優しくて可愛くてかっこよくて大好きな夫と死別しました

事故か自死か。夫が消えた人生をこれから歩みます。なんて自分が書いてることが信じられない35歳です

悲しみの周期の自己分析

自分の中の気持ちの振れ幅が相当ある。

ベースとなる気持ちの基準点は、基本変わりない。心ここにあらず。全てが非現実的な感じ。現実として直視できない。「それで私は何してるの?何のために生きてるの?」と問い出すと、一気に何かが音を立てて崩れそうな感じ。私は存在しているけど、自分が存在しようと思う意思はない。自分が今を生きる、存在するという意思を持たない感覚は、初めてだ。それくらい、自分が空っぽ。空っぽというより、実存する意思がない。本当の意思では、今、この瞬間に、全てが終わってほしい。自分がこの世に存在していることと、自分の身に起こったことと、その意味やら、意義やら、考えることができない。考えないと、地に足をつけられない。でもこれらの一つ一つを、ルービックキューブのようにがちがちと合わせていくと、とんでもない事実にぶちあたってしまう。合わせると苦しいので、今は、ぐっちゃぐちゃなままになっている。そのまま、そこらへんに転がっている。

基本の状態はこんなところで、ひと月を通じて、この状態からさらにアップダウンがある。私の場合、ここ数ヶ月を見ていると、そのアップダウンは予測可能なようだ。どうも、そのパターンが私自身のホルモンバランスの周期と連動している。これまで私はずっと、自分が理性的な生き物であり、ロジカルシンキングが得意だと思ってきた。感情に流されるよりは穏やか(自称)だと思ってきたし、理不尽や理屈の通らないことはよくないと思ってきた。冷静沈着とはいかないけど、合理的だと思ってきた。けれど、そんな生き物はおそらくこの世にいない。きっとこの世で最もロジカルシンキングができる人は、自分が理性を持ち合わせない時が多々あると自覚している人なんだろうな。やっぱり自覚とか、当事者意識とか、大事。

とにかく、こうして私は月に1回、1.5週間くらいの期間に亘って、自分のホルモンやら体内物質からの影響を、大いに体験している。散々ここまでロジカルシンキングを持ち上げてきた気もするけど、実感としては、自分の本音とか、真実に近い感情は、実はこの1.5週間のうちに感じているものだと思っている。この期間は、普段理性で押さえ込んでいる色々な感情が剥き出しで、悲しみも、苦しみも、怒りも、悔しさも、ド直球でやってくる。夫の死が、骨太の事実として自分にバコーン!と除夜の鐘つきのように衝突してくる。それに吹っ飛ばされて、感情が暴れて、もう大雨、大嵐。吹き上げられて、叩きつけられて、最後は力尽きて泣き止む。こういう悲しみって、何度振り返っても、人生で経験したことなかったな。

この期間中は、1日のうちに、4回も5回も泣く。そして、都度、全力で泣く。ぽろぽろと泣くのではない。ぎゅうぎゅうと息を殺して全身をこわばらせながら、長い時間泣く。気づけば、目の周りに赤い班点ができている。この斑点はなんだろうと調べると、検索結果に〇〇小児科とか〇〇こども医院みたいのが並んでいる。どうやら、乳幼児が全力で泣くときに、毛細血管が切れてできるものらしい。母親に聞いたら、「私もお産の時にできた」だって。そうか、これは乳幼児や大人のお産レベルで力んでるのか。

今は毎月の周期の中でも嵐の後の静寂期。嵐が去った海で、ぷか〜と水面に浮いている心地。夫の死に向き合うことを欲さないし、向き合うのが実はちょっときつい。怖い。何事も深掘りしない。遺影と目を合わさない。無気力。泣くことも、1日に1、2回で、短時間。何も進んでいる気はしないし、夫のことは考えられないし、休息期と思うようにしているけど、自分に休息する権利なんてないと記憶が教えてくれるので、自己嫌悪もちらつく。それでも、一番激しい時期に感じる自己嫌悪とは雲泥の差で、とにかく全てお気楽だ。

