優しくて可愛くてかっこよくて大好きな夫と死別しました

事故か自死か。夫が消えた人生をこれから歩みます。なんて自分が書いてることが信じられない35歳です

お花をあげること

3月の夫の月命日だったかに、夫の遺影の両脇に初めてお花をあげた。ずっとお花をあげることは遺影であることを際立たせるのでできなかったんだけど、もう何もできない相手に対して何かをしたいと思って、あげてみた。

おばあちゃんの預言通り、椿の花のその後の様子はけっこうシュールだった。私が部屋で仕事をしていると、遺影の周りから「どんっ!」と音がする。見にいくと、でっかい椿の蕾が、丸ごとごろんと転がっていた。咲いてくれると思った蕾は、どれもそのまま落ちてしまった。

先週は、母に促されて庭のチューリップをあげた。夫も私も花はあまり得意ではないけど、チューリップは他の花に比べてやや単純な構造で、グロテスクさが弱いから良いかなと思った。今、夫の遺影は両側をチューリップの花が囲んでいるのだけど、チューリップもいざ花弁の中をみると、けっこうにグロテスクだ。きっと夫は、全然喜んでいないだろうなと思った。きっと、「みんみん、これ、枯れてきたし、なんかポロポロ落ちてきたから、もういいんじゃない?」って苦笑いしながら言ってそうだと思った。

私自身の意見としては、辛気臭い私の部屋に生命力を持った華やかなものが置かれるのは、まあまあ良いなと思う。でも、どうも花をちょんぎる時の気分が、いやだ。花屋で花を買うことは良いのに、庭の花をちょんぎるのが嫌だ。これは、スーパーで豚の薄切りを買うのはいいのに、養豚場で出荷される豚を見て不憫に思う気持ちに似ているのだと思う。

母は、私が花をあげるようになったことを応援してくれている。「みんみん、庭のどこどこにこんな花が咲いてるよ。生けたらすごく可愛いんじゃないかな」と頻繁に勧めてくれる。それを私は素直に受け止められない。数少ない夫のためにできることなので、花の発見から生けるところまで、私は自分の力でやりたいのだ(育てるところはお任せなのだけど)。もし母が花を切って渡してくることがあれば、私はきっと母専用の夫くんの遺影と花瓶を居間に準備してしまうかもしれない。こんな気持ち、誰かにわかってもらえることはあり得ないのだけど。私だって、おじいちゃんが亡くなってすぐの頃、仏壇のご飯とかお茶とか、いつもおばあちゃんより先にあげてたもんね。お手伝いと思って。

夫はきっと、「みんみん、お花は春だけでいいんじゃない?」って言ってる気がする。ああ、この強要するでもなく、ちょっと遠慮気味に、苦笑いして提案してくる姿が、可愛いんだよね。もうツッコミ待ちでものすごい植物園のようなものを作ってやろうかなとも思う。

それにしても、問題は花を切る時の私の気持ちをどうするかだ。椿の花を飾ったとき、母は「お花あげることにしたの?」と私に聞いてくれた。「わかんない。お花を庭から持ってくるより、夫くんの遺影を木の上に置いとく方が早いよね」と私が言ったら、母は閉口して、会話がチーンと終わった。

ブラックみんみん。お花をあげることには、まだ素直になれません。

夫の作品を世界にばら撒きたい

夫が亡くなってから1ヶ月くらいは、夜になると22時くらいから猛烈な眠気に襲われて、結果的にまあまあ規則正しい生活を送っていた。きっと、日中に自分を保っていることがあまりに大変で、ものすごく消耗していたんだと思う。毎日、まるで日中にマラソンとか海水浴でもしたのかなと思うくらい、ばたんきゅーとなって、朝まで目の覚めない良質の睡眠が取れた。もちろん、夫が亡くなって以来、今に至るまで私はひきこもり中なので、スポーツなんて全くやっていない。やっているのは脳内格闘技だけだ。脳内で、ずっと何かと闘っている。

