優しくて可愛くてかっこよくて大好きな夫と死別しました

事故か自死か。夫が消えた人生をこれから歩みます。なんて自分が書いてることが信じられない35歳です

驚きの億劫な気持ち

夫と暮らしていたときは、何をするにも一緒だった。

どちらか1人が外出とか、どちらか1人が買い出し、とかはなくて、いっつも一緒。気持ちがいつもシンクロしてて、行きたい場所も、食べたい場所も、いつもぴったり合う。お互いの提案に、「いいね!」とか「行こっか!」と言って、いつも2人とも乗り気だった。大体同じ生活をしているので、自然体でいながら、同じようなタイミングで、同じ物を欲していたんだろうな。

私は、単独行動が、とても苦手だと思う。一人で過ごしていると、どんどん気分が落ち込んでしまう。寂しいことが苦手なのかもしれない。一人でショッピングするときは、店員さんに話しかけられても、自分のどこから声がでているのかわからないくらい、情けなく暗い声が出る。そして、びくびく話してしまう。相手にイラつかれたり、嫌われたような気持ちになることもある。一人の時の、自分の自信のなさ、元気のなさ、完全なシャットダウン感はなんなんだろうと思う。警戒心がとても強いのかもしれない。何かを守ろうとしているのかもしれない。澄ました顔をしているのかもしれない。よくわからないけど、とても生きにくい状態になるから、単独行動は苦手。

夫といる時は、エネルギーがぐんぐんチャージされて、とても調子にのっている。絶好調!という感じで笑顔が止まらず、元気だ。夫も、同じだったように思う。私と一緒のときは明るかったし、元気で、へんてこなお調子者だった。ほんとに、2人でよく笑った。

夫が亡くなって、一人になって、もうすぐ半年経つ。その間、外出することはほぼないけど、家の中でできること、例えばこのブログだとか、SNSとか、メルカリとか、ポイ活とか、色々手を出してきた。どれも、夫が元気な時は、する必要性も、欲望もなかった。目の前の2人の生活に、満たされまくっていたから。最高の1日にすることに一生懸命だったから。人生を夫と2人で分かちあうことで、100%ハッピーだったから。ま、美化しすぎかもしれないけど、そういうことなんだと思う。

一方、死別後はこういう匿名性のあるネットの場に大いに救われてきた。こういうものがなかったら、死別から始まった真っ暗な日々を、どう過ごしていたかわからない。気持ちがくるしくなりすぎて、本当に爆発してしまったかもしれない。それで、死別後はとにかく、せっせせっせとこれらの場にアクセスして、ブログ書いたり、SNS記事を載せたり、メルカリで売買したり、ポイ活アプリでくじをたくさん引いたりしてきた。

それが、3日ほど前だろうか。すべてのやる気が、シュンと消えた。これまで毎日ほとんどの時間アクセスしていたこれらのアプリを、開けなくなった。開いても、何を発信すれば良いかわからなくなった。この感覚が、ものすごく不思議で、何が起こっているのか怖くなった。

例えばポイ活。これは1ヶ月前から始めた。毎日なんの楽しみもないけど、楽天アプリのくじを引くのが楽しみになり、1ヶ月間毎日、上限回数分を引いていた。それが、3日前くらいからくじのタイミングを逃すようになって、昨日はアプリを開けることを脳が完全に拒否した。アプリなんてタップで開けるし、くじなんて何も考えずに引けるのに、それをすることがすごく苦痛に感じた。

自分の変化に気づいた瞬間、背筋がすっと涼しくなった。これが、鬱なのかな?と思った。何かをすることがとてつもなく億劫で、無理矢理やると苦痛を伴う状態。こんなに長期に亘って一生懸命になっていたことが、次の日苦痛になっている状態に戸惑った。

でも待てよ。日常生活という意味では、私は毎日始業までに起きて、顔洗って、着替えて、ご飯食べて、仕事もしてる。本当に億劫になるなら、生活全般に影響がでるのでは?でも、新型うつというのは一部に症状が出るとも言うし、こういう出方もあるのだろうか?

あるいは、もしかしたら、これまで死別ハイのような状態で、これまで関心がなかったことに毎日のめり込んでやっていたけど、ふと我に返ったのか?でも、それなら億劫とか苦痛という気持ちにならないのでは?ただ、「興味ないわ」という気持ちになるはずなのでは?

そんな中でも、ブログは前と変わりなく書きたい気持ちがあるので、今日書いてみた。結局自分の中で何が起こっているのかは、わからない。もしかしたら、心が何かサインを出しているのかもしれない。出していても、何も不思議じゃない。うん、全然不思議じゃない。先週仕事が終わらなくて、明け方までやっていたので、それも影響しているのかもしれない。無理は禁物だ。生きるのであれば。