いつもこうして自己分析した上で、結局どの状態なら良いなんてことはなくて、全部意味ないと思うんだけどね。究極論とは、残酷だなあ。

本にまつわる話②

本好きな夫が私に読書を奨めることは一度もなかったけど、プレゼントの形で贈ってもらうことは何度かあった。エドワード・ゴーリーという絵本作家の絵本を、付き合ってすぐの頃から数年にわたって、数えたら4冊、夫から贈ってもらっていた。その作家さんの絵は白黒で、ちょっと怖い雰囲気もあるけど、可愛くて、ユーモラス。夫は、クリスマスなどに洋服のプレゼントに添えて、1冊ずつ私に贈ってくれた。私としても、自分には分厚い小説よりすぐ読める絵本が最適だとわかっていたので、夫のチョイスになるほどねと思いながら、好みの絵に喜んで、自宅の部屋の本棚に立てて飾っていた。

それでもたった一度だけ、夫から絵本ではない小説をもらったことがあった。あれはなんのときだったか、もう忘れてしまったのだけど、カズオ・イシグロの「日の名残り」という本だった。「えっ、めずらしいね、なんで〜?」と聞く私に、「みんみんこれ好きかなと思って」と言って夫くんは微笑むだけだった。せっかくもらったので、私はそれを読んだ。イギリスの執事のお話。執事が、過去を回想して、回想して、回想しまくるお話。これが、私には、読めど読めど、風景が変わらなくて、読みながら一体なぜ自分がこの本を読んでいるのか、なぜ執事の一生を辿っているのか、全然ピンとこなかった。文字を目で追いながらも、夫はなんでこの本を私に贈ったのかなあ、という疑問で頭がいっぱいだった。それでも、きっと読み進めれば、最後には何か超どんでん返しとか、強烈なメッセージでもあるのだろうと思って、頑張って読み続けて、読み続けて、そのまま小説は終わった。

あの本はなんだったのだろう・・・と遠い目になりながら、夫には何度か私にくれた理由を聞いたのだけど、「え、なんかいいじゃん、ふふふ」とか「えへへ」という感じで、具体的な理由は教えてくれなかった。夫は、とても感覚的な人なので、こういう時に「なぜ」とか「どうして」を言葉で聞き出すことはあまり叶わない。だから、この本についてこれ以上夫の真意に迫れた記憶は、ない。百歩譲って、この本の良さは言葉で表現できなかったとしても、なぜ私に贈ってくれたのかは今でも知りたいところだ。本を読まないこの私に。芸術作品にピンとこれない私に。長編映画では途中で眠ってしまう私に。夫は、なぜ1ページ目から最後のページまで「平坦」が続く本をくれたのだろう?

なぜこの話を思い出したか。数日前に、カズオ・イシグロさんの記事がネットにあって、私はぼーっとそれを読んでいた。その中で、ちょうど例の執事の話も出ていた。どうやらあの本は、書かれた文章をそのままに理解するんじゃなくて、読者がいろんな推論をしながら楽しむものらしい。そうか、私は全てを文字通り取りすぎたから、全く面白さがわからなかったのか。夫なら確かに、そう楽しんだだろう。いつものように長い脚であぐらをかき、その上にこの小説を開き、口元には微笑みを浮かべながら、さらさらとこの本を読んだのだろうな。そして、自分がピンときた文章で、すっと止まって、ああだろうか、こうだろうかと、いろんな推論をして楽しんだのだろうな。一見平坦に見える文字列を読みながら、夫は空想を働かせて、時々上下左右にも揺られるスリルを楽しんだのだろうな。その感覚を私も、もっともっと、もっともっともっと、夫から教えてほしかったな。共有してほしかったな。わかりたかったな。もう2度と夫の口からこの話を聞けないことが、とても悲しい。

・・・と危うくこの記事も終わらせてしまいそうになったけど、書きたかったことはその先にある。そのカズオさんの記事で、面白い記述があった。

ニーチェは精神的抑圧の働きを要約し、「『私がやった』と記憶は言い、自尊心が『私がやったはずはない』と答える。結果は、記憶の負け」だとしたが、イシグロの小説では、小野の自尊心と記憶の綱引きは、自分自身にひた隠しにしていた物事に目を向けるときの、饒舌な語りの背後で行われている。