でも、最近はこの生活パターンがもっと崩れてきていて、けっこう夜更かしをしている。けっこうどころではない。1時台ならまだ良いものの、なんだか区切りが付かなくなって、2時3時とずっと起きている。そこから翌日の昼頃まで眠るので、睡眠時間は相変わらず赤子並みに取れているのだけど、遅い時間まで起きていると、思考回路がどうしてもどよんとなる。本心では、夜更かしすることで、ちょっと浸りたいというのもある。いつまでもどこまでも破滅的に浸ってしまいたいと思う気持ちがある。悲しんでるときが、なんだかんだ一番夫を体感できるから。自責しているときが、一番近くにいられる気がするから。とにかく相手がいなくて恋しくて、生優しいものでは自分の心に響かなくて、自責のように鋭いものだけが自分にグサッときて、夫と共にある自分を感じられるというのかな。ちょっとリストカットとかの感覚と似ているのかもしれない。自責も、リストカットも、きっと自分の存在を実感するための行為なのかな。痛めつけないと実感ができないって、つらいことなのだけど。

そんな中でも、私自身はこれからどうしよう、どう生きて行こうということも同時に考えているわけで。2月頃だったか、放送大学から心理学の資料を取り寄せたんだけど、なんだかいまいち気乗りせず。誰かの役に立とうとか考えずに、もっと自分のために何かしようかなと思った。もう誰かの役に立つとか、いいよと思って。そういう押し付け自分ヒーロー感で夫を放置したんだよなと嫌気がさして。それで、私がしたいことは、やっぱり夫の夢を叶えることかなと思った。夫のためにと言うより、自分のために。私自身が、夫の作品を世界中にばら撒きたいから。それ叶えてから、早めに生涯が終われば、目標達成してサラバッ!!って感じで、潔くて良いかなと思ったり。

前向きなのか後ろ向きなのか、ひねくれ者なのかわからないけど、そんなこんなで小説の勉強をし始めた。まずはたくさん読書して、オンライン講義も受ける。夫のよくわからない作品も、解読してみる。こうして誰とも心を通わさずとも、もくもくと取り組めることが見つかったので、しばしこれに取り組んでみようかと思う。

ただし、自分でもひどいと自覚するほどの飽き性なので、飽きさせない程度にプレッシャーをかけながら、やってみようと思う。

因果関係

夫が亡くなってから、私は自分が夫に対してどの時期にどんな行動を取ったか、たくさん振り返っている。私の頭の中では、夫と歩んだ日々があみだくじのような図になっていて、「この時私がこんなことしたから、最初の分岐で右に進んで、この時もこんなことしたから、また右に進んで、それでここも、ここも、ここも、全部こんなことしたから、三回右に進んで、最後に、ココ。「死」に辿り着く」と考えている。

自分が夫の苦しさに寄り添えなかった、深く傷つけた、無関心になった、責め立てた、追い込んだ、そんなあらゆる契機を、残念なことに、いくらでも思い出せてしまう。自分がこんな人物でなければ、夫は少しでも救われて、あみだを左に進めたかもしれない。そうしたら、今も生きているかもしれない。与えられたあらゆるチャンスで私は自分を優先して、夫をないがしろにして、最後はこの結果に向かってしまった。そう、考える。

少し背負いすぎだということも薄々わかっている。悪いこと、間違ったこともたくさんあったけれど、私自身、夫の力になりたいと心から思って行動していた時間もたくさんあった。歯を、食いしばっていた時間もたくさんあった。そういう時は、きっとあみだを何度も左に曲がろうとしていたのかもしれない。2人で力を合わせて、左に曲がれたことも、あるのかもしれない。でもそれがいつだったのかは、私にはわからない。ただなんとなく、あれだけ頑張ったのだから、そういうときもあったら良かったなと思うだけ。

