝えてくれる。

夫)「みんみん、おやすみ〜」

み)「おやすみ〜」

夫)「うん、おやすみ〜」

み)「おやすみ〜」

夫)「んっ?大丈夫かな?おやすみ〜」

み)「おやすみ〜」

夫)「もう切るよ〜おやすみ〜」

み)「おやすみ〜」

夫)「切るね〜おやすみ〜」

み)「・・・」

夫)「うんっ、おやすみ〜」

夫)「みんみん、おやすみ〜」

夫)「よいしょっと・・・おやすみ〜」

夫)「おやすみ〜」

夫は、眠りにつく私にですら、どこまでも丁寧で、優しくて、大丈夫か気にしてくれて、通信網にテアニンを乗せるような声で、私におやすみと伝えてくれた。私はこれを「ミルフィーユおやすみ」と名付けて、毎晩夫のミルフィーユおやすみがとっても楽しみだった。時に、ミルフィーユの層が笑っちゃうほどに多いことがあって、そんな時は途中で眠くなっていた私もさすがに「やりすぎだろ!!」とおかしくなって、目が覚めて笑いはじめることがあった。そんなときは、また寝かしつけからやり直しになって、結局は最後にミルフィーユが繰り返される。

昨日の晩は、夫の香りを布団に感じながら、こんな香りなんていらないから、あの夫からの電話がほしいなあ、と思いながら目を閉じた。

海の向こうから夫に届いたクッキー

夫が亡くなって、私は夫と2人で住んでいた社宅ではなく、実家に拠点を移した。夫が亡くなってから1ヶ月以上かけて、社宅の荷物をまとめて、補修をして、気持ちをなんとかまとめて、最後は社宅を後にした。

実家には、社会人になってからもずっと住んでいたので、大学で上京して一人暮らしをずっとしていた人に比べたら、社会人になっても実家に暮らすことには慣れている。私も慣れているし、家族も慣れている。だから、「特にこれが困る」というような実家暮らしの悩みはあまりない。むしろ、一切の家事や手伝いを放棄して、この世の終わりみたいな顔をずっとしているのに、この半年間、一切小言を言われていないのは、私の家族の優しさなんだと思う。なんなら在宅勤務をしていると、父が「Uber Eatsだよ〜」とか言いながら、コーヒーとお菓子を運んでくれる。私の部屋ではお菓子がたまりすぎて、夫くんの遺影の前に甘党の父チョイスのお菓子が積み上がっている。夫くんも同じ甘党なので、きっととっとこハム太郎みたいなリュンリュンの目をして、お菓子をハムハム食べてるんだろうなと思う。ああ、可愛いなまったく。ずるいんだまったく。

今、夫の遺影前に置いているお菓子の超目玉は、イギリスに住む友人が送ってくれた、フォートナムアンドメーソンのクッキーだ。ずっとずっと、私たちのことを気にかけてくれた友人。芸術肌で生活感がなく、口数だって少ないのに、誰よりも本当に支えようとしてくれた。その気持ちを、言葉で、行動で、いつも示してくれた。毎週毎週、メッセージをくれた。遠くから私たちに小包を贈ってくれた。長期休みをとって、私に会いにきてくれた。先日の私の誕生日だって、プレゼントを送ってくれた。泣けるほどに優しい。それなのに、私は彼女に素直に返信できなかったりする。今も2週間前にきたメッセージを、そのまま返信せず寝かせてしまっている。理由はいくらでもあるけど、そのどれも彼女は悪くない。ただ、私が心の準備をできていないだけ。トントンと進むメッセージで、軽やかに「最近どうしてるか」を話せないだけ。赤ちゃんが生まれたばかりの彼女と、何を共通項にやりとりすれば良いかわからないだけ。自分の気持ちや言葉が、陰鬱すぎて、100tくらい重さがあるんだ。気を使う相手には、表面のカラ元気で対応できるんだけど、この友人には気を使わないので、素の私なのだと思う。素の私は、ほんとに、威嚇されたはまぐりのように、無言。

彼女とやりとりする時は、夫の隣で無我夢中で食いしばっていた自分を思い出す。彼女だけがずっと心の支えだった。どれだけ励ましてくれたか。夫のことを一番わかっているのはあなただから、自分を信じてよいって送ってくれたときは、苦しさで爆発しそうな時だった。友人の言葉が嬉しくて、嬉しくて、画面をスクショして、保管したっけ。だから、彼女とやりとりすると、全て終わってしまったことを、尚更痛感してしまう。こんなこと、まだ彼女には伝えてないんだけど。