浮世の画家』の小野と同様、1989年にブッカー賞を受賞した『日の名残り』の語り手であるイギリス人執事スティーブンスも、自覚が足りなかった人物だ。スティーブンスは、人生の終盤になって初めて、自分がとりかえしのつかないことをしたのだと気づく。

courrier.jp

これを読んで、私が先日書いた自責の話と(僭越ながら)通じることが書かれていることに気づいた。そうか、私の自責は、ニーチェやカズオさんが説明してくれるのか。私が勘付き始めたのは、自分の中に湧き上がる記憶と自尊心のせめぎ合いなのか。夫が亡くなったことについて、自責をしたいのに、するべきと思うのに、する理由がいくらでも見つかっているのに、自分への最後のトドメをすかし続ける自分。ニーチェによれば、この戦いでは結局自尊心が勝って、記憶を撃ち倒してしまうらしい。それは確かにそうだろう。その結果しか、私自身、考えていない気すらしてきた。そこで記憶を、事実を、勝たせてしまうと、私はきっと、生きていられなくなる。呼吸ができなくなる。でも死ぬことは違うと思うから。でもこれが正しいとは思わないので、苦悩するし、ふと記憶が打ち勝つ瞬間もあって、そういう時は、いても立ってもいられなくなる。

実は、今日は夫が亡くなって以来はじめて、図書館に行った。実家近くの図書館のカードを再発行した。結婚前まで使っていた図書館。でも、再発行のカードは、夫の苗字の新姓にした。館内をぷらぷらと歩いていたら、カズオさんの本が並んでいた。もう一度読んでみようと思って、「Never Let Me Go」という本を借りた。

帰宅してから調べると、カズオさんの「遠い山なみの光」という初期の作品は、自殺で娘を失った母親が回想しまくる話らしい。しかも一冊まるごとかけて饒舌に葛藤するらしい。これは、今の私を鏡で見るような作品なのだろうな。でも、見透かされすぎても辛いので、こちらを読むのはもう少し先にしよう。

夫くんがカズオさんを突然くれたのは、こんな時のためだったんだろうか・・・夫くーん。夫くーーーん。

本にまつわる話①

英語でbookwormという言葉があって、日本でも無類の本好きを「本の虫」と言う。この言葉がすごく可愛くて、確かに夫も虫みたいに可愛かったなと思う。

夫はとても本が好き。本を読んでいるとき、すっごく幸せそうな顔をしていた。ソファにあぐらをかいて読んでいることが多かった。長いまつ毛を伏せて、優しい笑みを浮かべて、まるで夢見心地のような表情で、本を読んでいた。何時間でも、静かに黙々と読んでいる姿は、きっと小学生の時から変わっていないんだろうなあと思った。私はその夫の姿がまるごと愛おしくて、もういつまででもそこでそうやって本を読んでいて欲しいといつも思った。この気持ちは、なんなんだろう?愛とはちょっと違うね。恋?ちょっと違う。フェチ?夫じゃなければ別に。萌え?うん、萌えだな!自分とはかけ離れた、物静かな陽だまりみたいな夫の読書する姿が、すっごく好きだった。

一方の私は、本がとても苦手。多分、私の中のなにかが、どうにか変われば、すごく本が好きになると思うんだけど、いまだそれが何かわからない。気が合いそうで合わない人、合いたいのに合わずに噛み合わない人、みたいな感じ。きっとどっかのタイミングでものすごい勢いで読書家になったりするんじゃないか。きっとそれも、長い間じゃなくて、飽きっぽい私は短期間だと思うけど。

こんな私なので、夫が私に本の話をしようと試みたことはあまりないと思う。ただ、私が中1くらいのときにサリンジャーの「ライ麦畑で捕まえて」を読んで、それが衝撃的ですごく好きな本だと初回くらいのデートで伝えたら、夫はその話が気に入ったらしく、話が弾んだ記憶がある。当時、夫は超のつく外国かぶれで、好みのタイプは「ハリウッド女優」と言っていた。そのハリウッド女優好きの夫が、一番好きな女優がウィノナ・ライダーという方で、その女優も「ライ麦畑で捕まえて」が好きらしかった。まあ、名著なので1割くらいの確率で支持される本だと思うのだけど、夫の中ではその時、目の前の平凡な大学生の私にハリウッド女優が重なって見えたに違いない。