私は夫が亡くなってから、生まれて初めて、消えてしまいたいと思うようになった。食事はちゃんと食べてるし、夜だってちゃんと眠れてるし、実家の家族にはおどけたりすることもあるけれど、やっぱり気持ちは、重傷。むしろ重体かもしれない。傷ついてるどころじゃない。言葉に言い表し難いほど、傷ついたままだ。今ぽわっと闇に吸い込まれて消えられたら良いのに、とか、夜眠りに着く前も明日目が覚めませんように、と日々思う。

でも、今仮に私が死んだとして、家族はどう考えるだろうと思った。家族は、きっと自分の一挙一動を振り返り、あの時もっと話を聞いてやればよかった、一人にしなければよかった、本人が言わなくても質問すればよかった、などなど、たくさん考えるだろう。

そして、きっとその振り返りは、全部正しい。確かに私は自分からは言わないだけで、もっと夫のことについて家族に関心と後悔の気持ちを持ってほしいと思っているし、家族が外出して家で一人になるたびに何か「今だな」という不穏な気持ちを持つ。部屋で泣きつぶれている日には、やはり少し心配してほしいという気持ちだってある。だから、親がこういう点について、もっとどうにかすれば良かったと思うならば、それはどれも、正解。

一方で、これは因果関係ということとは、少し違うのだと思う。少なくとも、親の言動は、私がいなくなることの要因とはならない。要因はいわずもがな、夫がこの世を去ったから、だ。

夫にとってはどうだろう?本当は同じ図式を当てはめられれば少しは救われるのだけど、夫の場合は、孤独であったことが亡くなった要因だとすれば、私はやはり因果関係の上にいるのだと思う。少なくとも、私と親の関係よりは、私は夫との関係において、因果関係に近い場所に位置していると思う。そして、今自責している内容も、いずれも夫の孤独を強めさせたという意味で、悲しいかな因果関係のゾーンにけっこう近いのだと思う。

こんな風に夫の経験と私の経験をシンクロさせながら思ったことは、残された人は自分の言動をいかようにも反省し、悔やんで、悪者と思って、自責できるということ。そして実際それらの自責は真実から大きく外れていないであろうということ。だから大いに反省すればよいこと。でも、その自責の内容と結果を因果関係で結べるかと言うと、恐らくいつでもそうではないということ。因果関係で結びつけることの妥当性は、ケースバイケースということなのだと思う。(あれ、私は救われてないけど、まあいいか・・・)

考えないことを自分に許す

夫が亡くなってから、ずっと、ずーっと、毎日くる日もくる日も、寝ても覚めても夫のことだけを考えているのだけど、結局何をどうやっても、夫は帰ってこない。

少し前に、この状態に慣れてきたと書いた。毎日イチから悲しんでいたら、本当に神経が衰弱してしまうので、慣れるしかないのだ。受け入れる準備をしていくしかない。夫が亡くなった初日の晩、私が呆然としたまま実家に帰ると、心配していた祖母が、泣きながら玄関で私に繰り返した。「もうどうやったって帰ってこないんだから、もう戻ってこないんだから」と。普通ならひどい念押しに感じるだろうけど、祖母は愛する祖父を交通事故で亡くしている。その経験から30年近く経ってたどり着いた答えが、それなのだと思う。その日、私は夫を亡くして初日。祖母が私に一番伝えたいことは、それだった。

そう。それで私も思う。祖母の言う通り。夫はどうやったって帰ってこない。このところ自責が過ぎて、私の感情の矛先が夫にさえ向かっていくのを感じた。亡くなってから今まで、それだけはないと思っていたのに、ついに夫にまでも怒りの感情が湧き出した。夫からしたら理不尽なのは百も承知。追い込んだのは私達だってわかってる。それでも尚、怒りが湧き出したのだ。そして、夫と私の疑いようのない素敵な思い出達も、全部どぶに捨ててしまいたくなるような気持ちにもなった。私が一番思ってもいないはずなのに、夫と私が出会わなければよかった、という言葉さえも夫の遺影に向かって吐き捨てたくなった。なんでこんなに苦しいことになったのか。なんでこんなにも悲しいことが起こったのか。そう思うと、もうそんな結論にまとめてしまいたくなった。自分で一番本心と逆のことを言っているとわかるので、悔しくてたまらなくて、泣く。