彼女が送ってくれたクッキーは、マカダミアナッツがたくさん入ってて、バターがたっぷりで、夫くんが大好きだった。夫くんは体調を崩してから私の悪意をいつも疑っていて、いろんなものをはねつけてたくせに、このクッキーは、怒りながら缶を抱えてむしゃむしゃ食べてた笑。目の前でやられるとめちゃくちゃに腹が立つんだけど、後から考えると笑っちゃう光景がたくさんあった。本当ならたくさん笑い話がある。その時の夫には面白みを共有できなくて、共有する機会がないまま、亡くならせてしまった。私は、なんでも笑ってしまうことが好きだから、ほんとにいつか、どんなに苦しい時間も、面白かった思い出に変えたかった。自分たちのちっささと滑稽さを、夫と笑い飛ばしたかった。そうやって、どんなことも2人で乗り越えてやってきたのにな。闘病中だって、ふとそうやって2人でフフッと笑っちゃう瞬間が、たくさんあったのにな。

夫がこのクッキーが大好きだと知って、私の友人はまた新たに調達したクッキーを2020年10月に私に送ってくれた。その頃夫はもう社宅にはいなくて、別の場所に暮らしていたので、クッキーをいつか夫に届けようと思いながら、まだ先で大丈夫と思ってしまった。結局、友人がまたクッキーを夫のために送ってくれたことを、夫に伝えられないままとなった。夫が亡くなって、ずっと開けられなかったクッキーを、先日の半年の区切りの日に開けた。塩党の私が食べても、夫の半分も楽しめない。自分の口の中が、夫が大好きな味でいっぱいになって、涙をこぼしながら食べた。

海を隔てたはるか遠くから、あなたを心配している人がいるって、このクッキーとともに夫に伝えたかったな。もう伝えられないことが、とんでもなく悲しい。友人にも申し訳ない。時間を巻き戻して、全部やりなおしたい。

 

幸せの証明

4月の誕生日に続けて、5月の6ヶ月目の命日があり、6月は交際記念日がある。

その後は、夫の誕生日や、1周忌。

亡くなった日に向かうまでの数ヶ月は、きっと苦しいだろうなと思う。8月、9月、10月と、夫は異常な状態に身を置いていて、極限まで追い詰められていた。私も、自分に出来る限りの力を振り絞って、憔悴した夫の隣にいようとした。2人が社会から見捨てられて生きた時間。あの時のことを思い出す期間が、これからあると思うと、怖くなる。

なんで、私の人生は、こんなに苦しいことになったのかなと思う。夫が生き返ることはないので、この苦しい時間は、まだまだ続く。こんな体が軋むほどの苦しみを感じながら、これからも毎日を生きていくことは、弱音を吐くようだけど、とても大変だ。そのフィナーレとして、亡くなってから一年の命日があって、またそこから二年目へと続くのか。途方もない、という言葉しかでない。

それでも今は、気持ちが比較的穏やかな時期だ。本心では、これ以上の自責とか、自分の後悔を新たに探すことは不毛だと思っている。自責のネタは無限にあるわりに、内容としては小粒なものだから。その過程で美しい思い出さえ破壊してしまうから。それよりも、これまでに気づけた大きな反省について、逃げずに考えていくことの方が大事だと思う。どれだけ反省しても、その本当の相手は、もう声の届かない人、心から詫びても伝えられない人、許しさえくれない相手なのが、困る。このことも、またどこかで自分なりのタイミングとか区切りというものを持つのだろう。

対外的にはどうか。これは猛烈な強がりなんだけど、色々と思うところがある。側から見ると、私が夫の症状に困っていたように見えると思う。私が苦しめられたと思っている人もいるかもしれない。いくら私たちが夫を追い詰めた結果だとしても、人によっては亡くなった夫を責めたくなったり、怒りが湧く人もいるかもしれない。でも、私が一つよかったと思えることは、私の場合、夫へのそういう感情がないことだ。この後、どこかの段階ででてくるかはわからないけど、私は夫への複雑な感情はない。ある種、夫への感情はハートでいっぱいだ笑 私から夫に対してあるのは、まっすぐな愛情だけ。大好き、大好き、大好き。そして、私が今困ったり、苦しんだりしていることが、夫のせいだと思いたくない。もっと端的にいうと、夫に不幸にされたと誤解されたくない。夫は、私にとてつもない幸せを与えてくれたから。10年以上、笑顔でいっぱいにしてくれたんだから。これからも、きっと夫のことを想って、本当は笑顔でいたい。