事実、夫は私の服装や写真映りを褒めるときにも、本気なのかジョークなのかわからない顔で「みんみんさん、ハリウッド女優のようですね」と言ってくれた。言われている私が、自分にハリウッド女優の要素が1ミリもないことはわかっているのだけど、夫の独特な褒め言葉に悪い気はしなかった。ちなみに、これは付き合い始めて初期の1年くらいで、まだ夫が甘えんぼうの姿を見せる前の、ちょっと退廃的でニヒルな文学青年だった頃の話。

交際から三年ほど経った頃には、夫の褒め方も一切の角が取れて、100%素直なものになっていた。喫茶店などで私と向き合って座りながら、「みんみん可愛いなあ、本当に可愛い」とニコニコと言ってくれる。「えぇ・・・そうかな〜、てへへ」とまんざらでもない私。「みんみんを見たら、誰だって可愛いと思ってるだろうなあ」とまで言ってくれる。ある時夫は、更に最高に私を褒めようとして、いつものやりとりに続けて、「みんみんがキロロみたいな2人組にいたら、きっと「可愛い方の子」って言われるよねえ!」と目をキラキラさせて言った。「えっ・・・キ、キロロ?」

私の中で、これは夫の褒め言葉シリーズの中でも大好きなフレーズだ。これを言ってくれた夫くんが可愛すぎて、飛びついてハグしたくなった。「だから私は夫くんが好きっ!!」と思った。きっと夫の中で、ハリウッド女優でもキロロでも、実は例えはなんでも良くて、とにかくいろんな表現で、私を持ち上げてくれたんだ。夫には私がピカソキュービズムのように見えていたのではと思うほど、褒め言葉に一貫性はないし、恐らく第三者からの信憑性も、まるでない。でも、あんなに正面きって褒めてくれる人もなかなかいないので、私は自分がまるで宝石にでもなったような気分になって、そんな魔法をかけてくれた夫は、やっぱり特別かつ特異な人だったなと思う。

 

 

死別後のGWの過ごし方

最近、することがなくてちょっと困っている。

することがないのは、私が何もしたくないからであって、何もせずにいようとするのは自分なのだから、何もしないままで良いはずなのだけど、それでも「暇だな」と思うことがある。

じゃあ、何かしたいことがあるかというと、なんにもない。月に一回くらい、夫のためにこれをしようかな、あれをしようかなと思える日があって、過去にも外食したり、お花を飾ったり、夫の好きな甘党のお菓子を食べたりしてみた。結局、夫のためと言っても自分のためであることは百も承知だけど、やっぱり夫のために行動することには、私自身とても癒される。夫の喜んで、はにかむ顔を思い浮かべると、大粒の涙と共に私の気持ちがじんわり暖かくなる。そういう気持ちになれることは、あまりないから。

でも、そういうことをしよう、と自分を奮い立たせられることは本当に少なくて、基本の私はぐでたま状態だ。普段の生活の中では、したいことは、なんにもない。夫が亡くなった直後から焼いていたパンも、酵母を放置して以降、焼く気力がなくなった。料理は、やっぱり夫のために作りたいし、自炊していた時だって、美味しくできたものは、いつか夫に振る舞いたいと思って何度も試作した。おしゃれだって。部屋の掃除だって。健康管理だって。定期検診とか歯医者だって。節約だって。生きる上での向上心まるごと。夫が生きているときは、全ての道が、夫に通じてた。

夫がいないのだから、そこはターゲットや意義・目的を設定しなおすしかないことはわかってる。設定しなおせないのではなく、私の意志で設定しなおしていないこともわかっている。設定しなおせば、少し生きやすくなるし、私自身の生活に張り合いがでることもわかってる。そこまでわかっていても、やらないのは、夫への後ろめたさだろうか。自分の苦しさを立証したいのだろうか。周りへの見せつけだろうか。それとも、ただただ悲しみからくる行為なのか。

今年のGWは中日に見事に仕事が入ったので、カレンダー通りの5連休になった。5連休。これは苦しい連休になりそうだなと思った。年末年始の休みが明ける時、GWまで気力が持つだろうかと心配したけど、実際GWの前になったら、ちょっと休みに入るのが怖かった。4月末に精神状態がだいぶ落ちて、なかなか苦しかったから、いよいよ私のメンタルも制御不能な域に入るのではないかと危惧した。