それで考えた。こんな負の感情になるくらいならば、少し気持ちの休憩を入れるしかないのではないか。そもそも、夫も、私も、お互い大罪を犯したわけではないはずだ。それをここまで自分を打ちのめすように自責しても、それは夫がしたいことでもないし、要は私自身が、自分のためにやっていることだった。

自分が満足するために、自分を責める。理不尽な死を遂げた夫に対して、この世から最大限の謝罪と反省をかきあつめて、届けたい。でも、誰から?自分なら手っ取り早い。責めれば何か反省するだろうと期待する。それであらゆることの罪状を自分にぶつけている。それに対して自分の落ち度や過ちを見つけて、自分を責める。自分が反省する。謝罪する。苦しむ。その姿に自分が救われる。何か役割を果たせていると思う。夫と一緒に勧善懲悪が叶ったような気持ちになる。でも罰せられているのも自分なので、同時に苦しい。私という1人の人間で、全ての役割を自作自演している。なんと気持ちが忙しいのだろう。そして、全ては私自身のためにある。

夫が亡くなってからずっと、今経験している生々しい気持ちを、思いを、感情を、全て熱いうちに、何か位置付けたいと思っていた。とても気持ちの流れが忙しくて、日々ほとばしるような思いがあった。慣れたというのは、今、その流れがもっと遅くなった。思いが滞って、停滞するようになった。その代わり、深かったり、どろどろしたり、動力がないだけに、重苦しいものにもなった。

ただし、当初のようにどこか緊迫したタイムリミットのようなものは感じなくなった。指と指の間から落ちていくような記憶も、もう一通り振り返れたような気になった。過去数年の状況を、一通り分析したとも思えた。なにより、これ以上の自責を受け入れらないというのも、あるのかもしれない。

だからと言って、夫の分も幸せに生きるねとかそういうことを言いたくない。幸せに生きるときには、自分で責任をとって言いたい。夫の言葉を勝手に借りて、自分の幸せを正当化する足場にしたくない。じゃあ、今そう私は言い切れるか。私自身は、まだそういう舵きりをできる状態にはない。今できることは、少し休憩を入れること。今日、初めてそう思えた。すこしだけ、「もういいや」と思って、頭の中で夫のことを考えない時間を作った。意識して考えない時間をとったのは、夫が亡くなってから、今日が初めてかもしれない。それはほんの30分、いや、15分程度だったかもしれない。でもその間だけ、夫のことを考えないことを自分に許して、仕事のことだけ考えた。

これもこれで、一つの変化なのかもしれない。全ては自分のため。私が夫との良い思い出を守るため。私が生き延びるため。夫のためじゃない。自分のため。そう認めるしか、ない。

また記事に感化される

このところ抱いていたモヤモヤを、ここ数日の感情的な文章に落とし込んだところで、私は当然ながら、夫はどう反応するだろう?と考えている。

「ああいうこと書いて欲しくないと思うのであれば、今晩夢で、私の質問に答えてよ」と夕飯をもぐもぐ食べながら心の中で考えていた。

食事の後、またパソコンをあけると、東レの元取締役の佐々木さんの記事が今日のヤフーに表示された。確かこの方、私が就職してすぐの頃、管理職育成みたいなハウツー本を出していたな、と思った。今日の記事を読むと、私は知らなかったのだけど、この方が評価されているのは、プライベートで色々と大変なことがありながらも、仕事で業績を挙げたからのようだった。ご家族の中でも、奥様は体調の不良で何度も入院していて、その間、佐々木さんが家事に仕事にと頑張られたと。