その誤解をされたくなくて、ずっと引きこもっているのかもしれない笑 外に向かっていくときは、強がりでもいいから、元気に出ていきたい。夫が今も私に幸せをもたらしてくれていることを、私は自分で証明したい。悲しい出来事だけど、夫のせいで私がどうこうなっているとは思われなくない。

ようやく、こうして自分について考える機会を自分に与えられた気がする。こんなことを言う欲も、権利も、ずっと自分にはなかった。自分がどう見られたいか、文字に落として、少し考えられた。また気長に自分を見つめていこうと思う。

死後の世界

早いもので、夫が亡くなって半年が過ぎた。

5ヶ月目に、これまで長かったなと思ったのに、そこから今までの1ヶ月は、なんだかあっという間だった。

ずっと、この半年のタイミングを一つの区切りにしようと思っていた。多分、5ヶ月過ぎた頃から、私は1月先の6ヶ月目の命日のことをずっと考えていた。

ただ、この区切りは、実は期待したようには運ばなかった。なんとなく、時期が近くなるにつれて、私は「うまくいかないのだろうな」という気がしていた。誰かの力を借りて、夫のことを近くに感じたかった。仲直りがしたかった。でも、私は、全部ひっくるめて、納得できないのかもしれないなと思った。きっと、信じる者は救われるんだと思う。でも、私はやっぱり、目に見えるものしか信じられないのかもしれない。

この区切りを持ったこと自体、全然後悔していない。私という人間は、了解可能な中でしか自分を納得させられないということが改めてわかったし、やっぱり夫はいなくなってしまったんだろうな、とわかった。死別した方の中には、そうすっぱりと割り切る人もいる。要するに、死後の世界があるかないか、という話。「死後の世界はない。一切が無になる」という考え方の人もいる。そう思えることは、すごいなあと思う。だって、自分の逃げ場とか、拠り所がなくなってしまうから。

私は、どうだろう。

夫が亡くなったときに、私にも目に見えない刀がスパっと振り落とされた。そのあまりの衝撃に、最初は痛みがわからなくて、あれ?そんなこと、ある?と放心した。しばらくして、遠くからの津波のような痛みが襲ってきて、私にぶちあたると、今度はドクドクという鼓動の音とともに、激しい痛みが体中を駆け巡った。

逃げだしようのない苦しみと痛みを感じていたのが、12月とか、1月頃だったと思う。この頃に、死後の世界があるとネットでみた。それを読んで、もう口元まで上がっていた水面が、さーっと肩まで引いた。それくらい、救われた。少し笑顔さえ出るようになった。まだ夫くんはいる。夫くんは私を見てくれている。夫くんと仲直りができる。死の悲しみすら、挽回する手立てがこの世界にはある。

でも、そのことを確認するのはまだ少し先にしようと思い、夫が亡くなってから半年後をその機会とした。それまで、ずっとこのことを心の拠り所としてきた。これ以上落ちたら、死への一歩を踏み出すかもしれないと思ったときも、半年までは、まず生きようと思えた。

そして今。やっぱり、それは、ないのかもしれない、という答えが見え隠れしている。

私はそれを確定させる勇気はない。確率論でいって、うまく夫くんの存在を感じられることもあれば、失敗することもあるだろう。たまたま、失敗してしまったのかもしれない。本当は、この世からはどんな方法をもっても実感はできないものの、夫くんは確かに私を見てくれているのかもしれない。なにもかも、わかりはしない。

そんな中で、もしもう夫が無になったと私が確定してしまったら、私自身は追い詰められる。

私が毎日泣いて呼びかけていることも、おすそわけで置いてあげているお菓子も、時々一口目をあげるコーヒーも、ぜーんぶ、あまりに虚しい行為になる。本当に、独り言。本当に、一人。

だからといって、私は納得できないことを、自分に言い聞かせることは、やっぱりできないみたい。だから、やっぱり曖昧にしておくしかないんだな、と思った。

それに結局のところ、私にとって大事だったのは、夫くんとまた出会うことではなかったのかもしれない。本当は心のどこかで、そんなことは叶わないとわかっている。ただ、あのどうしようもなく苦しかったときに、何か生き延びる目的を与えてくれたことに、この全ての経緯の意味があったのだと思う。きっとこうして、追い詰められては、救いを見出し、冷静になっては、何かを昇華しながら、この死別という経験を生きていくのだろうなあと思う。