GWになってみて、私はコペルニクス的転換をひらめいた。起きている限り、私はこのむごい現実に向き合わなければならない。そんな時間を、なるべく減らそうと思いついた。そのためには、眠る時間を増やせば良いのだ。

起きている時間は、苦しい。起きている限り、もう現実が耐えがたいと思う。消えてしまいたいと思う。最近また朝の目覚めに深く絶望するようになってきた。このエンドレスな苦しみは、まだまだ続くのかと。終わりが見えない。終わりをなくしているのは自分。全部自分でやっているとわかるけど、切り替える意志もない。だから、起きている間の苦しみは、当面薄れることは絶対にない。

一方、寝ている時は、自由だ。寝ている時は、夫が夢にさえ出てくれる。夫と一緒に過ごすことができる。そう思って、GWが始まってからのここ2日間、私はなるべくなるべく、長い時間眠り続けている。元から超ロングスリーパーである。夫が生きている時だって、週末は12時間眠り続けた。長時間睡眠から起きて、つるぴかの顔をして夫のところにいくと、よく面白がられた。そう、長時間眠ると、体のあらゆる部位が補修されるのか、お肌もつるつるになるのだ。

昨晩は0時過ぎに布団に入り、今朝は両親に10時過ぎに朝食に起こされたけど、食事が終わったら迷わず布団に戻って、また2時間ほど横になったり、眠ったりした。お昼にまた起こされて、お昼を食べて、また終わったら迷わずソファに向かってうだうだとした。今、少し起きている時間を活用しようと思って、ブログを書き出したけど、これを書き終わる頃にはまた睡魔がくるだろうから、夕食前に1時間ほど眠る。それで、夕飯を食べて、お風呂に入って、また眠る。

目標は、24時間のうち、少なくとも半分は、眠ること。自分の人生は、起きている時間のためにあるのではなく、眠っている時間に出会える夫との時間のためにあると思うことにした。そう考えると、起きている時間がいくら不毛でも、いくら願いが叶わなくても、ここは仮の世界なので、眠っている世界を楽しもうと思える。昨晩は眠る前に、少しだけ寝ることが楽しみだった。よーし、寝るぞ〜!と口走るかも、と思った。

これが今私が置かれた状況への本質的な問題解決ではないけれど、GWの連休も安定したメンタルで過ごすための対処法ということで、けっこう良いアイデアなのではないかと自分では思っている。

これ以上の何かを望めないし、望まない

半年経ったら、こうなっているかなという自分像があったのかもしれない。

具体的な何かというより、過去6ヶ月に比べたら、6ヶ月経った頃には、きっと心が幾分落ち着いていて、気持ちが整理され始めていて、前を向かなきゃと割り切る気持ちが芽生えているのだろう、と。

でも、そんなことないんだな〜。

そうなるはずだった。きっと、こんなにこじらせないつもりだった。

こじらせても夫は帰ってこないし、それほどの意味を一瞬一瞬が持っていたはずは、本来ない。決定的な一瞬はいくつもあった。でも、全ての一瞬が意味を持っていたわけじゃない。でも、もう11月に全てが終わってからは、2人の間で何も新しいことが起こらないが故に、過去に遡って、いまや全ての一瞬をしらみつぶしに意味付けしている。ときに、不健全で、ナルシストのように、全てを白黒思考で埋め尽くそうとしている。

夫が亡くなってすぐの頃は、そういうこともなんとなく想像がついたから、あまりこじらせてもしょうがないと思っていたのだろう。こじらせるというと、今の自分に失礼か。私はこれを人生の最優先事項として取り組んでいるのだから。なんというのだろう。思い詰める、ということかな。

最後の終わり方が、死だからこうなるのだ。最後が死ではなくて、再起であれば、私が思い起こしていることの多くは、過程に過ぎなかった。夫が苦悩したときに私が支えられなかったが故の発症ということはあれど、その後に続くジェットコースターは、その大部分が無我夢中で、絞り出せるほとんどの力と思考を使って、2人で取り組んでいた。2人は、2人3脚で苦悩に、病に立ち向かったと思いたい。きっときっと、2人3脚だった。最後に、その紐が解けてしまっただけ。解いて周りの駆けつけを待っているうちに、夫が苦しみで突発的に死んだだけ。せめて紐をほどかず、結んだまま、2人で堕ちて、いなくなれれば良かった。