ああ、何か聞いたことがあるような話。この人はそんなに大変だったのか、と読みながら思っていたところ、奥様から言われた言葉が書いてあった。

病気とはいえ、妻がどうして死にたがるのか、私にはまったく理解できませんでした。しかし当時の心境を、妻が回復してから初めて、手紙につづってくれました。

「(前略)それなのに、あなたは平然として時に嬉々として仕事のみならず家事までこなし、私の世話もしてくれました。それは何もできない私にとってどんなにつらいことであったか、あなたは理解できるでしょうか。(中略)どうして(家族以外の)他の人たちにまで手をさしのべるか、私には理解できませんでした。そういうあなたを見ていると、私のことはあなたにとって多くのことの一つと考えているのではと思い始め、なんだかとてもみじめな気持ちになっていきました」

私は、運命を引き受けて家族を支えるのがリーダーとして当然のこと、そう思って仕事と家事を両立させてきました。しかし、実際のところはどうだったのか。病気の妻と障害のある息子を抱え、家事をしながら激務もこなす“悲劇のヒーロー”のように自分のことを思っている部分があったのではないか。妻の手紙を読んでそう自分を振り返り、反省しました。  

うつ病の妻、娘の自殺未遂、息子の自閉症…佐々木常夫さんが家族再生を果たした体験談(ハルメクWEB) - Yahoo!ニュース より

 

もう、まるきり私だな。夫以外の人の相談を受けていたところまで同じ。夫が療養していた頃、まだこれから回復していくと希望を持っていた頃。私は生まれてはじめてくらいに心の病について関心を持つようになっていた。そして、ちょうどパワハラ上司から指導を任された後輩や、仲の良い同僚が心折れかけている事態に、彼らのことが心配になってしまった。夫にもそのことを話していたし、月に数度、彼らと食事に行った。その間、夫は当然、1人で家で待っていた。

それ以外にもある。夫が体調を崩していたのに、私は自分の中の不安を押し切って海外の親友の結婚式に行った。体調を崩した高齢の親戚のところにも行った。実家のことだって気にかけていた。

360度外交を、一人で一生懸命になってやっていた。まるで世の中には自分しかいないかのように陶酔して。おまけに残業だって上限いっぱいまでやって、越えても尚やっていた。全部、自分だけが気分がよくなっていること。その後、すぐに夫の症状は再発した。

私が一体なんだったのかという夫への問いは、こんな形で返されたのかもしれない。

「でも、僕が頼ったときに、君はそこにいなかったよね?」と。

そしてまた、私は反省の渦巻の中に入っていく。結局、それ。もうサザエ状の殻の中で反省と後悔にぐるぐるぐるぐると回されて、時にああいう、悔しさがでるだけ。

私の考えは周囲への恨みではなく、夫と私の間の関係性に限らないと不要な傷を生むと分かっているのに、時にその枠外に怒りが広がっていくだけ。

夫くん、メッセージ、よくよく、わかりました。。。

 

問題の構造2

(前回からの続きの話)

まだ、書き足りない。まだこのことについて、考えの途上にあるなあと思う。

秋葉原の事件の弟さんは、生育環境の悪影響を感じながらも、自分が亡くなる前には母親のことを心配していたという。自分が死んだら、母親がショックを受けるのではないか。今より体調を崩すのではないか。