 

無理は祟る

少し前の記事で、何かに気力を出して取り組むことがとても苦痛になったと書いた。もしかしたらうつ状態なんじゃないかとヒヤリとした。そのまま数日、自分を経過観察している。あの記事を書いた翌日くらいからだったか、だんだん無気力な状態は脱した。ポイ活については、そもそも関心がないのに、なぜか1ヶ月一生懸命取り組んで、疲れただけみたい(笑)。そりゃそうだ。あんなに当たらないくじを毎晩何本もいろんなリンクに飛んで引いていたのだから。私が自暴自棄になって無表情のままくじ引き続けてたら、それまで部屋の隅っこで悲しみに伏してたミニみんみんが見かねて寄ってきて、「いや、意味なくね?」と私に言ったような。いじけてたミニみんみんのツッコミを受けられたのなら、一本取ったという感じかもね!

そんな感じで、GW明けから仕事も再開して、なんとなく元に戻ったと思う。元がおかしいのか、あの時期がおかしいのか、わからないけど。そして、このところは仕事がだいぶ忙しいので、まあまあ集中できてる。それでも、仕事してると、気持ちが苦しくなる瞬間も多いけどね。会議とかメールとかで笑ったり、自分が笑顔になった後で、「なんで私は夫がいないのに、笑ってるんだろう」とか、「全部意味ない意味ない意味ない!」という思いに襲われる。そのギャップに気づく瞬間は、傷つく言葉を言われたときと似たような、グサっと刺さる痛みを胸に感じる。「えぐられる」という言葉があるけど、死別以降、まるで物理的に胸元をえぐられたような気持ちになることがたくさんある。それは、自分一人で考えていてなることもあるし、誰かのなにかのこともある。どちらかというと、自分自身でえぐっていること9割かもしれない。

今日は、その希少な1割の外部との交流からえぐられたお話。私も35歳をすぎて、中堅どころになってきたので、キャリアコンサルティング面談というものを社内で受けるタイミングだそうで。相談と言いつつ、ほぼ強制。そのプロセスがかなり長くて、過去の上司やら関係者への私の強みや弱みに関するヒアリング結果と、本人(私)の徹底した自己分析を組み合わせて、あーだこーだと私のキャリアや将来像について考える面談らしい。期間にして、数ヶ月かけて取り組むもの。今日上司から、「みんみんさん、近々受けてくださいね」とメールがきた。

そのメールを読んで、面談の内容を想像した瞬間、泣いたよね。将来について、考えることができない自分を思い知って。将来のどこにも大切な夫がいない現実に。同じ面談でも、30分とか、1時間とか、その場限りのやりとりなら、食いしばって頑張れるけど、そんな逃げ場のない何ヶ月ものセッションに取り組むのは、本当に苦しい。きっと、やったら発見もあるのだろうけど。それもわかる。今、路頭に迷って見えるからこそ、必要と思われるのもわかる。でも、ちょっと、ちょっと、待ってほしい・・・。どんな適性のない空きポストに送られても良いから、できればスキップさせて欲しい。

上司には、「自分の将来を考えられる状態になくて、思考をやめている状態なので、受けたくはないけど、義務なら受けます」と返信した。上司は、ちょっと人事と相談してまた連絡くれると返事をくれた。率直すぎただろうか。死別から6ヶ月経ったのに、いつまで我儘言ってるんだと思われただろうか。社会人失格と思われただろうか。でも、自分に正直でいることで今の私は生き延びているので、どうしようもないのです。こういうときに黙って受ける人がいれば、自己中心的な私とは大違いと尊敬するけど、それが最適解とは思わない。だって、いつかその無理は祟るから。

さあ、どうなるんだろうなあ。

宗教観

夫は果たして、今どんな気持ちなのだろう。

魂があるとしたらの話だよ。死後の世界があればの話だよ。

こんな条件をつけないと、亡くなったはずの夫の気持ちを、私は大っぴらに想像してはいけない気がしてしまう。ちょっとみんみん、やばいんじゃないか?いよいよ危ない世界に踏み込んだんじゃないか?という指摘を恐れて。もともと自分自身がもつ偏見も相まって、「全然そういうのじゃないんだけどね!!!」みたいな枕詞をつけてしまう。自分が信じること、信じたいこと、心の支えにすることを声に出すときに、こんなに後ろめたいような気持ちになるのは、嫌だなあ。