でも、夫が闘病中、私は死を意識したことはなかった。あの時、死にますかと聞かれて、果たして私は夫と一緒に死んだだろうか。あの時は、死なんていうものは、今よりもずっと私にとって異世界のことだった。この人生を終わらせたいと思うことは、人生で一度もなかった。でも、夫はこの生が苦しすぎると思っていた。亡くなる少し前、そう私に伝えていた。それは、きっと一般的な終末期の闘病者と、健康なその配偶者と同じような構図だったのだろう。闘病している人は、毎日が苦しすぎて、良い展望を描けなくて、余程の精神力がなければ、殺してくれと思う。配偶者は、生きる方に向かうことに必死だ。2人で生きていくことしか考えられない。それは、溺れそうになっている相手を水面から上に引き上げるためにも、看護する配偶者に必要な思考なのだと思う。でも、2人の感覚が離れすぎた時、もう2人は助け合うことはできない。

夫が亡くなってから半年という区切りを、ある契機にしようと思っていた。その期限が迫っていることに、私は焦っているのかもしれない。それは前向きな契機になるはずで、私が励みにしていることでもあった。でも、今その契機を迎えようとする自分が、まったくその準備ができていないように思えて、焦っている。

夫は、今の私を見て、どう思うだろう。このところ、よく考える。よく考えるのだけど、答えがわからない。夫が私についてどうこう思う、というのがあまり想像できない。なぜか。夫と私は、お互いをものすごく大切に思っていた。ああして欲しい、こうして欲しい、なんて言い合うことはない。相手の意志をとても尊重していた。それを支えることが尊いことだとお互い思っていたのだと、今振り返るととても思う。だから、もし今面と向かって話したとしても、お互いに怒りとか、要求とか、恨みとか、そういうものは、出てこないのではないか。ただ泣きながら、自分の言動を振り返って、相手に謝罪の言葉を繰り返して、繰り返して、互いに泣きすぎてわちゃわちゃなって、慰めあって泣き笑いするような姿しか思い浮かべられない。

そうか、だから私は、夫が私に何を言うか、自分が夫に何を言うか、想像できないのか。お互い、きっと相手に語りかける言葉よりも、謝り続けてしまうから。何かを相手に要求したり、ぶつけたり、そういう会話をしてこなかったから。それは闘病生活の中では苦しみが続く要因になった可能性もある。でも、お互いが誰よりも、何よりも大切だったから、そうありたいと思っていたのだと思う。

2人の間には、優しさしかない。優しさしかないから生きていけなかったのだろうか。結局そんなところにたどり着いて終わる。夫は、優しくて、優しくて、優しかった。それがもっとどうであればよかったなんて、私がこれに勝ることを思いつくことなんて、ない。

自責の先の本気度

私は夫が人生最大の悩みを抱えた時に、切り捨てるような発言をした。

夫が苦しいとき、ひどい言葉をたくさん浴びせて、夫を追い詰めた。

最後に3週間見捨てて、孤独の果てまで追いやった。

その結果、夫は生きられなくなった。死んでしまった。

私が考える、夫の死に対する私自身の責任は、上に書いたようなこと。

夫が亡くなった全ての責任を私が背負うことはない。でも、パーセンテージとか、誰の方がもっととか、そういう考えは私自身が苦しいし、答えのないことだから、私は私ができる後悔、反省、懺悔、謝罪、そんなことを夫にしようと思うようになった。残念なことに、その先にあるはずの「和解」はない。それは、夫がこの世にいないから。だから、いつまでも私はこの懺悔を独り言として言い続けるのだと思う。

これほどの責任や過ちを自分の言動に感じたことは、人生で初めてだ。この経験を通じて、責任を取るとか、罪を認めるとか、誰かに償うとは、どういうことだろうと考えるようになった。