三者の私からすれば、その労い、その配慮、その優しさは、一体どうしたら生まれるのだろうかと思う。一瞬、共感しがたく、理解しがたく、その純粋な愛情が苦しくもある。

でも、自分に置き換えたら、確かに親に対してはそう思ってしまうのかもしれない。

仮に私がこの弟さんと同じ立場に置かれたら、自分がこの世からいなくなってしまうかもしれないと想像した時、一番に親の気持ちを案ずるだろう。同時に、これまでどうやっても自己犠牲を払ってくれず、絶対に振り向いてくれなかったその人たちに対して、死を持ってメッセージを発するという考えもどこかにあると思う。「親はショックを受けるのでは、体調を崩すのでは」と思う一方で、どうかショックを受けてほしい、どうか体調を崩すほどに愛情を示してほしいと思う。それは最後の愛情確認であり、最後まで満たされなかった子供の期待でもあるのかもしれない。残酷なことに、こんな子供の思いは、そういった親に届くことは、私はないと思う。届くような親ならば、とっくのとうに届いている。これまで自己犠牲を払わなかった親は、どんな状況に陥ったところで、自分を痛めつけるような情報はミュートしてしまう。そして、必ず優しさを、逃げ道を示してくれた優しい子供の言葉を思い出して「あの子の分まで生きなければ」と自分を励ますに違いない。少なくとも、夫の親は、病院の霊安室で、今さっき亡くなった夫の亡骸に手を合わせて、そう言っていた。「お父さんとお母さんは、これからは喧嘩せず、長生きするね」と。

夫の死を経て、あの人たちは、安堵したのだろうか。これまであれだけ生きる希望を託した子供が、体調を崩し手に負えなくなり、彼らの人生設計は大きく崩れる最中にあったと思う。夫の病状を私から聞いても、彼らは不気味なほどに関心を示さなかった。「なるべく日々考えないようにしている」と言っていた。「お酒を飲んで、テレビを見て、忘れることに努めて、なんとか自分の体調を維持しているの」と瞳孔の開いた目で言っていた。まるでその人の健康が何より大切だと、私も当然そう理解して、頷くだろうと言う表情で。私は「ハァ、でも…」と言いながら、圧倒的な話の通じなさにエネルギーを吸い取られる思いだった。

亡くなってから、夫の大きな骨壺を、実家で抱きしめているという。大きさも、重たさも、夫が赤ちゃんに戻ったみたいと思うんだ、と微笑んでいた。「お母さん大好き」と言って追いかける息子を、いつも思い浮かべると言う。あれだけ夫を独占したいと心に秘めていた人は、夫が自分の元に帰ってきたと、今、喜んでいるのだろうか。

遺骨になった夫は、確かにもう反発しない。残された人の妄想の通りの言葉を心の中で投げかけてくれるだろう。でも、やるせないのは、優しい夫なので、きっと実際にかける言葉だって、優しいだろうと思う。きっと、親を責めない。追い詰めない。いつだって親に逃げ道を残してやるだろう。

でも、その関係性の中で、私とは、一体、なんだったのだろうか。

これが、本論。私とは、一体、なんだったのだろうか。

問題の構造

昨日はただ延々と人の悪口を書くような記事になってしまったのだけど、私が書きたかった本論は、あの先にあった。

昨日の一連の経験を経て、私は親と子という関係性について、またあーだこーだと考えた。夫の中にあった感情の内、どれが夫を苦しめたのかは、実際にはわからない。でも、夫の中の感情は、どれも相反しあっていたと思う。相反すればするほど、夫を苦しめたと思う。愛情を渇望していた面もあれば、親を軽蔑する面もあった。いつかは乗り越えてみせると思っていただろうに、最後は親の言う通りになってしまったと思い、追い込まれてしまったのだろうか。一時は助け舟に見えた私にも、裏切られたと言う気持ちが強いのかもしれない。結局は、母親と同じような言葉で、妻にも責め立てられたと思ったことだろう。そして、だから自分には本当に価値がないのだ、と思ってしまったのだろうか。そう確信を持たせることに、私も加担してしまったのだろうか。

でも、本当は夫の母親と私が夫を責めた時の目的は違ったはずだ。私は一度たりとも、夫に惨めな思いをさせたくて、あるいは優越感を得たくて、自分の優位を証明したくて、そんな気持ちで夫を責めたことはない。むしろ、いつだって応援してきたし、挑戦する夫を尊敬していた。しかしいつしか夫は、自分に自信を失い、それを放棄したように見えた。私はどうにかしないといけないと思った。夫が放棄して逃げようとする道を塞ぎたくなってしまった。そのために、夫が絶対に嫌がることをバーターに出してしまった。夫が目を覚まして、こりゃどうにかしなきゃ!と思う事を言わないといけないと思ってしまった。それで放った言葉が、私の未熟さ故に、単なる冷酷な宣告のようになってしまった。