もし自分の親が私より先に死別して、「魂」とか、「死後の世界」なんてことを言い出したら、私はきっと、冷たい言葉を言ってただろうなあ。「そんなこと言ってると、悪徳商法にかかっちゃうよ!」とか、「現実に生きないと〜」とか。今は、死別を経験した人が目の前にいたら、そのすさまじい心の痛みがわかってしまうから、とてもそんなことは言わないし、言えない。側からみてのめり込んでても、そうなる心境すらわかると思う。

今の私が誰かに軽い気持ちでそんな風に諭されたら、すっごく悲しいだろうな。軽い気持ちで諭せちゃうのは、魂とか、死後の世界というものが、それくらい非現実的で、空想の世界と思えるからなんだよね。それは、自分でも、わかる。

むかーしむかーし、宗教学を学んで、世の中にあらゆる宗教があると知った。最初はすっごく苦手で成績も最低だったんだけど、いつの間にか宗教学は私の得意科目になってた。宗教学のちびこいエースとして、先生から「みんみんさんはどう思いますか?」なんて名指しで意見を求められることもあった。でも、勉強しながら、私は宗教が世界中の争いと殺戮につながったように思えて、嫌気がさした。それで、十代の頃は宗教って、嫌い!と思っていた。でも、20代に諸外国を旅して、信仰に生きる人が美しく見えることがあった。アメリカで出会った人々で、本当の優しさを目の奥に秘めているのは、宗教を信じる人であると思った。もしかしたら、宗教を信じることが優しさにつながっていたのかもしれないし、宗教を必要とするほどの苦しみを経験した人だから、優しさを持っていたのかもしれない。それは、どちらかわからないんだけど。

そして、夫が亡くなり、私はある種これまでの思考パターンで生き辛くなった。思考と思想が路頭に迷うこととなった。そんな中で、私が一番包容力を感じたのは、宗教だった。例えば、前にも少し書いたけど、年末年始に京都の尼寺の動画を見て、「ああ、ここに行って、この尼さんたちに、私の話を聞いてほしいなあ。到着した瞬間、私はきっと安堵して、オンオン泣いてしまうだろうなあ」と思った。遺族支援をするお坊さんたちのHPを見て、「ああ、ここに連絡とってみようかなあ。単なる慰めではない、寄り添う言葉をくれるのだろうなあ」と思った。SNSで発信されてる牧師さんの言葉を読んで、なんて温かいのだろうと思った。こんなに誰かに光を灯すような言葉を発せられるのは、すごいなあと思った。同じとき、アメリカで牧師さんの自死がとても多いと読んだ。あらゆる人の苦悩を吸い込んで、どれほど大変な役割だろうかと思った。

それで、10代の頃の宗教観が、少し変わってきた。きっと、世の中にはもっともっといろんな宗教の温かい言葉があるのだろうなあと思うようになった。そういう言葉たちを蓄えて、夫を包んであげたかったなあ、なんて、結局夫に思考がつながるのだけど。つまりは、私がどれだけ考えて、夫に向けて心からの言葉を紡ぎ出そうとしても、うまくいかなかったんだ。そのことで、私は自分の無力を知ってしまったように思う。私の言葉はどれも嘘っぽくて、安っぽくて、声だってうわずって、「目的」を持っている声だった。そうではないものを、結局わたしは、ずっと自分から生み出すことができなかったなあと、ひどく情けなく思う。

宗教そのものはおそらく人を包み、生きる力を与えてくれるのだろうと、この死別と言う経験を通じて、改めてじんわり感じた。それが争いにならないよう、お互いの信条を尊重しあい、敬う気持ちが大事だから、そんな教えもすべての宗教で採用してくれたら良いよね。「絶対別の宗教の人と争わないこと!敬いあうこと!超尊敬しあうこと!」みたいな・・・・。きっと、そう言う人もたくさんたくさんいると思うけど。私が言ってる争いって、世界史の話だからね・・・・。

夫の今の心境について書くはずが、死後の世界と宗教の話になってしまった。

今日はここまで。

 