これまで、人が謝罪することは、反省を示す行為だと思っていたけど、本人が楽になろうとする行為でもあると思うようになった。「許してください」なんて言葉は、その極みだと思う。「罪悪感で苦しいです。私の気持ちを楽にしてください。」と言っているようなものだ。相手に「いいよ」と許してもらえれば、少し肩の荷が下りる。

夫が亡くなったことの一因を背負おうと、過去5ヶ月に亘って毎日考えている私だけど、罪を背負うことは、とても複雑なことなのだと実感している。私が散々自責を述べた後で、誰かに「そうなんだ、みんみんのせいだったんだね」とか、「みんみんの言葉が影響したんだろうね」と、私の訴えそのままに理解されると、それはそれで、何か不思議な気持ちが湧き上がる。このことに気付いてから、私は自分の欲望に気づいた。私は、周りの人に自責しながら、救われたいとも思っている。「そんなことないよ」とか、「きっと夫くんはみんみんの真意をわかってくれたよ」とか、言われたいみたいだ。自責をそっくりそのまま納得されたときには、「えっ、ちょっと待って!」という気持ちになる。自分は、なんてずるいのかなと思う。

私が責任を負いたがる理由はなんだろうか。夫が亡くなってすぐ、同じように責任を感じるはずの人たちが、夫が死んだのは「病気のせいだった」と言うのを聞いてから、始まったように思う。夫にとって、あまりに理不尽だと思った。夫と同じような症状が出ても、生きている人はたくさんいる。夫が病気の影響下にあったとすれば、夫を全力で保護するのは、私たち家族の役割だったと思う。その役割を果たさなかったのは、目を背けて自分の身を守ったのは、私たちだ。そして、私の場合、冒頭に書いたように、ひどい言葉で何度も、何度も、夫を傷つけた。追い込んでしまった。もし私がもっと優れた人物であれば、そんなことはしなかっただろう。人として未熟で、愚かだった。

ここまで書いているのに、自分が愚かだとわかった上で、救いを求めてしまう。これは、人間の性なのだろうか。他者のことは断罪できるのに、自分への断罪には、傷ついてしまう。傷つく上に、心がいやいやと反応する。これは誠実さがないからなのだろうか。こう書きながらも、心のどこかでは、「いや、みんみんは誠実さはちゃんと持ってるよ。人はそういうもんなんだよ」みたいな慰めを待っている。一体、どこまで諦めが悪いのだろうか。

こういうことを考え始めてから、刑務所とかでは、一体罪ということをどう教えているのだろうと思った。それとも、裁判とかでも情状酌量の余地ありとか言うくらいだから、裁かれた人は、その情状酌量の言葉を糧に、判決を受け入れるのだろうか。

こういうことを考えるうちに、自分が犯した罪について、人は心の底から100%受け入れることは、できないのではないかと思うようになった。それをすることは、自分を100%否定してしまうから。人は、自己に対して愛も期待も夢も希望も持っていて、自分というものを100%否定することは、とてつもなく難しいことなんじゃないか。きっと、100%否定している人って、生きていないんじゃないか。同じ論理で、最近、自死というものについても、よく考える。きっと自死は、自分を100%否定しなければならない状況を回避する、最後の選択肢なのではないか。亡くなる前までに、人は何度も、何度も、自分をもう一度信じたいとか、もう一度愛したいとか、どこかなにか良いところがあるはずだと、何巡も何巡も考える。でも、それさえも信じられなくなったときに、自分の尊厳を守る最後の手段が、自死なんじゃないか。

心の底から100%罪を受け入れる方法があるならば、その境地に至れると良いのかもしれない。反省は色々しているのだけど、そのベースとなる罪の意識が、どれほど自分で持てているのか、どこまで突き詰めることが適当なのか、まだ答えはない。私の場合、夫が死んだのは夫個人の責任だとか、夫の選択だったとか、病気のせいだった、みたいに片付けることに、大きな違和感を持っている。それならば、「そうじゃなかった、私たちにも責任があった」という1行さえ言い続ければ、私は満足なのだろうか。