私の伝え方が悪くて、夫にはただ、私に追い詰められた、責められた、その印象だけ残った。真意は、最後まで伝わらなかったと思う。でも、私が私の願望だけに駆られて夫を責めるわけがないのに。夢を抱いていたのは夫であって、ここで踏ん張らなければ、あとで夫自身が後悔してしまうと思ったのに。夫は、どこまで理解してくれたんだろうか。私と、あの人は、全く違うのに、夫の中では、みんみんにも理解されなかった、見捨てられた、と思ったまま全てが終わったのだろうか。なんとなく、夫が元々持つトラウマと私が一緒くたにされた気がして、悔しい。

先週、秋葉原の通り魔事件を起こした方の弟さんが亡くなったという記事を読んだ。もう数年前のことだそうだ。言わずもがな、事件を起こしたお兄さんを持つというだけで、弟さん自身には、まったく罪はない。それでも、何度引っ越してもマスコミに追われ、職を転々としたという。そんな中でも、この弟さんには、結婚まで考えた素敵な女性がいたそうだ。交際期間中、2人は幸せな時間を過ごしたのだけど、結婚の段階になり相手の親から許しを得られなかったと言う。次第に2人の関係性もほころび始め、最後はその愛する女性からも、最も言われたくない言葉を言われるようになったという。手記の中で、この弟さんは、この女性と出会ったことを、「持ち上げられてから落とされた感じ」「結果論ですが、今となっては逆効果でした」と表現していた。耐えがたい状況下で、本当は誰よりも大切な相手に攻撃してしまうというやるせない状況。本当は言ってはいけないとわかっている言葉を相手に浴びせてしまう状況。きっとマスコミの圧力もあって、私たちとは全く違う苦しみがあったのだと思うけど、一組の男女が経験したこととして、私はこの弟さんと女性に痛いほどに共感した。

そして、もう一つ、この弟さんの話に考えさせられることがあった。この弟さんは、兄弟揃って、ずっと母親から虐待を受けていたという。家庭内では厳しいしつけやルールが敷かれ、口ごたえは許されなかったと言う。しかし、弟さんは、自分や兄を虐待した母親を恨み、憎んでいるとしながらも、行き過ぎなほど冷静に、客観的に親のことを捉えていた。これは、とても夫の考え方と似ていると思った。親を全否定したり、全てを親の責任にするのではなく、親に逃げ場を用意してやるのだ。この弟さんがマスコミに対して両親のことを話した理由の中に「たしかに両親への恨みや憎しみはありましたが、親のせいではないということを証明したかった」とあった。しかし同時に、この弟さんは自分と家族が同じ血を分けていることを受け入れ難く思っていた。「兄は自分をコピーだと言う。その原本は母親である。その法則に従うと、弟もまたコピーとなる。兄がコピー1号なら、自分は2号だ。」きっと、どこまでも親を軽蔑する気持ちも、当然ながら持っていたのではないか。

私は、夫と衝突する中で、「困ったことから逃げるところが母親とそっくりだ」と夫を責めた。「それだけは嫌なはずなのに、あなたはそれでいいのか?どうにかしなきゃいけないと思わないのか」と迫った。夫はこの時、自分でどうにかするというキャパシティを持ち合わせていなかった。心に重傷を負っていたから、どうしようもなかったのだと思う。目に見えないということは、どれほど恐ろしいことだろう。私は、本質的には空振りをしながらも、バンバンとバットで夫を痛めつけてしまったのだと思う。誰よりも軽蔑しているはずの人と、同じだと言ってしまったのだから。

たまたま読んだ記事だったのだけど、問題の構造があまりに似ていて、色々と考えてしまった。弟さんにも、私の夫にも、絶対に天国では自由に幸せに過ごしていてほしい。

 

弟さんの発言引用は、全て以下の記事より:

「秋葉原連続通り魔事件」そして犯人(加藤智大)の弟は自殺した(齋藤 剛) | 現代ビジネス | 講談社(1/8)