驚きの億劫な気持ち

夫と暮らしていたときは、何をするにも一緒だった。

どちらか1人が外出とか、どちらか1人が買い出し、とかはなくて、いっつも一緒。気持ちがいつもシンクロしてて、行きたい場所も、食べたい場所も、いつもぴったり合う。お互いの提案に、「いいね!」とか「行こっか!」と言って、いつも2人とも乗り気だった。大体同じ生活をしているので、自然体でいながら、同じようなタイミングで、同じ物を欲していたんだろうな。

私は、単独行動が、とても苦手だと思う。一人で過ごしていると、どんどん気分が落ち込んでしまう。寂しいことが苦手なのかもしれない。一人でショッピングするときは、店員さんに話しかけられても、自分のどこから声がでているのかわからないくらい、情けなく暗い声が出る。そして、びくびく話してしまう。相手にイラつかれたり、嫌われたような気持ちになることもある。一人の時の、自分の自信のなさ、元気のなさ、完全なシャットダウン感はなんなんだろうと思う。警戒心がとても強いのかもしれない。何かを守ろうとしているのかもしれない。澄ました顔をしているのかもしれない。よくわからないけど、とても生きにくい状態になるから、単独行動は苦手。

夫といる時は、エネルギーがぐんぐんチャージされて、とても調子にのっている。絶好調!という感じで笑顔が止まらず、元気だ。夫も、同じだったように思う。私と一緒のときは明るかったし、元気で、へんてこなお調子者だった。ほんとに、2人でよく笑った。

夫が亡くなって、一人になって、もうすぐ半年経つ。その間、外出することはほぼないけど、家の中でできること、例えばこのブログだとか、SNSとか、メルカリとか、ポイ活とか、色々手を出してきた。どれも、夫が元気な時は、する必要性も、欲望もなかった。目の前の2人の生活に、満たされまくっていたから。最高の1日にすることに一生懸命だったから。人生を夫と2人で分かちあうことで、100%ハッピーだったから。ま、美化しすぎかもしれないけど、そういうことなんだと思う。

一方、死別後はこういう匿名性のあるネットの場に大いに救われてきた。こういうものがなかったら、死別から始まった真っ暗な日々を、どう過ごしていたかわからない。気持ちがくるしくなりすぎて、本当に爆発してしまったかもしれない。それで、死別後はとにかく、せっせせっせとこれらの場にアクセスして、ブログ書いたり、SNS記事を載せたり、メルカリで売買したり、ポイ活アプリでくじをたくさん引いたりしてきた。

それが、3日ほど前だろうか。すべてのやる気が、シュンと消えた。これまで毎日ほとんどの時間アクセスしていたこれらのアプリを、開けなくなった。開いても、何を発信すれば良いかわからなくなった。この感覚が、ものすごく不思議で、何が起こっているのか怖くなった。

例えばポイ活。これは1ヶ月前から始めた。毎日なんの楽しみもないけど、楽天アプリのくじを引くのが楽しみになり、1ヶ月間毎日、上限回数分を引いていた。それが、3日前くらいからくじのタイミングを逃すようになって、昨日はアプリを開けることを脳が完全に拒否した。アプリなんてタップで開けるし、くじなんて何も考えずに引けるのに、それをすることがすごく苦痛に感じた。

自分の変化に気づいた瞬間、背筋がすっと涼しくなった。これが、鬱なのかな?と思った。何かをすることがとてつもなく億劫で、無理矢理やると苦痛を伴う状態。こんなに長期に亘って一生懸命になっていたことが、次の日苦痛になっている状態に戸惑った。

でも待てよ。日常生活という意味では、私は毎日始業までに起きて、顔洗って、着替えて、ご飯食べて、仕事もしてる。本当に億劫になるなら、生活全般に影響がでるのでは?でも、新型うつというのは一部に症状が出るとも言うし、こういう出方もあるのだろうか?

あるいは、もしかしたら、これまで死別ハイのような状態で、これまで関心がなかったことに毎日のめり込んでやっていたけど、ふと我に返ったのか?でも、それなら億劫とか苦痛という気持ちにならないのでは?ただ、「興味ないわ」という気持ちになるはずなのでは?

そんな中でも、ブログは前と変わりなく書きたい気持ちがあるので、今日書いてみた。結局自分の中で何が起こっているのかは、わからない。もしかしたら、心が何かサインを出しているのかもしれない。出していても、何も不思議じゃない。うん、全然不思議じゃない。先週仕事が終わらなくて、明け方までやっていたので、それも影響しているのかもしれない。無理は禁物だ。生きるのであれば。