なんだか思考が詰まってきたから、今日はここまで。

宇宙からの贈りもの

この死別のプロセスとは、本当に辛いものだ。

どう辛いか、文章にすることも辛いくらい、本当に辛い。

本能的には否定したいことを、信じたくないことを、受け入れがたいことを、受け入れざるを得なくて、屈していくようなプロセスだと思う。死という事実に直面して、人は抗わずに受け入れられる対象と、抗い続けたくなる対象がいるんだと思う。きっと、自分にとって身近で、人生に影響力の大きい人ほど、いなくなったという変化は受け入れ難い。夫は、私が抗い続けてでも生きていると信じたい人。とても諦めることができない。

11月に亡くなってから、ずっと根詰めて夫のことを考えている。夫を亡くならせてしまうという、私の人生最大の失敗に、打ちのめされてきた。3月くらいになって、考えが一巡して、少し空白の時間とか、戯けるような顔も家族に見せられるようになった。4月に入り、また別の感情がある。この苦しみを経験し続けることからくる疲労感というのだろうか。出口のない息苦しさ。それなのに追い討ちのように忍び寄ってくる、夫が死んだということの実感。まるで、表面でぱっくりと割れていた傷口はかさぶたができたのに、傷口の中は、奥に奥に侵食されていくような感覚。でも、そこに傷があるという事実には、慣れてきたので、日常生活は多少平常化していくようにも見える。

この後の心のプロセスも、私は恐れている。この先にあるのは、夫が亡くなっていること、もう2度と会えないということを、私が身を以て実感してしまうことだ。実は、実感したくないと、ずっと思っている。逃げ回っている。怖すぎて回避している。それでも、瞬間的に実感が湧いてしまうこともある。そんな時は、夫の遺影の前で、いても立ってもいられなくなって、叫びたくなる。あの生身の人であった夫が、こんな額縁に入った写真一枚になってしまったことを、私は全然受け入れていないし、実感もしたくないのだ。

人によっては、この受け入れという段階は踏まない人もいるのかもしれない。よく、亡くなった相手について「〇〇は長期出張に行ったことにしてる」という声も聞く。うちの夫くんの場合は、働いてなかったから、長期出張は行けない(と、また夫くんの傷口に塩を塗ることを言う)。じゃあ、何なら良いだろう。そんなにアクティブじゃないから、1人旅もないだろうし。留学とかならいいか。かっこいいし、夫くんも喜ぶかな・・・。

でも、これには一つ問題がある。夫が亡くなってすぐの時から、私は自分が今後も生きるのであれば、また誰かと出会いたいし、家庭を持って、子供を産むのだと思っていた。それは、過去のブログの記事を遡れば、しっかり書いている。(この確信みたいなものは、実は最近はどんどん弱くなっていて、生涯独身で夫くん一筋もいいかなとか、生涯って言っても早めに閉じたいなとか思う。むしろ今閉じたいと思って、強制的な閉じ方を調べてしまう日もある。)でも、もし私がまた万が一誰かと出会おうと思うのであれば、やはり夫くんは長期出張に行ったり留学に行っているのでは、ダメなんだ。夫くんは、死んでいなければ、いけない。だって、夫くんが死んでいないのに、私が夫くん以外の人を求めることは、ありえないから。こんなに大好きなのに、その他の人のことを好きになれるわけがないから。それは倫理的な意味ではなくて、単純に、あり得ないことなのだ。

そう思うと、やっぱりいくら苦しくても、道のりが長くても、私は夫くんが死んだということを、理解する他ないのではないだろうか。受け入れなくても良いし、実感もしなくても良いかもしれないけど、もっとそのことを理解しなければいけない。諦めがつかなければいけない。そうしないと、また誰かをということには、ならない。

それが今できるかと言うと、まだ全然そんな状態にない。

毎日、夫くんを想って、泣いている。毎日、心が痛い。毎日、恋しくて恋しくて、気持ちがつぶれてしまいそう。夫くんに出会って、こんなにも私を魅了する人が地球上にいるのかと、そう感動した相手だったんだもんね。100点なんてもんじゃない、そういう期待値とか超えてるんだよね。まるで宇宙人と気が合っちゃって感動する人間みたいなさ。なんか褒めてるのか微妙な表現なんだけど笑 それくらい、夫くんは、ぶっとんでぶっちぎりの人だった。天からの贈り物じゃない。宇宙からの贈り物なんだよね。この恋から、次に進むことなんて、あるのだろうか・・・。ま、こう思ってるうちは、ないわな。